1.自分の日常は、他人も同じに送っていると限らない
冬風の流れる音が、寒さを強めている。
隙間風のない学校は多少マシだが、ガラス一枚隔てた廊下は凍てつく寒さに変わりない。それが玄関ロビーならなおさらだ。
この日、実習授業を行うとバークルに告げられたエルマたちは、炭火を入れた鉢の心許ない暖を頼りに、身を震わせながらロビーに整列していた。
「――仕える主人がいつ命を狙われるか分かりません。襲撃を受けると真っ先に犯人と遭遇するのは、あなたがたメイドたちです。その時、悲鳴をあげて逃げ惑い、へたり込むのは使用人失格……いかなる時でも対処出来る備えが必要となります」
「始まりから意味が分からん」
隣でクロエが、シッと口に指を立てた。
「先生の話はもっともであります。先月もさる御方が襲撃を受けたものの、我が校の卒業生がそこに勤めていたことで、難なく犯人を取り押さえられたようです」
「いつからこの国は修羅になったんだ……」
「平和に顔を出すのは、宗教と成金とチンピラでありますれば」
「ったく……年寄りの戦争苦労譚で終わっとけよな」
「民とは常に何かに悩まされる階級でありますよ。教育は治安に繋がり、治安へのコストは経済や発展の足を引っ張る。何も見ずに済むから宮仕えをして、誰かに思考を委ねるのは愚かの極みであります」
静かに、とバークルは二人を注意した。
「能力を手に入れても、いざという時にパニックになっては意味がありません」
確かにその通りだ、とエルマは頷く。
有事で求められるのは日頃の心構えだ。なまじ普通と違って特別な存在であれば、混乱は無関係な人を巻き込みかねない。
特に、子供たちへの意識は。
泣きわめいて動けないならまだしも、慌てふためいて右往左往する。それを蹴飛ばし、大人たちが怒声を浴びせてショックを与える二次被害もあった。
「先生。子供を含めた避難訓練もするのか?」
「今回はしませんが、後で二班に分かれて行ってもいいでしょう」
そこに、ソフィアが「はい!」と元気よく挙手した。
「私の能力で、赤ん坊の訓練人形などを使うのは――」
「却下です。絵面が恐怖すぎます」
みゅう……とソフィアは肩を落とす。
「その方面もミス・エルマが明るいでしょうから、指導をお願いします」
「よっしゃ任せとけ。……って、“も”って何だ?」
「襲撃犯の役“も”お願いします」
「何でオレが」
「その品性と素養のなさ、躾の悪さは実践的だと判断しました」
エルマは眉を寄せて唇を尖らせた。
反論出来ないのも、クラスメイトが納得の表情を浮かべるのも悔しい。
「……わーったよ。それでどういう風にしたらいいんだ?」
「あなたが思う犯人像で構いません。実際の犯人も、こちらの希望通りにやってくると限りませんから。まあ今回のテーマは『凶器を持った人』でいきましょうか」
「凶器ねえ……んじゃあれか。クロエ、ナイフ貸せ」
「モッテナイデアリマス」
「嘘こけ、いつも腿に隠してんだろ」
「ちぇー……気づいてたでありますか」
「へへへ、風呂に入る時にな」
クロエは左手をスカートに手を入れ、刃渡りの短いダガーナイフをエルマに渡す。
「んじゃやるぜー」
それを握ったエルマは玄関門の外へ。
確かあの日の出来事は――つかの間、目を閉じて記憶を巡る。よしっと気合いを入れてから、思い切り扉を蹴破った。
「――オラァッ、テメェらうちのガキをどこに隠したやがったァッ! 女房とここにいんの分かってんだ、出せゴルァッ!」
ドスの利いた唸りをあげながらナイフを振り回す。
たちまちクラスメイトはヒィッと悲鳴をあげ、怯えた。
「さっさとしやがれ、ブッ殺すぞッ!」
切っ先を向けた直後、バークルは両手を振ってこれを中断した。「ストップ、ストーップッ!」
「何ですかそれは!」
「何って、孤児院に避難を求めた母子を連れ戻しにきた暴力親父だけど」
「そういう特殊ケースな不要です。それに最初から振り切れすぎています」
「ええー……まだ三段ブーストの一段目すら切ってねえよ……」
「どれだけのとこに住んでたんですか……もっと日常から突然起こるような感じのです」
日常……エルマは片手で肘を支え、顎に指をかけて考える。
ガラの悪い大人や、悪意を向けるのは思いつく。だが、どれも“イイとこ”の家に現れる存在にそぐわない。
「神の声がどうたら言いながら、鈍器を片手に徘徊してる女とかは?」
「交代!!」
バークルはクロエを指名した。
「納得いかん」
「エルマさんはここに来てよかったでありますな……」
仲間が切ない顔で、うんうん頷く。
「さて、日常に突然起こる事件でありますな……よし」
クロエは咳払いを一つ。
そして、悪らつに口元を緩めながら髪をかきあげた。
「妾の分際で、ずいぶんと大きい顔をしてくれましたわね。せいぜい今のうちに残る命を満喫して――」
「交代です」
「むう、やはり本妻側についた幹部も必要でありましたか」
「否。メイドが対応出来る段階を百ほど飛ばしているからです」
次はヴィヴィアンが指名された。
「わりゃらッ、うちのシマをよう荒らしてくれったのう。礼はたっぷり出してやるけえ、往生せぇやッ!!」
「交代なさい」
「組合は割と見境ないですけど」
「それは南のだけです」
次に指名されたのはリリーだった。
「おーっほっほ、私は高貴ゆえ最も可能性がありますわよ!」
リリーは右手を掲げると、
「館を焼けェーッ!! 我らを踏みにじった貴族への恨みをここでッ、民よ今こそ立ち上がれェーッ!!」
「そこまで行ったら手遅れでしょう」
「手遅れでしたわ」
彼女も肩をすくめ、戻って行った。
「先生」
クラスメイトの一人が手をあげた。
「私たち、働ける自信がありません」
「大丈夫です。こんな特殊イベントはメイド人生で一度あるかどうかです」
――人生で一度ある特殊イベントが日常だった自分たちは。
ソフィア以外、エルマたちはみな眉をよせ、唇を尖らせていた。




