7.フィードバック
「エレノア・ヴォーンではないですの!」
彼女はキャビネットの中で膝を抱えていた。
スポーティーなショート髪のまま男っぽさのある快活な少女なのに、今はとてもそう見えない。どんよりと暗く、酷く落ち込んでいるように見える。
けれど、今はそれどころではない。
エルマは再びドアを向きなおり、ドンッと強く扉を蹴りつける。
「やいッ、開けろカトリーヌッ!!」
『やーだよー!』
嘲る声に、ムカムカが煮えた。
扉を壊しても、戦闘に必要なら減点はないはずだ。
「うらあッ!!」
孤児院の扉ならこれで抜けた。
だが学校の扉は、うんともすんとも言わない。エルマは近くにあったソファーを担ぎ、ぶん投げてみるも、ソファーが激しい音を立てて弾かれるだけだ。
「うぬぬぬぬ……!!」
「その躊躇のなさには敬服しますわ」
これはもはや壁だ。扉ではない。
板の中に太い鉄筋を通し、がっちり固定したような牢門である。
「……無理だと思うよ。カトリーヌの〈ロックダウン〉は、扉そのものを完全に閉ざす能力みたいだから」
キャビネットの中に収まりながら、エレノアはボソボソ言う。
「エレノアはカトリーヌと同じチームでありますね?」
クロエの訊ねに、エレノアはこくりと頷いた。
「やはり……エルマさんがダメージの話をした時に妙だと思ったであります。メンバーの同士討ちを避けるため、チームを組むとダメージが入らないようになっているはずなのに」
「それを早く言えよ」
「言う前に群衆に襲われたであります……」
「まあとにかく、あいつの仲間ならぶっ飛ばせばいいわけだな」
「だ、ダメであります! エレノアもきっとカトリーヌに使われた側であります!」
エレノアは目だけをあげて室内を眺めた。「そうかもね」
「ま、どっちでもいいけど……」
「しかし、どうしたのでありますか。元気がないようですが、どこか調子でも?」
「ううん……調子はいいよ。これがボクの普段なんだよ……」
「普段?」
彼女の目は観察するようだった。
部屋の隅で、肩に白い布に包んだ何かを担ぎながら、そこにあった紅茶を煎れるリリー、共に逃げてきたソフィアはソファーに座り、不安そうに視線を這わしている。
隣にはヴィヴィアンも座っているが、顔がまだ赤い。
「ん、んん……」
それに首元が痒いのか、怠そうにしながら掻いていた。
「嫌ですわ。そのソファー、ダニとかいるんじゃありませんの」
リリーは我関せずという態度で紅茶を啜る。
「こんな時に一人だけティータイムかよ」
「いついかなる時も紅茶を忘れない。それが貴族の嗜みですの」
「なーにが貴族だ。過去の栄光にいつまでもしがみついたイタい女のくせに」
「はっ倒すぞ愚民」
再三のにらみ合いを始めると、
「……まあ、カトリーヌの要求に応じた方がいいよ」
エレノアがボソッと呟いた。
「何だと? やっぱてめえカトリーヌの仲間か」
「まあそう思ってもらってもいいけど。ヴィヴィアンが危ないからさ……」
「は?」
眉を潜めて見た彼女は、ぐったりしていた。
いやそれよりも、赤くなった顔に奇妙な斑点が浮かんでいる。
「多分……麻疹だよ」
そこにいた全員が目を剥いた。
麻疹は十数年前まで村を一つ潰した病である。薬はあるが、行き渡る土地だけに留まって、流行すると全員が同じ治療を受けられると限らない。
いやしかし、何故いきなりヴィヴィアンが発症したのか。彼女はこれまで兆候すらなかったはずだ。
「……エレノア、あなたも能力を持っているでありますね?」
クロエは冷静さを保ちながら訊ねた。
「うん……」
「……何の能力でありますか?」
「ボクは昔から嫌なことがあると病気にかかって逃げてきたんだ……」
「だから何の能力かと訊いているであります!!」
声を荒げると、エレノアはじっと見据えてから、
「ボクが『逃げたい』と思うと、病気が拡散される……正確には、そこにあるウィルスが拡散されるんだ」
◇ ◇ ◇
ヴィヴィアンは苦しそうに喘いでいる。
熱が上がっているのかもしれない。ソフィアはその額に手をあてて、心配そうに彼女をのぞき込んでいた。
「ボクは実はあがり症なんだよ……行事ごととか、人前に出て目立つことがあると緊張して何も出来なくて……いつからだったか『病気になったらやらなくていい』って思うようになって、風邪とか仮病で逃げてきたんだ……」
出来るだけ明るく振る舞っているが、実はかなり無理していた。
しかし病気のたび後悔してきたエレノアは、そんな自分を直したいと思ってメイドの学校に通うことにしたと話す。
「……でも、学校に来てからも『病気になりたい』と思ったでありますか」
「うん……訓練がしんどくて……」
「ふざけんなよ!! お前が嫌なだけで、周りに迷惑かけんな!!」
エルマが怒鳴ると再び扉を向いた。
「ええいくそッ、開けッ、開きやがれッ!!」
再び扉を蹴るも、相変わらずびくともしない。
「やれやれ……学習しないサルですこと。うるさいったらありゃしないですわ」
「なんだと。やいリリー、お前ヴィヴィアンが苦しんでんのに何とも思わないのかよ!」
「思いますわ。けれどそれだけでしょう」
エルマはつかみかかろうとするが、リリーはさっと横に躱した。
「まったく……この学校の仕組みをまるで理解してないのですわね」
「なんだよそれは!」
「ダメージはポイントが引き受けるのですわ。痛いのは痛い。けれど出血で死にはしない。麻疹も同じですわ」
「簡単に言えば、人間を殴ってるようでポイントを殴ってるわけか?」
「そうなりますわね。そしてポイントからフィードバックが肉体にきますの」
傷なども医務室にゆけば、ポイントを利用して回復するらしい。
「いや、それでもよ……そうだ、お前が担いでるそれでぶち破れねえのか」
「無理ですわ、試すのも嫌ですわ」
「人でなしかてめえは」
「はぁ……さっきから、いったい何を焦っていますの。普段の愚民らしくありませんわよ」
エルマは歯を食いしばって拳を握り締めた。
「孤児はいつだって邪魔者なんだよ……!」
孤児院にいた時、エルマは幾度と病気で死んだ子供たちを見てきた。
助けてやろうとしても自分は何も出来ない。薬を求めて走りまわっても碌に手に入らず、こちらも大変なんだと医者すら後回しにされる。
身の回りの世話をしても見守るしか出来ず、冷たくなった手からすり抜ける無力感は、悲しみに怒りすらあった。
「医者はよ『病気は選別だ』と言うんだ。それは分かってるさ、世の中は弱いやつから死んでいく、それを乗り越えた者たちで成り立っていることはよ。だけどオレは馬鹿だから、はいそうですかって納得したくないんだよ……!」
どれだけ豊かになっても置いてけぼりにされる。
病気になっても、孤児など助ける価値もないと思っている。孤児に薬を与えても何の益にもならないと思っている。
それは孤児院の先生すら心に秘めた本音だろう。誰もが『そういうものだ』と不条理を当然に受け入れて、出来ることを放棄していた。
「大人が守らないならオレが守ってやる――そう決めたんだ」
周りに比べたら腕っ節が強いようで、男にだって負けたことはない。
少なくとも自分が守れる奴は守ってやる。子供は“大人の都合”に従えと、立ちはだかるのは全員ぶちのめしてきた。
――それは独りよがりと言うものだよ、エルマ
――誰かを守り、助けようとする君の正義は立派だ。みなを圧倒する強い心だ
――しかし、強さには責任も伴う
――正義は履き違えれば外道に繋がってしまう危ないものだ
荒れる姿を見て、孤児院の校長はそう言う。
分かっていたが力の使い方が分からなかった。
「――エルマさんは、メイドに、なるべき人」
ヴィヴィアンは息を絶え絶えに、周囲はぎょっと驚き眉をあげた。
「ヴィヴィアン、無理はダメであります」
「大丈夫。しんどいけど、重くはないから。症状としては――」
どこからか手帳サイズの本を取り出すと、熱に浮いた目でパラパラとめくるそれを眺め、途中のあるところで丸く輪を作った指を近づける。
「麻疹は最初、38℃前後の熱が出て、咳・鼻水・くしゃみ・目の充血……目やにやまぶしさが強くなる。これを『カタル期』と言い――」
「思ったより大丈夫そうでありますな」
「症状例を見るに、症状が全体的に軽く、非典型的な修飾麻疹の可能性があるから」
その本はゴマ粒ほどの小さな字でびっしり書かれているようだった。
「それ、ヴィヴィアンの能力でありますか?」
「うん。私の能力〈ルーペ〉は、指で輪を作ると、拡大して読める。使ってた拡大鏡、家においてきちゃったから、欲しいと思ったら、出た」
「どうして本を読まない時のほうが辛そうですの……」
ヴィヴィアンは本を閉じて、再び喘ぐような息を始めた。
「それで、オレがどうしてメイドになるべき人なんだよ」
「エルマさんは、誰かのために尽くす人、だから……病気の子供でも、ずっと寄り添って、元気づけて、世話をする。すべきことなら、その地につけた足を、踏ん張れる……それが、メイド」
「そんなもん、オレがしたいからやってるだけだよ」
「誰にも従わない、それがいい」
親指を立てた手を掲げると、エルマはふっと笑みを浮かべた。
「なら、オレが助けてやんよ。どんな手を使ってでもこの扉をぶち破ってな!」
扉に手をかけ、力を込める。
能力だのルールだの知ったこっちゃない。仲間を助けるために力を尽くすだけだ。
「正しい力の使いかたってやつ、何となく分かったぜ」
力を込めた瞬間、内側で鍵がひるんだように感じた。
すると、
ガチンッ
と、鍵の開く音が確かに響き渡った。
『う、嘘ッ!? なんで〈ロックダウン〉がッ!?』
「――てめえ、カトリーヌッ!」
強固に閉ざされていた扉がこじ開けられた。
エルマは身を乗りだして手を伸ばす。突然のことに狼狽していたカトリーヌだったが、すぐに身体を転じて逃走を図った。
「エレノア、我々は情報が欲しいであります! カトリーヌについて分かっていることはあるでありますか!」
「情報になるかは分からないけど」
エレノアは抱えた膝に顎を埋めると、
「カトリーヌは心配性なんだ。出かけに鍵をかけたかって何度も確かめるくらいね。親は『素晴らしい注意力だ』って全肯定するらしいけど、カトリーヌからしたら疲れて仕方ないと言ってた。多分それが〈ロックダウン〉って能力の発現経緯だと思う」
「――であります!!」
「おうよッ、何に使えるか分かんねえけど、やってやるぜッ!!」
エルマは逃げたカトリーヌを追う。
彼女の足は速い。先に階段に乗られたらまかれてしまう。
「おーいカトリーヌ、共同キッチンの火、消してるかー?」
「……!?」
カトリーヌの足が、わずかに緩んだ。
靴裏が床に吸われるみたいに、体だけが前へ傾く。
「消してる、消してるはずだけど……!!」
共同キッチンは後ろ5メートルほどにあり、うぬぬ、と自分と戦っていたが、その足は1メートルも進まないうちに、ついに止まってしまった。
「あ、ああああーッ!! 消した、消した……はず!!」
転げるようにキッチンまで戻ってドアを開こうとする。だが施錠されて開かない。
そこで〈ロックダウン〉の能力を使って開き、中を覗こうとした矢先――エルマの脇を、何かが掠めた。
「ふぐェ――ッ!?」
カトリーヌはカエルが潰れたような声をあげ、横を向いたまま吹っ飛んでいた。
「な、何だあ!?」
エルマは反射的に振り返った。
そこには、片膝立ちで小銃を構えたリリーの姿――慣れた手つきでレバーを引くと、排出口から薬莢の代わりに煙を噴かせた。
「――おーっほっほっほ! 誰であろうと、我が〈シューター〉は逃しませんことよ!」
【火の始末を確認した ボーナスポイント+30】
エルマとカトリーヌにポイントが入る。
しかし脇腹を撃ち抜かれたらしいカトリーヌは、ぴくぴくと白目を剥いて、仰向けに倒れたままだった――。




