8.噂とエルマの価値観
戦闘を終えてからエルマは寝ようとしたが、みなに捕まって風呂へと連行された。
流石に『くさい』と言われ、そのままでいるのも気持ちが悪い。クラスメイトたちは戦勝祝いだと賑やかに、エルマも乗せられるように脱衣所で服を脱ぎはじめた。
「孤児院のお風呂はどうだったでありますか?」
「蒸し風呂だったな。まあ頻繁じゃないし、普段はタライに水張ったり、タオルで拭くぐらいだけど」
「そこは世間一般と変わらないのですね」
「湯を張ったこんな贅沢なのは初めてだけどな。泡つけて滑ったり、浴槽で泳いでいいなら毎日入れんだけどさ」
「私も同じであります」
クロエと笑い合いながら服を脱ぎ落としてゆく。
横でリリーが「子供か」と眉を寄せつつ、エルマが黒いワンピースを脱ぎ、下着を外した胸に注目していた。
「何だよ」
「別に」
と言いながら、フッと勝ち誇った目と笑みを浮かべる。
自分の方が立派だと言いたいのだろう。軽く背を反ってアピールするリリーの乳房は、確かに色や形も整っていた。
「ふむ?」
反対側から首をかしげたのがヴィヴィアンであった。「妙だよね」
「エルマさんは我々と同じ歳のはず。なのに、この……?」
「乳首か? 子供におっぱいあげてたら誰もこうなるだろ?」
それと聞いた途端、脱衣所にいた女たち全員がぎょっと振り向いた。
「け、経産婦でありますか!? その歳で!?」
「オレは産んでないけどな」
「んん?」
クロエは首をかしげた。
「……いや、変だと批難するわけではないのですが、私もヴィヴィアンと同じように気になるであります。その形状は確かに経産婦の……」
「一昨年の冬だったかな。うちの孤児院って、たまに産まれたばかりの赤ん坊が放り込まれんだけどよ、その時、お乳出る大人がいなくてな」
重湯などで凌いでたが、やはり栄養が薄くて弱ってくばかり。
何としてでも母乳が必要だった。
――女なら出るなら、オレもいけるんじゃね。
そう思ったエルマは、胸を出して女の突起を赤子の口に含ませた。
当然ながら吸っても出てこず、赤子は不満で噛んだりするものの、やはり母親の体温を求めるのか離れようとしなかった。
重湯の時に比べて穏やかなその顔に、エルマも胸が温かく、授乳の真似事に乳首を吸わせ続けた。
「んで、しばらく吸わせてたらさ」
「吸わせてたら……?」
「おっぱいが出るようになったんだ」
えええっ、と脱衣所に仰天声が反響した。
「た、確かに犬や猫などでは聞きますが……いやまさか、赤子の世話の訓練で『おっぱいもあげた』というのは……?」
「いやー、あん時は嬉しかったぜー。もうガキが幸せそうに吸ってよ、みるみる元気になってくんだから。3ヶ月くらいで養子に引き取られたけど、あいつ今でも元気してっかなー」
「そ、それでそんな形状に……。確かに背に腹は代えられない状況ではありますが、その……エルマさんはいいのでありますか……?」
「いいも悪いも、そもそも興味ねーしな」
「私、感服しましたであります……!」
クロエはビシッと敬礼をする。
「んなご立派なもんじゃねえよ。オレみたいなのは世間を親にして、ガキの駄々で呪ったり、権利や平等をせびる資格はあっけど、必ずそうしなきゃダメとかじゃないからな。助けてやりたいと思ったからやった、ただの気まぐれだよ」
孤児院の教師たちも、お乳を与えているのを知っていたのだろう。
一人目が引き取られてすぐ、新たな赤子が孤児院に預けられたが、その時は露骨に『誰もエルマに気づかない時間』を与えられた。
自分は年齢すら不確かだ。
はっきりと存在するのは、自分は『女が孕んだから存在する』ということだけ。木の股から産まれたわけでもなければ、男が産んだわけでもない。
口にした言葉は本心だ。
エルマにとって授乳という行為に意味は持たず、必要な時に必要な行動を求められた、時が流れるままの過程に過ぎないのだ。
「あいつら何て名前もらったんだろうな」
エルマが懐かしんでいると、突如、横から嗚咽のような慟哭が聞こえてきた。
「うううっ、ひぐっ、う、ううう……っ」
「な、何だよ高慢ちき!?」
「わ、私……今日まで自分がこんな浅はかだと思いませんでしたわ……そんな事情とは知らず、『やはり私の美チクには叶わない』なんて……」
「美チクって何だよ……」
「私、決めましたの……! これからは元貴族という驕りなどで見下ろさず、カスどもの目線に合わせるよう努めると……!」
「おーい、お目がまだ空高い位置にあんぞー」
こいつの目線は地べたを這っても変わらないだろう。
エルマは石鹸を手に、リリーを置いて浴室の扉をくぐった。
◇ ◇ ◇
身体に泡をつけて垢を落とす。
汚れすぎているせいか最初はなかなか泡立たなかったが、何度か繰り返してやっと人並みになっていた。
「私、とても羨ましいです。赤ちゃんのお世話をするのが夢ですから」
その間、ずっとソフィアが輝く目を向けてきていた。
「ソフィアなら余裕だろそんなの。むちむちふわふわの身体で顔もいいんだし、見合いでもすれば、地主すら次男や三男を離婚させてでも申し込んでくるよ」
「そうじゃないんですう。誰かの赤ちゃんを世話したいんですよお」
人間は共同繁殖をする種なので、他者が養育欲求を持つことは珍しくない。
それは血縁のみに限定されず、将来の親になるための練習になったり、親としての思考が他者へ助けに繋がるなど、有利に働くからだ。
「肉体の魅力で言えば、エルマさんもだと思うであります」
「よせやい、そんなん興味ねえんだから」
「欲しない者に与えられるもの……世の中の理ですが、持たざる私には羨ましい限りであります」
クロエの肉付きは全体的に薄い。
言うなれば引き締まった肉体であるが、魅力となる柔肉まで引っ張っているような印象だ。
「そういやお前、男漁りしにきたんだっけか」
「ノン! 人聞きの悪い!」
ははは、と笑いながら泡を流し、湯船に浸かる。
湯は熱めだったが、買い物から争奪戦とハードな一日を終えた身体に染みた。
「赤ん坊の話で思い出したでありますが、執事課の噂をご存じでありますか?」
「噂?」
「我々が使用する赤ん坊の人形は、教師も知らぬ1個が増えているそうであります」
続きを待つとクロエが訥々と語り始める。
執事課に訓練用の等身大の人形がある。マネキンのような簡素な木人形だが、一つだけ人間にそっくりなものが存在している。それは細部まで作り込まれているため、女っ気のない生活を送る若い男たちは、倉庫に忍び込んでは秘密に使用しているという。
人形はそれを種に、新月の真夜中になると、ことん……ことん……倉庫の中で産み落とす音が聞こえるという、言わばどこにでもある怪談話だ。
「おう、その手のなら孤児院でもあったぞ。『いつの間にか無くなるクッキー』とか『いつの間にか消えてるパン』とか」
「それはどちらもエルマさんの仕業でありますか」
「分かったかー、にひひっ」
仲間たちと笑いあう浴室で、ソフィアは「人形……」と呟いた。
「ソフィアはマネキンが好きだっけか」
「マネキンに限った好きではないですがー……でも、いつの間にか増えている赤ちゃんの話と合わせて、興味あります」
「なんだ、怪談話が好きなのか。ま、ガキはどうせ、教師がこっそり買い足してるだけってオチだろうけどな」
教師たちも表だって男子生徒の行為を注意できない。
怪談話として存在するほどなら、古くから執事課の伝統として行われているはずだからだ。それを今になって断つことは、先送りにされた貧乏くじを引くのと同じとなる。
なので、角が立たぬよう怪談話をでっち上げたのが、実際のところだろう。
「細部まで作り込まれた人形……確かにあれはこの地域でしたわね……」
リリーは何やらブツブツ呟いている。
「クロエ。メイド課と執事課は、授業以外に行き来できませんわよね」
「通行自体は可能かと思われますが、ちょっと高くつくであります」
「お、怪談を確かめにゆく流れか?」
エルマは湯船をかいて近づいた。
「そんなものに興味はありませんの。私が知りたいのは人形の方ですわ」
「へえー、お前もそんな乙女なとこあんだな」
「私を何だと思っていて。貴族は人形など伝統工芸に目がありませんのよ、おほほほ!」
怪談はさておき、エルマも人形に関しては興味があった。
執事課についても訪れたことがなく、遊びに行くついでに確かめてみても面白い。
「うっしゃ、執事課とやらに乗り込んでみっか!」
チームでうんと頷くが、一人だけ反応がない人物がいた。
「ヴィヴィアン、どした?」
「……本が持ち込めないし、見えなくて……」
「お前の本体って、やっぱり本か眼鏡なのか……?」
ヴィヴィアンのトレードマークでもある大きな丸眼鏡は、湯気で真っ白に曇っていた――。




