1.灰色の町とメイドの学校
長い田舎道を抜けた馬車は、今度は石畳の上を進み始めた。
どうやら目的の町に入ったようだ。足を組みながら窓の外を眺めていた少女、エルマはそう思った。
エルマの隣には教師の男がおり、その正面には新聞を読んでいる紳士風の老人がいた。
「――失礼ですが、あなたは孤児院の方ですかな」
老人は読んでいた新聞を丁寧にたたむと、教師風の男が人がよさそうな顔で頷いた。
「ええ。この子が16歳になり、施設を出ることになりましたので」
「なるほど。ここウィルブスは大きい町だ、働き口には困らんだろう」
「いえ、働くのではなく学校に入れようかと」
「学校?」
老人の目が少女に向けられた。
水色の薄汚れた孤児院の制服。ぼさぼさの赤い髪に日焼けした肌、化粧気がない顔にはそばかすが浮く。
見た目ではなく年齢を気にする視線が煩わしく、外を眺めていた少女は、横目で老人を睨んでから鬱陶しそうに鼻を鳴らした。
「口うるさい老人の言うことだが――」
馬が激しく嘶いたのはその時である。
車体ごと大きく揺さぶられ、進行方向に背を向けていた老人は、わっと声をあげて杖と一緒に転がった。
揺れはその一度だけだ。しかし車外が騒々しく、怒鳴り声のようなものまで聞こえてくる。
老人は落ち着くのを確認してから、床にへたり込んだ恰好のまま、何事かと苛立ちあらわに御者を振りかえった。
「物取りのようでさ。若い娘さんのカバンがやられたようだ」
「またかね……やれやれ、迷惑なことだ」
「あんな子供から盗んだって大した稼ぎにもならんと言うのに。物取りの質も随分と落ちたもんだ」
「近くにギャングが住み着いてからこうだ。警察省は何をしているのやら……」
「政府が出来ても王政時代の貴族が揉めて、まとまらないのも理由だろうね」
窓の外にはその光景が見えた。
物取りは罵声を浴びせながら通行人を押しのけ、向かいの歩道に駆けてゆく。警官のけたたましいホイッスルが鳴るも、人々は治安をそれに任せるばかりだ。
馬もしばらく不満気に鼻を鳴らしていたが、御者のなだめにようやく機嫌を取り戻し、車輪を回し始めた。
「エルマ、野良犬のような気質の君だ。ああいうのを見たら追いかけたくなるだろうが、マーサルと違って物騒だから警察に任せて――」
教師風の男が向くも、そこにエルマはいなかった。
まさか、と振り返ると、
『ひいッ、ひいィィィーッ!?』
『ガキから盗んでんじゃねえぞッ、この野郎!!』
往来のど真ん中で物取りの胸ぐらを掴み、地面に向かって背負い投げるエルマの姿があった――。
◇ ◇ ◇
物取りは若いごろつき風の男だった。
金が必要だったらしい。馬乗りになって殴ってから、少女のバッグを取り戻した。
それで済む話だったが……。
「お、お巡りさん、助けてェ……!」
殴られた男が、情けない声で警官の裾にすがった。
エルマ的には二、三発のつもりだが、十発は軽く越えてボコボコである。
その様子に警官は舌打ちをして、駆けつけて謝る先生を見た。
「協力は感謝する。だが出すぎだ」
「申し訳ありません。よく言っておきますので……」
警官の態度は明らかに上からで、エルマはムカッときた。
悪い奴を捕まえたのに、なぜ怒られなければならないのか。
いやそれよりも――。
「それにその恰好は孤児院か。親無し子はこれだから——」
「……あ? 今なんつった?」
エルマが目を変えた瞬間、横から孤児院の先生がこれを捕まえ、押さえ込んだ。
「も、もう犯人も捕まったことですし、我々はゆきますね……! カバンを取られた娘さんにもよろしく。ではでは……はははは!」
「ぐるぁーッ、離せ、離せェーッ!」
藻掻くエルマを抱きかかえ、そのまま馬車に放り込む。
席に座らされたエルマは再び出て行こうとせず、ガルル……と牙を剥いて警官を睨みつけるだけだ。
合図を出すと、御者も察してすぐに馬を走らせる。同乗していた老紳士はずっと目を丸く、呆気にとられていた。
「孤児を馬鹿にしたり、下に見ると手がつけられなくなりまして……」
エルマはまた窓の外を眺めだす。
ため息を吐いて肩を落とす先生に、老紳士は心底同情した様子で眉を下げ、無言で頷き続けていた。
◇ ◇ ◇
馬車の到着先は、まるで城かと見まがう建物であった。
エルマは疲れ果てた教師の姿など意にも介さず。先ほどまでの怒りもすっかり忘れ、正面の建物を前にして呆然と立ち尽くした。
「すっげえ……こんなモンが世の中にあんのかよ……」
「これがエルマが通う学校〈ローズフィールド王立家政アカデミー〉だよ。我が国で歴史ある建物の一つと言ってもいい」
とにかくデカい。これが学校なのか。
簡素ながら重厚感があるアーチ門。そこから赤と黒のレンガを敷き詰めた歩道が伸び、見える限りに手入れを尽くした庭園が広がっている。
「学校に入ったら真っ直ぐ職員室に行って、バークルという先生にその書類を出すんだよ」
「わーってるよ」
「出来るかい? なんなら僕もついてゆくけど」
「いらねえつってんだろ。ガキじゃないんだから」
エルマは鬱陶しそうに頭を掻いてから、アーチ門に向かって一歩踏み出す。
「……今まで、ありがとな」
振り返らず校門を潜る。
行き先を自分で決めた覚えはない。けれど、ここが新しい家なのは確かだ。
円形の池がある左右対称の庭園は、花壇に生け垣、池に噴水……見たこともないものばかり。どこもキラキラと光り輝いていた。
その足元に細かな石が散らばっている。踏むと滑るので、目立つものだけ靴で脇へと撥ねた。
――ガキじゃないんだ
自分の言葉を繰り返しながら、足を前へと進める。
道の果てにあるのは装飾の施された、真鍮の取っ手が輝く扉。エルマはひと息吐いてからそれを掴むと、扉は重い音を立てながら開いた。
その向こうには一人のメイドが控えていた。
「ようこそいらっしゃいました。本日はどのようなご用件でしょうか」
「え、えっと、職員室で、バークル……って先生に……」
しどろもどろになりつつも、エルマは何とか言葉を探り当てた。
「ミス・バークルでございますね。ご案内いたします」
メイドは音も立てず歩みだした。
(すっげえ……学校にこんなのまでいんのかよ。どんだけ金持ちだ)
こんな丁寧な挨拶をされたことは、人生で一度もなかった。
それが嬉しいのか、落ち着かないのか、自分でも分からない。驚きつつも、自分が少し偉くなったような気がした。
だけど、ここは何なんだ……?
空気は冷たく、閉ざされた重苦しい静寂。メイドについて歩く通路は、城のような外観のまま重厚そのものだ。ある区画など、朱色のカーペットが果てなく続き、陽のあたる側はガラス窓が一面を覆って、幻想的な光景を醸していた。
馬車から街を眺めていると、大きな工場などに蒸気機関なる最新の設備が見受けられた。
だが現在いる学校はそれを感じない。どちらかと言えば時代の流れとは無縁な世界で、独特な歴史を紡いでいるようだ。
案内される部屋に着くまで、エルマは口が開けっぱなしだった。
「ミス・バークルはこちらの部屋にいらっしゃいます」
「あ、ども……」
エルマはメイドに恐縮してから、案内された扉の前に立ってドアノブを引いた。
思ったよりも重く頑丈な扉だ。蝶番の軋みを細く響かせた先は赤絨毯が広がり、奥のテーブルに眼鏡をかけた中年の女が見えた。
「何かご用でしょうか」
眼鏡越しに、女の黒い瞳がギロリと光る。
「え、えっと……バークルって人は?」
「はい。私がバークル・ウィスタットです」
「そか! あーその……今日からここ通うことになってる……はずだけど……」
「名前とその書類はございますか?」
「あ、ああ、これ書類! マーサル孤児院から来たエルマって言います!」
エルマは無作法に、手にしていた封筒をずいと突き出す。
バークルと名乗った女は気にしないのか、表情を変えずに封筒を受け取った。
「拝見いたします」
これは先生なのだろうか。それとも校長や教頭のような人物か。
いずれにせよ堅苦しいったらありゃしない。
一枚ずつ、一文字も逃さないよう眼鏡を光らせ、ぱら、ぱら、とめくれる紙の音すら緊張を煽る。
(こ、孤児院でのイタズラとか書かれてないだろうな……? ここで怒られるとか嫌だぞ……)
無表情のまま最後の一枚まで読み終えると、彼女は書類を机に揃えてから、じっとエルマを見据えた。
「書類に相違はないようですね。ミス・エルマ、貴女の入学を許可しましょう」
「う、うし! それじゃあ、今日からよろしくお願いします!」
ニッと笑みを浮かべて握手に手を伸ばすも、バークルは冷たい表情のまま。
むしろどこからか畳んだ服を持ち上げ、それを何の違和感を与えないごく自然な仕草で、エルマの伸ばした手に乗せた。
「……何これ?」
「メイドのワンピースとエプロンです。間もなく入学式が始まるので、このまま更衣室に向かってください」
メイド、と首をかしげるエルマ。
「メイドになるんじゃなくて、学校で勉強するって聞いたけど?」
「働くのではありません。学ぶのです」
「へ……? じゃあ何でメイドの服に着替えんだ?」
「なので、学ぶのです」
「いやいや、言ってることが分からねえって。メイドの格好して勉強するってえのかよ」
「その通り」
バークルは初めて笑みを浮かべた。
「ここ〈ローズフィールド王立家政アカデミー〉は、気品や素養を身につけ、一流の使用人を目指す養成学校です。――ちなみに、先ほどからの振る舞い、言葉づかい、全部いけませんから、授業までに直しておくように」
「ちょ、ちょちょちょちょ――!?」
エルマは汗を浮かべて狼狽した。
「き、聞いてねえって!? な、なんだよメイドの学校って……てか、メイドって あのメシ運んだり、掃除したりするやつ!? あれをオレがすんの!?」
「今回、学校は随分と風変わりなのを選んだようで」
「い、嫌だって!? そんなの聞いてねえし、お手伝いさんなんか絶対無理ッ……って押すな!? オレはまだやるなんて……や、やめろぉぉぉぉぉー!?」
何もかも分からないまま部屋を出されると、今度は外に控えていたメイドに引きずられ、更衣室に放り込まれる。
これが孤児からメイドとなる、エルマの始まりであった――。




