#6 ごめんなさい、ごめんなさい…
胸を押さえ、膝をついた私の耳にエロイーズ様の声が聞こえてくる。
『神様の使徒である、聖女様の秘めたお力にすがっておきながら、聖女様へ醜い感情を抱く罪深い私に、どうぞ天罰をお与えください。』
エロイーズ様の婚約者様は、聖女の秘めた力により命を繋いだ?聖女の秘めた力とは、純潔を代償に得られる力。つまり、エロイーズ様の婚約者様と聖女は体を重ねた━━。
婚約者様の命が助かった代わりに、エロイーズ様のお心に深い傷ができてしまってたんだわ。
押しつぶされそうだった私の心臓は、今度は胸が張り裂けそうだった。
まさか、エロイーズ様の婚約者様というのは…。いえ、だけど…。クロード様は、3年前に婚約を解消したって…。
(あ…。そうよ。あの屋敷で聞いた話は、全部嘘だったんだわ…。)
どうして私は、クロード様に婚約者がいないという話は本当だと思っていたのだろう…。前伯爵様がお亡くなりになっているのは事実だけれど、その際、婚約が解消されたという話も嘘だったんだわ…。
クロード様には、今も婚約者がいる。そしてその方は、エロイーズ様……。
エロイーズ様の懺悔の言葉たちが、次々と私の胸に突き刺さる。
婚約者と聖女様の間に愛が芽生えたのではないか。純潔を捧げてまで婚約者の命を救ってくれた大恩ある聖女様に対して、嫉妬心を抱いている自分はなんて浅ましいのだろう。婚約者から、聖女様を第二夫人に迎えたいと言われたら、笑顔を取り繕う自信がない。むしろ、この婚約をなかったことにすれば、彼と聖女様は心置きなく結ばれるのではないか…。けれど、親同士が決めたこの婚約は解消されないかもしれない。政略結婚である私たちの間にはもともと恋愛感情はなかったけれど、彼の心に聖女様がいるとわかっている今は、彼と結婚しても私はきっと妻の義務を果たせません…。夜をともにしたら、彼と聖女様の情事が頭をよぎってしまうだろうから…。こんなにも心が穢れている私は、これからどうすればいいのでしょうか?どうか、迷える私に道をお示しください。
エロイーズ様はご自分を責めているけれど、エロイーズ様は悪くないわ。彼女はただ、婚約者の命を救いたかっただけだもの。悪いのは、偽りの愛に溺れてしまった私よ…。嘘だと気づいた上で、一夜だけでもいいからと、偽りの愛に身を委ねてしまったことが、こんなにもエロイーズ様を追い込んでしまったの。
(ごめんなさい…。ごめんなさい…。ごめんなさい…。)
私は心の中で何度も何度も謝り続けた。罪悪感に押しつぶされそうだけれど、私は苦しいだなんて言える立場じゃない。苦しいのは、お心が張り裂けそうなエロイーズ様の方だから…。
気づけばすっかり空が暗くなっていて、私とエロイーズ様は教会に隣接された修道院で一泊させてもらうことにした。用意してもらったのは、ベッドと机と椅子だけが置かれた一人部屋だった。
私は、エロイーズ様との相部屋ではないことに心の底からホッとしていた。エロイーズ様は、ご自分の懺悔を私が聞いてしまったことに気づいていない。それに、私がその聖女だと知らないのか、それとも知っている上であえて触れないのか、私の前では婚約者様の話題を出すことはなかった。
まさかここでも、化かし合いをすることになるなんて…。
(エロイーズ様とのやり取りは、イヴォンヌ様と接してるみたいだわ。)
一睡もできないまま、朝を迎えた…。寝るのを諦めた私はベッドから出て、泊めてもらったお礼に掃除をすることにした。
修道院の掃除の手伝いを終え、教会の外をホウキで掃いていると、後ろから名前を呼ばれた。
「アリーシャ殿!?」
聞き覚えのあるその声に、ホウキを握る手に力が入ってしまう。
(嘘…。そんなわけない…。)
「よかった。見つけられた。昨日からずっと、探していたのですよ。アリーシャ殿の行方を…。」
振り返らずにいると、その人は私の正面へ回り込んできた。
「アリーシャ殿??」
「どうして…?」
私の顔をのぞき込んだクロード様の笑顔は、記憶を取り戻したと伝える前と同じだった。
伯爵邸を出てきのは、昨日の夜明け前のこと。もう会うことはないと決意したのに、昨日の今日で再会してしまうなんて…。
「本当に申し訳ない!!謝っても許されることではないと理解している。だが…。それでも、あなたに働いてしまった仕打ちを謝罪させてはくれないだろうか?」
「…お体の調子はいかがですか?"伯爵様"。」
「伯爵様って…。」
(そんな泣きそうな顔をするなんて、ずるい。ご自分だって、私を『アリーシャ殿』って呼んだくせに。)
だって私たち、名前を呼び合う間柄ではないじゃない。だから呼び方を改めたら、あからさまに落ち込んでしまったの。
「見ての通り。アリーシャ殿のおかげで、ここまで回復することができたよ。本当に、ありがとう。」
「それはよかったです。」
彼の笑顔に負けないよう、私は精一杯つくり笑いをした。
「アリーシャ殿には、感謝と謝罪をどれだけしても足りないよ…。」
「伯爵様が率先して嘘をついたのではありませんよね?だって、危篤状態だったんですもの。ですが、あなた様の気がすむのであれば、謝罪を受け入れますわ。」
「…アリーシャ殿。できれば家へ戻って来てくれないか?母も使用人たちも、謝罪と感謝をしたがっているんだ。」
「いいえ。伯爵邸へ戻るつもりはありません。謝罪も感謝も必要ないので、もう放っておいてください…。」
「アリーシャ殿…。」
(あぁ、もうっ!だからそんな顔しないで!!抱き締めてあげたくなっちゃうじゃない!)
「では。俺を治してくれた治療代も、受け取ってはくれないのだろうか??」
「治療代??」
「フッ!!あははっ!本当に、お金の話には反応するのか!?司祭様の言った通りだ。」
「司祭様??」
司祭様って、あの司祭様??私を、ポーター子爵に売ろうとした?
「昨日、アリーシャ殿が家を去ったと知らせを受けて、俺は真っ先に教会へ行ったんだ。あなたが手を加えたであろう、残りの聖水を持って。そしたら司祭様の部屋に通され、あなたの行方について聞かれたよ。聞きに行ったのは、俺の方なのにさ。」
「…司祭様は、私を連れ戻すとおっしゃってましたか??」
「いいや。ただ、教会を出ていくなら部屋を片づけてからにしろと言っていたな。散らかった部屋を誰も片づけたがらなくて困っているそうだ。」
「待ってください!?普段は散らかってませんからね!!あのときは急いでいたので、荷物をまとめたあと片づける時間がなかったんです。」
「それで、まとめた荷物を持って塀を飛び越えたのだろう??」
クロード様は声を殺し、肩を震わせて笑っているわ。
「ええ、そうですわ!そして着地の際、勢いあまって伯爵家の馬車に突っ込んだのです。笑いたければ声を出して笑えばいいですわ!?」
「さすが、跳ねっ返り聖女殿。」
「ふふふっ…。そんなことをおっしゃったのは、司祭様かしら??では、私が手を加えた聖水の値段もお聞きになりました?」
「いや、値段は聞いていないな。聖水を見た司祭様が顔色を変えて、預からせて欲しいというので教会へ置いてきたが。」
「おほほほほ。では私が、お教えしましょう。ひと瓶につき、お城1個分ですわ。」
私は得意気になって、口元に手の甲を当てると、声高に答えた。
「城、1個分??」
「ええ。ところで先程、治療代のお話がありましたけれど、いったいおいくらお支払いいただけるのでしょうか??」
私のこの言動…、聖女らしからぬを通り越して、もはや悪役だわ。でも私が、清廉潔白な聖女ではないとわかれば、クロード様の罪悪感も減るのではないかしら。
「アリーシャ殿が口移しで飲ませてくれた、あの聖水が、城1個分。俺、城何個分飲んだんだ!?」
「ちょっと!!大きい声で、口移しとか言わないでください!!ここは教会なんですからね!?」
「そんなに顔を真っ赤にして、かわいいな。口移しの話をして、あの濃厚な口づけを思い出したのか??」
「顔が真っ赤なのは、クロード様もですよ!…あっ!?」
私は慌てて両手で口を塞いだ。うっかりして、お名前を呼んでしまったから。
「どうか、これからも名前で呼んで欲しい。」
私に名前を呼ばれただけなのに、クロード様はすごく嬉しそうに微笑んだ。その微笑みに、私の心は素直にきゅんと反応してしまうの。
「アリーシャ殿。本当は、あなたの純潔を散らしてしまった責任を取らせて欲しいと言い訳するつもりでいたんだ…。けど違う。責任とか謝罪とか関係なく、俺はただ、これからもアリーシャ殿と伯爵家で暮らしたいんだ。」
「…伯爵家で暮らす??なにを言って…。」
「アリーシャ殿…。また、リーシャと呼んでも構わないだろうか?リーシャ。今度こそ、俺と本当の夫婦になって欲しい。」
頭では、"この人、なんて都合のいいことを言っているんだろう?"って思ってるのよ。嘘で振り回しておいて、今度は本当の夫婦になりたいと言うのだから。だけど…。心はクロード様を求めていると、昨日一日で嫌というほど実感してしまった。無意識のうちに、彼の面影を探してしまうのだから。
それでも、彼の手を取ってはいけないの…。
「リーシャ。左手を出して。」
クロード様は、私に指輪をはめようとしている。昨日、私が外して、置いてきた指輪を。
「ダメです!!これは、代々受け継がれているものなのでしょう??私には身に余ります。」
私は必死に手を隠した。伯爵家に代々受け継がれているこの指輪は、エロイーズ様のものだから。
「そもそも、求婚が突然過ぎます!!私たちはお互いのことを知らないのですから…。罪悪感からですか?でも償いにしても、重過ぎます。それに!私の気持ちも考えてください!!」
「リーシャの力で、俺の体が治癒した。この事実がすべてを物語ってくれているんだ。」
「意味がわかりませんっ!?」
「リーシャ、俺の話を最後までちゃんと聞いて欲しい。そういえば、『アリーシャはせっかちで、人の話を最後まで聞かなくて困る。』と司祭様も言っていたな。」
司祭様め…。跳ねっ返り聖女とか、部屋が散らかっているとか、せっかちだとか、余計なことばかり吹き込んで!?だけど…。クロード様は、私が清廉潔白な聖女ではないとわかった上で、プロポーズをしてくれているということ??
「なぁに?アダルベルド伯爵様は、アリーシャさんと結婚するの??」
エロイーズ様の声を聞いて、体が凍ったみたいに固まってしまった…。
(クロード様からプロポーズされたのを、エロイーズ様に聞かれてしまった…。)
「トンプソン伯爵令嬢!?こんなところで何をしているんだ?というか、二人は知り合いなのか??」
「昨日、たまたま知り合ったのですわ。それにしても、凄まじい回復力ですわね。重篤だとお聞きしていたのですが、先程、アリーシャさんのおかげで治癒したとおっしゃっていましたわね?」
「ああ。ここまで回復できたのは、リーシャのおかげなんだ。」
(クロード様…。それ以上、なにも言わないで。エロイーズ様の心が壊れてしまう…。)
「瘴気に侵された体を聖女様のお力で治癒してもらい、そこから愛が芽生えた。素敵なお話じゃない??」
(エロイーズ様が不安視していたことが、現実になってしまった…。)
「そうだわ。聖女様のお力については、気軽に口にしてはならないのです。国の秘匿事項ですからね。くれぐれもご注意ください。では私は、失礼しますわ。」
エロイーズ様の背中を見つめ、彼女の心痛を思い浮かべるといたたまれなくなった。エロイーズ様のお姿が見えなくなると、私はクロード様へ詰め寄った。
「エロイーズ様の気持ちを、もっと考えてあげてください。エロイーズ様はこの教会で、瘴気に侵された婚約者様の回復を祈っていたのですよ!?」
「そうか…。それで教会に…。」
「もう!なんでそんなに他人事なのですか!?とにかく、エロイーズ様のお心は今、深く傷ついているのです。私は、そんな彼女に寄り添っていたいので、伯爵家へは戻りません!!」
「リーシャは、優しいな。わかった。今日のところは帰るよ。」
「今日のところは…??」
「ああ。俺は、諦める気はないからな。また出直すよ。」
クロード様が帰ったのを見届けると、エロイーズ様のもとへ向かった。彼女は、私なんかに会いたくないだろうけれど…。それでも、虚ろな目をしたエロイーズ様を放っておくことなんてできなかった。部屋を訪ねると、エロイーズ様は荷物をまとめていた。
「エロイーズ様。お祈りは、もうよろしいのですか?」
「もういいのよ。教会で祈っていても、なにも変わらないもの。それに、アダルベルド伯爵様に居場所を知られてしまったから、ここにはいられないわ。」
そうよね。もう祈る必要はないわよね。クロード様は治癒したのだから。
「行き先は決まっているのですか??」
「ええ。決まっているわ。昨日は道に迷ってしまったから、今日は迷わないようにしないと。」
(まさか、また昨日のような場所へ行くおつもりじゃないわよね??)
「私もご一緒します。」
エロイーズ様は、私の同行を拒否しなかった。
そして、エロイーズ様の目的地に無事たどり着いたのはいいのだけれど…。建物を見上げ、エロイーズ様へ尋ねてみた。
「エロイーズ様…?本当に、目的地はここであっているのですか??」
「ええ。私が来たかったのは、ここよ。」
私はもう一度、建物を見上げた。見間違いという可能性を期待して。
それでもここが、"娼館"である事実は変わらなかった…。
(え…?なんで、娼館??)




