3.それぞれの役目
「あの馬鹿は見境がなさすぎですのッ!!」
悲鳴が起きる最中、リリーの声がロビーに響き渡る。
そこにクロエが顔を泥だらけにしながら駆け込んできた。
「リリーさん! エルマさんを止められなかった……」
「あの状態の馬鹿を止めるのは無理ですわ。それよりクロエ、貴女の能力であれを照らせませんの。見失ったら完全にアウトですわよ」
「無理。光量が足りない、何か増幅装置でもあればいいけれど」
リリーは忌々しげに舌打ちをする。
「どうするの」「大丈夫なの私たち」
「川が決壊って、どうしたら」「避難すべきなんじゃ」
思い通りにならないことではない。
それよりも、パニックになったメイドたちの悲鳴が耳障りだ。リリーは懐から扇子を取り出すと、傍にあったワゴンを思い切り叩きつけた。
「お黙りなさいッッ!」
けたたましい金属音が響き、みなが驚きに言葉を失った。
「このような時に落ち着くべきである者が狼狽えてどうしますの! 能力のある者は水の浸入を塞ぎ、そうでない者は避難者の確保と誘導に動け!」
「「「「は、はいッ!!!!」」」」
手にした扇を揮うと、メイドたちは一斉に走り出す。
その気迫は上級生ですら返事を即答させた。
「光量を、光量を……構図はある。けれど、増幅させる大きさがあれば……」
クロエが頭を小突いて思案していると、
「傘……」
ロビーの奥に佇む、傘を持ったメイド像が目に飛び込んだ。「そうか!」
「傘だ、傘ッ!! 私が指示する執事課とメイド課の者は共に、運搬の能力持ちはあの傘を屋上へ運んでッ!! 掃除部隊も一緒にお願いしますッ!!」
クロエはそう指示を出して屋上を目指して階段を駆けた。
「リリーさん、ここの指揮は頼みますッ!!」
リリーは扇子で手を叩きながら、ふうんと鼻を鳴らす。「切羽詰まると口調が変わるんですわね」
「ま、いいですわ。ここで動けるのは私だけのようでありますし」
鷹揚にひるがえって伝声管に近づく。
「偵察班、そこにヴィヴィアンはおりますの」
『はい、います!』
「じゃあ伝えてくださいまし。状況説明と、あの馬鹿は死んだのか」
ラッパのようなそこから、ボソボソとやり取りが聞こえる。
『服着たまま飛び込み、今は転覆した船の舳先を掴んでいるそうです。女の子は脇に抱えて』
「どれくらい持ちそうですの。希望は抜きに答えなさい」
『エルマさん次第だと。まだしばらくは持つだろうけど、岸に上がるのは不可能、ピックアップが必要だそうです』
「よろしい。クロエが何らかの明かりを用意するので、それまで監視を続けなさい」
本当にタフだこと、とリリーは口元を緩めた。
厨房の方からソフィアが駆けてきたのは、その時である。
「いいところに来ましたわね」
「話は聞きました。エルマさんのピックアップが必要だと、私なら可能です!」
「私も、ちょうどそれを考えてましたの。行きますわよ」
リリーは部屋から銃を持ってくるように命じる。
そしてすぐ、メイドの一人が息を切らせ運んできたのを受け取ると、
「バークル先生、ここは任せますわ」
「貴女たちはどこへ」
「戦場を眺めるのは性に合いませんの。おーっほっほっほ!!」
高笑いを残し、嵐の中に身を投じていった。
◇ ◇ ◇
リリーとソフィアがやってきたのは埠頭だった。
南を向けばエルマがいるであろう埠頭が見える。ここの船が流されたのか、係留用のロープが川に向かって浸かっていた。
「あっ、ありましたー!」
ソフィアは首を回して川を眺め、そこからウィンチを手繰るように引き上る。
ウィンチは蒸気機関を利用した最新の巻上装置だ。修理に費用がかさむだろうが、水底で船と一緒に魚の住み処となるよりマシだろう、とリリーは微笑む。
川は荒れ狂ったまま。
落ちたら最後、身体が浮かび上がれば奇跡に違いない。こんなところに、よく服を着たまま飛び込んだものだと感心すら湧く。
「聞いておきますが、ソフィアの考えとは何ですの」
埠頭を目指したのはソフィアだった。
同じ考えをしていると分かっても、リリーはあえて彼女に訊ねた。
「私の能力でも、あの船まで掌握させるには時間がかかります。なので私がこの装置と合体し、ワイヤーの先に腕をつけ、それをリリーさんの銃で飛ばしてもらいたいのです。見えていれば手を伸ばして掴み、引き揚げられます」
「なるほど」
ほぼ同じ考えであると肯首する。
とはいえ、考えていたのは埠頭にあるロープを使うことで、彼女がウィンチと合体する発想はなかったが……。
「何一つ疑問を抱かない点がもうおかしいですわね」
「へ? 何か言いましたか?」
「いえ、風の幻聴でありますわ。おほほほ……」
狙うには明かりが必要だ。
クロエはまだかと思うそこに、屋上にカッと光が瞬いた。それは凄まじい明かりで、エルマがいるであろう川面を照らす。
まるで満月が出来たかのよう。
何だと目を細めてみれば、傘らしきものを横倒しにし、その真ん中で腹ばいになるメイドの姿らしきものがあった。
近くでは執事やほかのメイドがヘバっている。
「みんな掃除や磨きの能力をしている人ですが……ひょっとして、傘の内側を磨いたのでしょうか」
「ああ、傘を返して凹面反射鏡にしたのですわね」
平行の光線方向を曲げて一点に収束させる鏡だ。
光をまとめるのは龕灯など昔からの工夫で、現在は携帯用ランプやランプシェードなどに用いられる。
「時間とガラスがあれば、フレネルレンズも出来ましたわね」
「これならハッキリ見えます」
リリーはソフィアが外した“腕”を掴んで、銃口に挿した。
自身の能力が実弾であれば、撃った瞬間に消し飛ぶだろう。空気弾だからこそ可能な方法だ。
(どう見ても銃剣にはなりませんわね。拳ではありますけれど)
銃を抱えると、ソフィアにも気合いが入る。
「クルァッ、手をわきわきすな! 照準がぶれる!」
「す、すみませえん、つい……!」
クロエが照らす光輪にエルマが浮かんでいる。
指先だけで舳先を掴んで、限界が近いようだ。リリーは慎重に照準を合わせ、息を整える。
「飛ばしてくれさえすれば私が誘導しますので」
「余計なサポートは不要ですの。私がやると決めれば私がする、狙ったものは外しませんわよ――!」
ついに限界かエルマの手が離れた。
濁流の勢いは強く、一気にその小さな身体が飲み込まれる。
リリーは息を止め、静かに引き金を引いた――。
◇ ◇ ◇
前が見えない。息も碌に吸えない。
激しい水が容赦なく顔と身体ごと飲み込もうとしてくる。
「――しっかり掴め、ナンシー!!」
エルマは左脇に抱えたナンシーの身体を持ち上げ、出来るだけ水を被らないようにする。
「ねえちゃ……お兄ちゃ、お兄ちゃんが……」
「喋るな! 今は目の前のことに集中しろ!」
船の舳先に指をかけるだけだ。
そこに大きな波がきて、飲まれたナンシーが苦しそうな息を吐いた。エルマが意識を取られた瞬間、生命線でもあったその指が滑る。
しまった――。
先ほど掴んでいた舳先は一瞬で遠ざかった。
エルマは何でもいいから浮くものを探した。木の板でもあればナンシーを掴ませ、彼女だけでも助けられる。
だが、何もなかった。
あっても遠い場所にあった。
真っ黒な水に身体が流れたと思ったと同時、上下左右、自分がどこを向いてるか分からないまま、天変地異に世界がぐるぐる回った。
(流石にこれはヤベぇかな)
水に飲まれたエルマは、がぼっと大きな泡を吐いた。
せめて1秒でも長く、ナンシーを生かしてやらなければ……かすれる意識の中、回る世界に瞬いた光に向かって、彼女の身体を持ち上げる。
その瞬間――流れが更に強くなった。
(お、おおッ!? これまさか排水溝とかか!?)
いよいよ終わりだろう。
敷かれた道なかった身の上だ。死に方なんてのも選べやしない。もし身体が見つからなかったとしても、孤児とはそういうものだ。
だけど向きが逆か?
エルマは流されていた方向と違う気がした。そして世界が回っていないと気づいた。
引き寄せられている――。
眩い光が差し込む水面には、“誰か”がナンシーを掴んでいるように見えた。
◇ ◇ ◇
「ぜェー……ぜェー……ッ……こ、今回ばっかは死ぬかと思った……」
「この馬鹿ッ、どれだけ無茶しますのッ!」
引き揚げられた途端、リリーの怒声が浴びせられる。
息が出来ているのか分からない。咳き込む合間に空気を求めて、より激しく咳き込んでしまう。ぜえぜえと胸が喘ぐばかりで、エルマは何も言い返せないのを誤魔化した。
「うわーん! 無事で良かったですうー……!!」
ようやく身体を起こすとソフィアが抱きついた。
「そうだ、ナンシーは!?」
「ここにおりますわ。水もあまり飲んでいませんが、衰弱が激しくすぐに医者に診せた方がよろしくてよ」
ナンシーはエプロンにくるまれながら、リリーに抱きかかえられていた。
「そうか……ありがとな、リリー」
「べ、別に、お前のためにやったんでありませんの……!」
リリーがぷいと翻る。
先に医務室に運ぼうと足を進めたその時、ナンシーがうわごとのように弱々しい声で「お姉ちゃん……」と呟いた。
「大丈夫だぞ。助かったんだ」
「お兄ちゃんが……捕まった……悪い人に……ダメって引っ張ったら、蹴られて……」
「なんだって……?」
エルマは立ち上がろうとしたが、膝に力が入らずその場に崩れた。
視界が歪む。けれどナンシーからの衝撃的な言葉が、遠のきそうな意識を引き留めていた。




