2.嵐のダイブ
クロエの言葉通り、雨風は強まる一方だった。
夜を迎える頃には町の避難者が80人を越え、その勢いは衰えを知らぬまま、現在も次々と学校の正門をくぐってくる。
「じーちゃん、飲み物とタオルだ。クッキーはいるか?」
「おお、貰おうかの。ちょうど欲しかったんだ」
ワゴンを押すエルマに、バークルは「これ」と咎めた。
「ミス・エルマ。何と言う口の利き方です」
「っといけねえ」
しかし、避難してきた老人は、ふぉっふぉっと老獪に笑って済ませた。
「申し訳ありません。私たちの教育が至らぬばかりで……」
「構いやせんさ。その者の代わりが他人でも務まるようでは芸が無い。きっとこういう子が必要なんだろうて」
頑張りなさいと応援されて、エルマは「おう」と意気込んだ。
バークルは呆れるばかり。しかし気にしている暇もなく、飲み物とタオル、クッキーが載ったワゴンを押して避難してきた者に配ってゆく。
今いるのは玄関ホールだ。
ここでは濡れた身体を拭き、ひと休みする。
衣類の濡れが酷ければ、乾燥と暖が取れる部屋へと案内し、それ以外は二階の教室に案内する運びだ。
「愚民」
作業していると、リリーが声をかけた。
「外にいるクロエに飲み物を届けてくださいまし。ソフィアからですわ」
「はあ? お前が頼まれた仕事だろ」
「服が濡れるじゃありませんの」
「言ってる場合か!?」
代わりにやってやるとエルマからワゴンを奪い、リリーは手にしていた水筒を押しつけた。
「ったく、どこまでお嬢様だ……」
「貴女がいない間は、私が完璧にこなして差し上げますわ。おっほほほほ!」
仕方なく雨具を羽織ったエルマは、訪れる町民とすれ違って外に飛び出した。
担当は主に能力によって割り振られている。
チームで言えば、ソフィアは〈ドールハウス〉で厨房で飲み物と料理づくり。ヴィヴィアンは上の階で〈ルーペ〉を使って外の監視だ。
そしてクロエは――。
「……野外訓練よりマシ……野外訓練よりマシ……」
門の前にて、目を〈フラッシュライト〉で光らせる誘導灯となっていた。
雨具を着込んで直立不動のまま。激しい雨に打たれ、目は白く光っているのに死んでいた。
「おーい、生きてるかー?」
「風の音にエルマさんの声が聞こえるであります……」
「幻聴じゃなくて本当にいるんだよ。ソフィアからの差し入れだ」
「おお……戦場に届けられる物資こそ生命線であります……」
水筒の中は暖かいスープのようだった。
クロエはふうふうと吹いてから、まだ熱いそれを一気に煽った。よほど冷えていたのか、息継ぎもないまま飲み干してしまった。
「ふぁーっ……ソフィアの優しさが染み渡るでありますー」
「水筒には『朝まで頑張ってください』と書いてあるぞ」
「あれの優しさは、時に鬼畜であります……」
乾いた目が雨水で潤うであります、と言いながら夜に光を灯し続けている。
「ほかに何かいるものはあるか?」
「……熱い風呂を用意しておいて欲しいであります。あとエンドウ豆のベーコン添えも」
エルマはクロエを置いて学校に戻ってゆく。
その途中、校舎を見上げるとヴィヴィアンが手で輪を作った双眼鏡で周囲をチェックしていた。
川の様子を確認しているんだろうな。
クロエの話している間も、雨風の音に混じって水の轟きが響いていた。距離は300メートルかそれ以上離れているが、音からして相当な勢いに違いない。氾濫の可能性を大として、それがいつかと慎重に見極めるのだ。
見上げているのに気づいたらしく、エルマは親指を立ててみせると、彼女もまたぐっと親指を立てて返してきた。
『動かぬ足で、ぬかるみ踏みしめ、我らは道を――』
学校に入る間際。振り返ると、クロエは後ろで手を組んだ姿勢となり、雨の中で軍歌を歌っていた。
「世の中って不公平なんだな……」
「何を当たり前な。雨に打たれてアホになりましたの?」
能力のないエルマと、能力が必要ないリリーは世話と案内係を担当する。
世の中は適材適所であるが、快適な場所が与えられるわけではない。
なまじそこに必要だっただけで、苦労を背負わされるクロエの姿は、ただただ同情しかなかった――。
◇ ◇ ◇
「オレも早く能力が欲しいけど、こんな時に便利に使われるんじゃ考えもんだな」
「便利に使われるのがメイドの役目なのに、何を言ってますの」
エルマはロビーに目を向ける。
足を滑らせないよう、上級生の掃除部隊はひたすら床を拭いている。
水を繰ってバケツに放り込んだり、風で濡れた床を乾かす様子に子供たちが目を輝かせるのが羨ましい。けれど忙しさは桁違いなので、どちらがいいかは迷うところだ。
リリーの〈シューター〉は、その点ハッキリしていた。
同時に、普段は何の役にも立たないので日常は大変だ。メイドの仕事は基本雑用なので、便利は何よりの楽である。
なぜ能力は一つなのか……エルマは腕を組んで、むうと唸る。
「何でオレには能力が出ねえんだろ」
「……と言うより、もう出てるんじゃありませんの?」
「オレがか?」
「前から気になってましたが、攻撃を受けた時のポイントの軽減が異様ですわよ。痛覚まで馬鹿であっても、本人がタフだからという理由で数十ポイントしか減らないのは妙でしかない。攻撃を受けたポイント計算時に割合減少しているか、ポイントが本人を強化保護しているかのどちらかと考えるのが筋ですわ」
ポイントはそのまま防御力になる。
受けきれなかった分が、肉体への痛みとなるのが普通――けれど、自分の場合は逆だとでも言うのか。
「つまり、オレはポイントで身体を頑丈にして、そっから攻撃を受けたポイント計算してるってことか?」
「単純に考えれば『ポイントで相手のポイントのほぼを無効化している』ですわね。壁のような防御膜を展開するイメージで」
「それはいいな!」
「あくまで、能力が発現している場合での話ですわ」
「でも、どうせなら肉体へのダメージもゼロにしてくれよなあ……痛えモンは痛えよ」
「痛みがなければ人は覚えませんの。馬鹿には体罰が必要という証明ですわね、おーほっほっほ!」
エルマは顔をしかめた。
孤児院に居たときもよく尻を叩かれるなどの折檻を受けたが、そのおかげで『何が悪いことか』を理解した面もある。
つまり、リリーの言うことは正しいのだ。
「まあ、発現した場合は〈土嚢〉とでも名付けなさいな」
「はあ? 何だよそれ」
「どんなとこでも壁になり、盾になり、便利。私にも相応しい、これとない能力ですわ」
「何でお前にもなんだよ」
「あら、ハートウェル家は元々、盾を構えた石弩部隊を率いてたんですのよ」
「ふうん」
「何ですのその興味なさそうな面は」
「実際、興味ねえし」
「ムッカーッ! もっと敬意を見せろ敬意をッ!」
そうしている間にも、避難者が次々とやってくる。
「しっかし避難してくんの多いな。町の人間みんな来てんじゃねえのか」
「川辺や川下の町民が来てるようですわね。ヴィヴィアンが言うには、水位があがって氾濫寸前だそうですの」
「次から次へと問題起こるなこの町は」
「災害というのはそういうものですわよ。微妙なバランスで均等をとっているのが社会なのですから、一つ崩れれば連鎖しますの」
人の住まう地とは、トップの器とそれを満たす民で決まる。
トップが愚かであれば民も腐り、災害にともなう火事場泥棒など、被害の規模が拡大する。無能であればインフラへの信用がなくなる。
人災こそが最大の災害だとリリーは言う。
「ギャングもそれか」
「ですわね」
不幸につけこむ人間がいるのは確かだ。
町にいるギャングは直接仕掛けてこない限り、こちらから出向くことは出来ない。歯がゆいがそこまで無鉄砲にはなれなかった。
◇ ◇ ◇
避難の数が落ち着きを見せ始めたころ。
エルマたちはほかの生徒と交代し、休憩に入った。やれやれと息を吐いた――まさにその時である。
「な、なんだ!?」
「爆発……!?」
遠くで、何かが崩れる激しい轟きが起きた。
何があったのか学校の中からでは分からない。しかし緊急で設けた伝声管から信じられない事態を告げられ、学校じゅうが騒然となった。
『す、すす、水門が、決壊したってッッ!! 川が氾濫するってッ!!!』
メイドはおろか避難してきた町民まで息を呑んだ。
足元が小刻みに震えている。そして悲鳴のような声がした途端――地響きのような轟音が走った。
「な、何だあ!?」
「水門に抑えられていた水が、淵の水衝部を越えたのですわ!!」
激しい水しぶきの降り注ぐ音がする。
淵とは外側は流れが速く、内側は流れが遅い川の曲線部分のことだ。その曲線の外側の岸は水衝部と呼ばれ、水底を深くした流れが最も強く当たる箇所である。
崩落の音がしたのは擁壁が崩れたのか。
『海の方に停泊していた船が淵に衝突ッ! それが芥のように淵のように溜まって、バリケードみたいになってるッ!』
衝撃はしばらくして止んだが、抑えられていた水量はそのまま川を溢れさせたらしい。
開け放たれたままの正面の扉からは、遠くにあるはずの運河が近くに思えた。
『――ちょっと何あれッ!? 人……子供じゃないのッ!?』
伝声管からパニックの声がした。
『え、なにヴィヴィアン、あれ、エルマが世話してた女の子? 何、それ――』
「お待ちなさいッ!!」
その言葉と同時に駆けていた。
雨など何も感じない。風もだ。ただその目は真っ黒で、抹茶色で激しくうねる水面を見ている。
そしてそこに割れ板にしがみついた幼子を捉えた瞬間、
「いま行くから頑張れッ!!」
エルマは何の躊躇もなく、荒れ狂う川に飛び込んだ。




