9.男の職場へ
色恋は若いほど留まるのを知らない。
男女の巡る機会も少なく、閉鎖的な空間にいれば自ずと近くに目がゆくもの。使用人同士で恋愛関係に陥るのも仕方のないことだが、だからと許していては規律が失われてしまう。なので屋敷においては、交際は階級に定められていた。
学校においても男女のあり方は同じらしい。
男たちが学ぶ執事課は、女たちが学ぶメイド課の棟の反対側に置かれ、行き来には二階の連絡路のみ。訪問するには教師からの許可証が必要だった。
「――あの一階のロビーにある、妙ちくりんな像なんなんだ?」
「初代校長が作ったものだそうであります」
エルマは吹き抜けに面した廊下を歩いていた。
連絡路に向かう途中である。見下ろすロビーには、青銅で出来た巨大な傘が広がっていた。
「確か【偉大なるメイドの像】という作品だったはず」
「スケールがデカいのか小さいのか分からんな……」
ヴィヴィアンも一緒になって覗き込む。
「今度の掃除当番は私たちの学年だよね」
「こんなのやらされる奴、可哀想だなー」
掃除は毎朝一時間、各個人が決められた担当箇所にあたる。
屋敷を美しく見せる基礎であり究極だとして、埃や拭き残しなど隅から隅まで一切の妥協を許さない。最終チェックは教師が行うので、生徒たちはみな恐々としてその判定を待つのだ。
「――で、執事課に行く手はずは大丈夫ですの?」
連絡路が見えてくると、リリーは案ずるように訊ねた。
クロエは『少し高くつく』と言うも、その手には何も所持していなかった。
「バッチリであります。それに、今月の当番は執事課側でありますので」
一行はいよいよ連絡路に差し掛かる。
真っ直ぐ伸びただけの、普通の廊下と同じ。さしあたり中央の位置に、独房に使われているような厳重な扉がある程度だ。
見張りもおらず、先頭にしたクロエが鉄扉の前に立つと、いきなり拳を横殴りに二度叩いた。
「――何だ?」
鉄扉には覗き窓があり、音を立ててスライドしたそこから厳めしい男が目を覗かせた。
「ここを通りたいんだけど」
「……許可証は?」
「これで」
クロエがポケットに手を入れ、取り出したのはタバコだった。
「ミュラッティのターキ葉」
「ほう……」
慣れた手つきでスッと三本出すと、男はしばらく黙した。
それは馬鹿にされたとの怒りとも、タバコの香りを確かめる沈黙とも取れる。しばらくすると、指を出してクロエが差し出したそれを受け取った。
……が、
「口止め料として受け取ってやる」
男は言って、再び覗き窓を閉じた。
「こんにゃろ――!」
受け取るだけ受け取って終わりか。
エルマはムカッと扉を殴ろうとするも、クロエは無言で手の平を向けてこれを制した。そしてそうしながら片手に持ったままのタバコを一本、口に咥えてから火入れを出してこれを点す。
ふー……と一息。
それから再び、扉を叩く。
今度は殴るのではなく、カンカンと誘うようなノックで。すると再び、覗き窓が開いた。
「これを忘れてる」
クロエは艶っぽい声でタバコの吸い口を差し向ける。
一見すると悪あがきに見える安い誘惑だが、次の手はひと味違っていた。指で挟むタバコの下で、小銀貨を挟んでいたのだ。
「……」
男は窓から再び受け取り、また閉ざした。
先ほどと同じか。と思った矢先――扉は重々しい音を立て、鍵の外れる音を響かせた。
「換気が必要だ」
ウィンクを残し扉を潜ってゆくクロエを、一行は慌てて追いかけた。
◇ ◇ ◇
「――お前、すげーな!」
連絡路を渡りきって角を曲がってすぐ、エルマはこれを湛えた。
「えへへ……母から教わったであります。女の四十八手の第二十番〈関所越えスペシャル〉という鍵開けの技で」
「どんな普段してらっしゃるの、貴女の家は……」
男は銃を持って家を守る。女は知恵を持ってこれを支える。
調略や籠絡には対話が重要で、そこに用いられるのがタバコとなる。酒は思考を鈍らせるので警戒されるが、これを女は色香を用いて容易く懐にもぐり込む。
彼を知り己を知れば百戦殆からず。
タバコや酒、香水など、凋落の多くは酌婦と変わらない。
だが多くの男を誑かしてきた手管は、その世界で食ってきた武器である。武器を知れば防具にもなる。
技能が目に見えない暗器なら、軍人の娘としてこれを軽んじず、いかなる場でも応じられるよう教え込まれたと言う。
「ひょっとして、貴女の家は諜報機関の――」
「ノン。うちは普通の妾宅であります、はい」
執事課の様子は、自分たちのメイド課の棟と明らかに雰囲気が違っていた。
造りはほぼ同じである。だが張り詰めている空気に清涼感がなく、汗臭い。そして緊張に満ちた“仕事場”の気配に満たされていた。
「倉庫とはどこでしょうかあ」
「執事課の地図はまだ手に入ってないしね。うちらの棟と同じなら二階だろうけど」
「うしっ、じゃあ訊いてみっか」
訊くって誰に、とヴィヴィアンが返そうとするよりも早く、
「――おーい、遊びにきたぞー!」
忍び入っている自覚ゼロに、エルマは廊下から大きな声で叫んだ。
「ちょ、ちょっと、何してるんですの!?」
「何って、あいつらオレら来てんのに気づいてっし」
階のいたる所から覗く気配がする。
エルマの呼びかけに反応したのか、執事服を着た彼らが物陰から顔を僅かに覗かせ、じっとこちらを窺ってきた。
「オンナ……オンナ……」「タチサレ……」
「ナゼ……ココニ……」「ワナ……コワイ……」
「ワザワイ……キタル……」
「何で片言ですのこいつら……」
「女から断絶されすぎてて、原住民と化しているであります」
背後から何人かが身を屈めながら近づいてくる。
その様子は初めて女という生物を見たかのように、恐る恐る観察してきた。
「うほうほ言いだしたりしてな」
「流石にそこまで退化はしないでありますよー」
言っていると、一人がリリーに近づき、人差し指で肩をついた。
「ウホッ、ウホホホッ、ウホッ、ウホッ!!」
「ウホホホーッ!? ホホッ、ホホホッ、ホホーホホッ!?」
「どこまでアホですの!!」
猿人化した男子たちは手を叩いて喜び合っている。
彼らが進化し、人語をまともに使用出来るのは少し時間を要した――。




