4.メイド見習い始めました
入学式の翌日から、答えとなる見習い訓練が始まった。
「足音を立てず、壁沿い直進。曲がるときは90度。存在感は出さない」
手をパンと叩くバークルの合図に、新入生50人は軍隊のように歩き続ける。
異様に長い廊下はこのためで、誰かが乱れるたび厳しい叱りが飛んだ。
「っ、と、と、ととと……っ!?」
「ミス・エルマ。そこで止まりなさい」
曲がりの角で、バークルの声が落ちた。
「はあ……これで何度目ですか」
「申し訳ありません……です」
人と出会えばその場で止まり、通り過ぎるまでお辞儀をする。
挨拶はカーテシーで、スカートの裾に隠れているつま先まで意識する。私語は禁止。表情は“無”を維持して、言葉は『はい』か『いいえ』のみ――。
足の痛み、つらい訓練に涙するものが日ごと増え。
入学式から一ヶ月が過ぎると、それは“出来るもの”と“出来ないもの”が明確になろうとしていた。
「貴女ひとりにかかずらっていては、日が暮れてしまいます。次に参りましょう――ミス・クロエ、盆を」
「了解であります!」
「……」
「あ、こっちでは違うでありますね。アイアイ、サー」
「……」
「……ヤヴォール?」
「もういいので持ってきなさい……」
クロエはスカートの裾をつまみ、さっと頭を下げた――。
◇ ◇ ◇
教室の廊下から眺める景色は“灰色”だ。
雨の多い町の空、整えられた石畳の歩道。視線を水平にすると、船の通れる大きな川と停泊所の一部が見える。町では店と人がひしめいているが、場所のせいか学校の周りは閑散としていた。
学校は奇妙な造りであった。
廊下など異様に長く、途中にいくつもある部屋やガラス窓がキラキラと輝く。幻想的な光景に入学時こそ目を奪われた新入生たちだったが、感動はもうない。
――これを維持するのは誰なのか
社会を形作る何もかもには、誰かの仕事によって存在していると気づいたからだ。
「やれやれ……面倒くせえなあ……」
剪定ばさみを手に、エルマは中庭の植え込みを整えていた。
色の違うレンガを敷き詰めた歩道に、蔓模様のガーデンテーブルとチェア……お洒落なそれを彩る草木は、青々と自由に茂る。
男の子のイガグリ頭のように、自由がすぎて無造作に伸びた芽は見目が悪くなるので、前もって落としてゆくのだ。
「放っておくと面倒くさくなるので、先に片付けとくのが大事でありますよ」
「まあ、それは分かるけどな」
一定のラインに従っていなければ見苦しい。
メイドの大事な仕事のようだが、まるで自分のことを言われているような気がした。
普通だと思っていたことが普通じゃない。これまで何も言われてこなかったことが指摘される。
学ぶ機会で遊んできた自分が悪いと分かっているが、こうも認められないと気持ちも重くなった。
「――そこ、もう少し刈り込んで線を強めてくださいまし」
「お前えは仕事しないで何してんだよ」
リリーはガーデンテーブルに座り、あれこれ指示を出していた。
「庭のチェックですの。――ああ、そこの白い花を二つほど落としてくださいまし、バランスが悪いですわ」
「自分で動けよ!」
「近づいては全体が見えませんわ。俯瞰と調和は、上に立つものの責務ですことよ」
「オレらは近づく側だ!」
嫌ですわ、とリリーは扇子を広げて鷹揚に笑う。
「お、蟻だ――」
「近づきすぎるのもどうかと思うであります……」
エルマは作業の手を止めて視線を落とした。
しゃがみ込んで眺める黒い蟻の行列は、どこかへ向かって続いてゆく。
「へへ、俺たちみてえだな」
尻尾があれば振っているであろう姿に、クロエは肩をすくめる。
するとそれを見たクラスメイトが、ムッと口を曲げてきた。
「ちょっとエルマ!! あなた真面目にやってるの!」
「や、やってるよお……」
「あなた一人のポイントが減るのは構わないけど、連帯責任で迷惑被るの止めてよね!」
「この作業も、あなたが今日失敗した懲罰みたいなものなんだからね!」
訓練の失敗はほぼエルマである。
叱られるたび、クラスメイトがうんざりした表情が浮かぶ毎日なので、こうして同級生に囲まれるのもしょっちゅうだった。
「ま、今日の授業で減点をもらわなかっただけ上出来ですわね」
リリーの言葉に、クラスメイトの言葉が詰まる。
元貴族のお嬢様であっても存在感は本物で、女王気質なのもあって発言力は抜群だ。
エルマの失敗など意にも介さない余裕を前に、みなそれ以上は何も言えなくなり、不満そうな顔で離れていった。
「オレだって一生懸命やってんだよなあ……」
「汗かけば評価されるのなら、みんな汗をかきますわ。ペダルを1回まわして進むのに、10回を必要にして『やっている』は間違いですの」
「言ってくれるよ……」
少しずつであるが、能力を発現させる生徒も現れている。
授業は50人全員で1と数えられる連帯制で、個人点がポイントの多くを占めていれば、足を引っ張る存在にストレスを抱くのも当然だ。
意気や姿勢が評価とならない。一生懸命やるのはみな同じで、リリーの言葉も何ひとつ間違っていなかった。
「でも、エルマさんに敵わない点もありますよ」
急なクロエの助け船に、エルマは何かと目だけを向けた。
「ベッドメイキングの手際や、食事の準備などは早い。しかも的確」
「うちの孤児院は何十人もガキいたし、全員がお利口でいるわけでもないからな。手早く済ませないと逆に難しくなるんだ」
「なら、きっとそれですよ。メイドのいる家と環境が真逆だから、ダッシュする癖がついているのです」
「フォローなんていらねえよ……余計に惨めになる」
拗ねるエルマに、クロエはチッチッと指を振る。
「ノン、そんなのじゃありません。うちも軍人の家で、作業は効率一番。見目も求められますが無駄は切り捨てであります。癖は誰もが持つもの、その癖を出さないよう癖づけるのが修行であり、訓練だと私は教わりました」
「よく分からん」
すると隣でリリーがため息をついた。「厨房の料理人は顔が違うだけですわ」
「癖とは無意識に鼻や目を触るようなもの。本人は気にしていなくても、店という世界では不潔……その認識を矯正することが修行なのですわ。メイドにも通じますわね」
「えぇっと、つまり……オレの悪いトコを自覚して治せってこと?」
「自分の得意は全力で出しつつ、周りがしない悪いところを抑えるであります!」
「無茶言うな。それが出来たら苦労しないよ」
苦労しろ、とリリーが横から口を挟む。
「きっとそこで能力も出るであります。ミス・バークルも『必要と強く思うこと』と仰っていたであります」
「能力ねえ……」
エルマは周囲を見渡した。
軍職の出というクロエもまた、早々と能力を得た一人だ。
「お前のそれも“必要”としてたのか?」
「い、いやあ……私は妾腹のためか、どうにも異性への興味が強く、気をつけなきゃと思っているのですが、つい目をギラつかせてしまったであります」
クロエは照れながら頭を掻いた。
彼女の能力は〈フラッシュライト〉といい、両目がピカッと光る。ただ眩しいだけで、しかも本人は周囲が見えなくなるらしい。
「悪い癖だと意識するのですが、無意識にこう目をピカッと――」
「ぬわっ!? いきなり目を光らすなっ!?」
「でも私はそれも自分であると思っているであります! カエルの子はカエル、妾の子は妾の子として受け入れるであります!」
なるほどな、とエルマは納得したが、
「男への興味あるなしって、妾の子供と関係ないだろ?」
「え?」
真顔で聞き返したクロエに、エルマもつい「え?」と返してしまう。
「まあ皆さん、エルマさんもこのクラスに必要不可欠でありましてよ」
「高慢ちき……」
「名前で呼べ」
眉間に皺を寄せられつつ、リリーは生徒たちに向き直った。
「この落ちこぼれに目が向いているおかげで、我々の減点が殆どないことに気づきまして? 教室でお喋りをしても減点されなくなったのは、この落ちこぼれが最低ラインを一手に引き受け、下げているおかげですの」
「てめえ、この!!」
まあまあ、とクロエが後ろから羽交い締めにエルマを諫めた。
「ですがリリーさんの言うのも正しいであります。お辞儀の最中に寝落ちしたり、白目を剥きながら歩いても減点されずにいるのですから。評価が定規どおりでないのは、きっとエルマさんが基準をずらしているからであります」
「喜んでいいのかそれ……」
「喜ぶかどうかは別として、エルマさんはチョコレートはご存じでありますか?」
「それくらいあるに決まってんだろ! オレが孤児だからって馬鹿にしてんのか!」
「いえ、エルマさんのことはどうでも。私が訊ねるのはチョコレートそのもので、みな型に流し込まれたものであることです」
「型に……?」
「多少の違いはあれど、形は同じ。中はアーモンドでも、ヌガーでもよい。形さえ嵌まっていれば、何を入れてもよいのであります」
ちなみに私はミルクがいいですとクロエは言う。
「見た目と、本来の味を損なわなければ何でもよいのです。規則に従えば優秀、従わなければ出来損ない――そう見えますが、逆もあります。出来損ないでも形になれば、新しいものであります。不完全な我々が減点されないのは、エルマさんが別の形を作り始めているから、と私は思うのであります」
皆が納得したように目を瞠っていた。
エルマもまた、おおと感激している。
「そ、そっか、お前いい奴だな……」
「なので、これからも落ちこぼれの愚民でいてくださいであります! 我々が楽でいるために!」
エルマの握力がクロエの顔にかかったのは、その後のことであった――。




