2.さっそくトラブル
ここに到るまでの筋道などなかった。
孤児院の前に棄てられた赤子から始まり、16年を過ごした孤児院を出されたのは、9月を迎える2日前のことだ。
勉強は嫌いだ。
大人に従うのはもっと嫌いだ。
未来なんて、サイコロの1が出ても分かりやしない。それでも、行く当てがないことだけは分かっていた。
そう。分かってはいたのだが……。
(何で、こんなトコに通わないといけないんだよ……!)
孤児院では野良犬のように見られてきた。
それが今はメイドの服を着て、入学式の列に並ぶ……意味も分からないまま、同じ恰好をした女たちに加えられ、エルマは目眩がしそうだった。
講堂での式典を終えると、教室へと移動する。やっと居心地の悪い緊張から解放されたと思ったのだが――。
「ちょっと、何ですの貴女!」
入るなり、いきなり金切り声がぶつけられた。
「な、なんだよいきなり!?」
「その恰好ですわ! 髪はボサボサ、エプロンの紐は固結び! カチューシャなど乗せているだけでありませんの!」
「しょうがねえだろ、着方なんて知らねえんだから。……てか、オレの恰好を言うならお前はどうなんだよ」
「私? 私のどこに粗相がありまして?」
「髪だよ、髪! 何だその巻き貝みたいな頭」
女は長い金髪をこれでもかと盛り上げ、挿したピンを輝かせているのだ。
エルマが“巻き貝”と呼んだことで、周りの女たちは肩を揺らす。
「何ですの?」
しかし、女にギッと睨まれ、みな慌てて貝のように口を閉ざした。
「庶民には分かりませんわね。高貴な者には相応の格好を、というのがあるのですわ」
「高貴って、お前そんなに偉いのか?」
「……まあ田舎者には遠い存在でしょうし、今日のところは許して差し上げますわ。この私、リリー・ハートウェルの名を頭に刻んでおきなさい。おほほほ!」
「何だこいつ……」
どこかで『ハートウェル……?』と、首をかしげる声がした。
女には聞こえていないのか、懐から扇子を取り出して優雅に扇ぐ。
「――みなさん、席に着きなさい」
そうしていたところに、二人のメイドが教室に入ってきた。
上の学年だろう。新入生たちは慌てて自分の席についてゆく。エルマは周囲を探し、残っていた中央列やや後ろの席に座った。
「間もなくミス・バークルがこられます。それまでに、我々が挨拶の仕方を指導します」
上級生から漂う風格はすでにメイドだった。
学校は2年制だが、1学年違うだけでこうも差が出るのか。冷たい雰囲気を纏い、使用人としての姿を見せつける。
「まず授業が始まる5分前には席についておくこと。そして先生が入ってくると同時に係のものが『起立』と号令をかけます。その係は……扉に一番近いあなたがしてください」
「は、はい……!」
「基本的に私語は禁止。休憩時間でも教室では椅子に座ったまま、背筋を伸ばし膝に手を置いた基本姿勢で待機です。先ほどのような馬鹿騒ぎは今後一切せぬように」
棘のある言葉に、新入生たちの殆どが目を伏せた。
(チッ……偉そぶりやがって……)
胸の中で舌打ちをするエルマは、ふと先ほどの居丈高な女が隣席にいることに気づいた。
確か名前はリリー・ハートウェルだったか。
自分と同じように反発心を抱いているらしい。……が、気位の高い性格のためか、鋭い目は感情を隠すことを知らないようだ。
しかも人一倍に目立つ髪をして、一人だけ鷹揚に扇子を揺らす……となれば、否が応でも目につくのは当然である。
教壇にたつ上級生が、じろりと視線を投げかけた。
「貴女、不満のようね」
「そのようなことはございませんわ。今まで見てこなかったタイプなので、感心しておりましたの」
「……何?」
「後輩の前で粋がる小物なんて、空想の産物だと思ってましたわ。おほほほ……」
ギリッと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。
だがその直後――
「あぐ――ッ!?」
椅子が倒れる音が響き、教室が騒然となる。
いったい何があったのか。もう一人の上級生がツカツカ近づくと、左手でリリーに喉輪をかけ、身体ごと持ち上げたのだ。
リリーは両手でその手首を掴みながら、両目を開いて苦しく藻掻き続ける。
「……言ってくれんじゃん、クソガキ」
「やめなさい。大人げない」
「うるさいよ。こんなのは甘やかすとよくない――なあ、ご立派なお嬢さん」
上級生は、片方の手でリリーの髪からピンを抜いた。
「う゛う゛……ッ!?」
「ふざけた髪してよ。ここを何だと思ってんだ、ああ?」
髪ごとむしり取るように、ブチ、ブチと痛ましい音を立てる。
そのたびリリーは短く呻き、言葉を失う新入生の前で、指に絡んだ千切れ髪が床に散った。
弱い者が囲まれて、周りが黙る。
エルマには見慣れ光景だった。施設に入るのを拒み、路上に蔓延る孤児たちは、多かれ少なかれ“自業自得”な目に遭う。たとえ理不尽であっても――。
リリーも自分で撒いた種だ。
最後のピンが取られる頃には、彼女の髪は惨めな形になっていた。
「ナメんじゃねえぞボケが」
喉を絞めていた手が離され、床にうずくまるリリーに吐き捨てた時である。
「――へえー、メイドって手癖悪いって言うけど本当なんだな」
エルマは椅子を揺らしながら言った。
「……あ?」
「この高慢ちきのヘアピン、高そうだもんな。袖に入れたくなるのも分かるよ」
先輩メイドはハッとなって袖に手をやった。
エルマは見逃さなかった。
髪ごと毟るその途中、上級生の指先がわずかに袖口へ滑ったのを。抜けたピンのうち、金具の立派な二本だけがさりげなく消えたことを。
「お前、昔から似たことやってただろ?」
「な、何を根拠に……!」
「孤児院で育ってるから動作で分かんだよ。裏道育ちのガキどもと同じだ」
「ふざけんな――ッ」
先輩メイドは先ほどと同じく拳を宙に掲げる。
だが、エルマはそれよりも早かった。
「うらあッ!!」
「おご――ッ!?」
一瞬で間合いを詰めて、その顔に拳を振り抜いていた。
上級生は吹っ飛び、背中から床に落ちる。その衝撃でピンが袖から落ち、カラカラと音を立てた。
「オレは別に高慢ちきを助けたいワケじゃねえ。逆らえねえ相手をいたぶるのが、気に入らねえだけだ」
「や、やめ……ッ!?」
鼻血を出し、拳をふりかぶるエルマに悲鳴をあげた時だった。
「――そこまでになさい」
教室にバークルが現れた。
「ミス・リンダ、医務室にゆきなさい。そして1時間後に私の執務室へ」
「は、はひ……」
リンダと呼ばれた先輩は、逃げるように教室から出てゆく。
それからもう一人の方を向いた。
「ミス・サリー。貴女がいながら何という始末です」
「申し訳ありません。注意しましたが聞き入れられませんでした」
バークルは特に追求する気はないらしい。
会話はそこで終わり、教壇に立って新入生たちを向いた。
「ミス・エルマ、ミス・リリー。席に座りなさい」
二人揃って席につく。
リリーは顔を赤く、泣いているのかとエルマは案じたが、
「リンダ……リンダ……その名前覚えましたわよ……! 絶対に……ぶち殺してくれますわ……ふふふ……!」
思ったより大丈夫そうであった。




