第10話 閉ざされた門、揺らぐ夜
カラオケボックスを飛び出し、気がつけば俺の足は「ひまわり児童養護施設」へと向かっていた。 夕闇の中にひっそりと佇むその白い建物の外壁が見えてきたとき、急に心臓が激しく脈打ち、足がぴたりと止まった。
――俺は、何をしに来たんだ?
母に言われた言葉が、頭の中で鋭いトゲのように突き刺さる。 『道端で捨て犬や捨て猫を拾ってきて『かわいそうだから家で飼います』っていうのとは、わけが違うの。その子には戸籍があって、過去があって、背負っている傷があるの。そんな人の人生を丸ごと引き受けるってことがどういうことか…』
施設に近づけば近づくほど、その言葉が重くのしかかる。 俺がやろうとしていることは、本当に結月のためなのか? それとも、空っぽな自分の人生に意味を見出したいがための、ただの身勝手なエゴなんじゃないのか? もし俺が中に入って結月に声をかけたとして、何の力もない無責任な大学生に、いったい何ができるというんだ。経済力も、保護者としての資格も、確かな未来すらない俺がこの手を伸ばすことは、かえってあの子を混乱させ、傷つけるだけなのではないか……。
「……っ」
施設の門の前で、足がすくんで一歩も動けなくなった。 遠くに見える敷地の中には、あのときと同じように小さな背中が……いや、幻影かもしれないその姿がぼんやりと浮かぶ気がして、怖くなった。
覚悟なんて、最初からなかったのだ。
ただの衝動と焦りで突っ走っていただけだった。
そう突きつけられたような絶望感に襲われ、俺は結局、門をくぐることができないまま、トボトボとその場を引き返した。
日付が変わる頃、家に戻った俺は、電灯もつけない暗い自室のベッドに倒れ込むように寝そべっていた。
「……俺は、間違ってたのかよ」
暗闇の中で、声に出して呟く。 誰に向けるでもない問いかけは、静まり返った部屋の壁に虚しく吸い込まれていった。
母親に言われた通り、すべてを諦めて「ただの大学生」に戻ればいい。 そうすれば、家族との関係も元通りになるし、面倒な責任を背負う必要もない。友だちとカラオケではしゃいでいれば、いつかこの息苦しさも忘れることができるかもしれない。
なのに、胸の奥の澱のようなものは、消えるどころかどんどん広がっていく。 あの公園で、人形を抱えた結月がふっと見せた、あの小さな笑顔。 それを「自分のエゴだから」と切り捨てて、何食わぬ顔で元の日常に蓋をして生きることが、どうしようもなく気味悪くて、自分で自分が許せなかった。
「俺の……俺の本当の気持ちは、なんだよ……」
結月を救いたいのは、本当にあの子のためなのか。それとも、やっぱり自分が救われたいだけなのか。 答えの出ない問いを何度も頭の中でループさせながら、太陽は出口のない自問自答の闇の中へと沈んでいった。
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