#5 運命のいたずら
目を覚ました私は、ハッとして窓の方へ視線を移した。カーテンの隙間から外がまだ暗いことを確認すると、ホッとして、吐息が漏れた。
(また、体が重い…。)
目覚めて体が重いと感じるのは、このお屋敷に来て何度目かしら。このだるさと筋肉痛を解消するために、目を閉じ体内の魔力を循環させ、回復魔法をかけた。それから、隣で寝ているクロード様の方へ視線を送る。ぐっすり眠っている彼の顔にそっと顔を近づけ、眺めていたら、何時間でも見ていられそうだと思ってしまい、深いため息が出たわ。
(この寝顔を見ることは、もう二度とないのよ…。)
クロード様の手を取り、体内に瘴気の残滓がないかサーチを発動させる。
(よかった。浄化できてる。)
昨晩、クロード様に気づかれないよう浄化と治癒魔法をかけたため、傷は快復している。でも彼の体は今、急速な回復による反動で体力が激しく消耗した状態になっている。だから、しばらく目を覚ますことはないだろう。
彼に食べられた感覚の残る唇に手を当て、それから、お別れのキスをどこにしようかと、クロード様のお顔を見つめた。たった1週間の、それも偽りの夫婦生活なのに、思い出ができてしまった。
そんな思い出や、彼への想いに蓋をするため、唇を重ねた。
「お別れです…。さようなら、旦那様…。」
あてがわれていた部屋に戻ると、急いで荷造りをはじめた。夜が明ける前に、このまま屋敷を出ることにしたの。慰謝料も、治療費も請求せずね。だって、クロード様の命に値段をつけられないじゃない??でもこの部屋にある洋服や、バッグ、先日外出した際に残ったお金はいただいて行くわ。私のサイズの洋服がたくさん用意されているクローゼットの中から数着選び、その洋服をバッグに詰め込む。それから、財布を服の内ポケットにしまう。なにをするにもお金は必要だから、盗まれないようにしないと。
黙って出ていく代わりに、置き手紙を残すことにしたのだけれど、どんな言葉を並べてもしっくりこなくて、結局たった一言だけ書き記した。
『記憶が戻りました。』
そして、指輪を外すと手紙に添えた。
人目につかないよう屋敷の塀まで来ると、足に強化魔法をかけ、塀の上へ飛び上がった。今度は着地の際、勢いあまってケガをしないようまわりを確認し、得意の塀越えを成功させたわ。振り返り、お屋敷に向かって深々とおじぎをすると、足早にその場をあとにした。
行くあてなんてないんだけどね…。
思えば、教会を飛び出したときも計画なんてなかったのよね。力を利用されると思ったら、考えるより先に体が動いちゃったの。それで、塀を飛び越えて、馬車とぶつかったってわけよ。教会にいた頃も、なにかに夢中になったり集中したりすると、まわりが見えなくなるのは悪い癖だと、何度も指摘されてきたのよね…。今回の件でつくづく反省したわ。…これまでも、その都度反省はしていたけれど…。
とりあえず反省は後回しにして、とにかくできるだけ遠くへ行かないと。教会の関係者に見つかって、連れ戻されたら困るもの。
さて、どこへ向かおうかしら?私を売った教会にも両親のもとにも絶対に帰るつもりはないから、とにかく教会と実家とは逆の方角へ向かって歩き続けた。"できるだけ遠くへ"と思っているのに乗り合い馬車を利用しないのは、お金には限りがあるからよ。節約できるところ節約しないとね。
教会関係者に遭遇しないよう注意しながら移動していた私は、ふと伯爵邸のことを考えていた。そろそろ、デイジーあたりが置き手紙に気づいた頃かしら…。まぁ、あんな一言しか書かれていない紙、"手紙"とは呼ばないわね。本当は、他の言葉もいろいろ考えたのよ…。
『アダルベルド伯爵様を蝕んでいた瘴気は完全に浄化し、ケガも無事治癒しました。お大事に。』
これだと、医者みたい。それも偽善者のね。対価も求めず、浄化と治癒してあげたんだもの。私の本心は、治療費を払ってもらいたいのよ。だけどそもそも、実際に治療を頼まれたわけではないのよね。頼まれたのは、子作りだったから。…改めて考えると、イヴォンヌ様の創り上げた嘘って、とんでもない内容よね。それを信じた私もどうかしてるとは思うけど、それは記憶をなくしていたせいよ。本当の私は、疑り深くて、我が強いからね!
『衣装を数着と小物をいただいていきます。指輪はお返しします。』
これだと、なんだか私、物盗りみたいじゃない??クローゼットには、私のサイズの衣装がたくさん用意されていたから、数着くらい拝借しても構わないと思うの。どうせ私が伯爵邸で暮らしているという、"生活感"を出すためだけにわざわざ用意したのだろうから。
『私が記憶をなくしていることに付け込み、騙して聖女の治癒力を使わせたのですね。』
これはダメね。クロード様が良心の呵責に苛まれてしまうわ。ただでさえ、罪悪感を抱いていたもの。イヴォンヌ様へは、皮肉を言ってやりたい気もするけど。それに最終的に、聖水のレベルを上げたり、浄化と治癒をしたのは私の意思なのよね。これがもしも、私の記憶が戻っても協力を得られるよう仕向けるまでがイヴォンヌ様のシナリオだとしたら…。頭が上がらないわね。
『1週間という短い間でしたが、お世話になりました。さようなら、偽りの旦那様。』
これは、思い浮かべて、即却下したわ。"旦那様"という単語に胸が苦しくなってしまったから。夫婦関係が偽りだったことに触れたくない。自分から嘘を指摘したくない。偽りの旦那様だと知ってもなお、彼は私の旦那様ではないと、言葉にしたくないのよ。文字にもね。たった1週間ともに過ごしただけなのに、情が移ってしまった…。
これも、記憶をなくしていたせいだわ。本当の私は、薄情者だから。
『記憶が戻りました。』
結局、残してきたのはその一文だけ。たったこれだけの文字に私の思いを込めたの。アダルベルド家のしたことに対して、肯定も非難も恨み言も書かれていない。だからこそ読んだ相手は、私の真意はなんなのかとあれこれ想像するでしょうね。私は、この一文がなにを物語っているのかを読んだ相手に委ねたの。まぁ、丸投げとも言うわね。でも仕方がないのよ。私自身、彼らにかける言葉がわからないのだから。
気分は沈んでいてもお腹は空いてしまい、露店でハムとチーズのクレープを買って食べた。
(おいしい…。)
おいしいの、だけれど…。
(伯爵家のごはんは、もっとおいしかったな。)
露店のクレープと伯爵邸の料理を比べていることに気づいて、顔を覆った。
(いやぁ!伯爵家の料理が露店の食べ物よりおいしいのなんて当たり前じゃない!?)
伯爵邸でのことを思い出して、また気分が沈んでしまったわ。
(もう忘れよう。)
そう、決意したそばから…。
(あ。あの人の、金髪に灰色が混ざったアッシュブロンド、クロード様みたい…。)
クロード様の髪色と似たアッシュブロンドに目が惹かれてしまい、頭を抱える。
(また思い出しちゃってる…。ダメダメ。きれいさっぱり忘れるの。)
気を取り直して移動を続けていると…。
(この緑と黄色の目をしてる猫、クロード様のヘーゼルアイみたい。イヴォンヌ様の目にも似てるわね。お二人は親子だけあって、似た瞳をしているのよね…。)
クロード様の瞳に似ている猫のあとを追い、我に返ると裏通りにいた。
(これは重症だわ…。誰か、私を治癒して!!)
無意識にクロード様の面影を探してしまう重症さに気づいて、脳内で私は、両膝をついて何度も拳を地面に打ちつけている。
(しっかりするのよ、私!!)
乱心していた私の目に、平民街のこの場所に似つかわしくない装いの人が視界に入った。
(わぁ…。あの女の人、きれい。)
プラチラブラウンの髪に、ロイヤルブルーの瞳を持ったその女性は、飾りっ気のない服装を身に纏っていても華やかさがにじみ出ている。目で追っていると、狭い路地の方へ入って行くので、心配になり後を追った。その先は、治安の悪いエリアだから。
そしたら、案の定ガラの悪い連中に絡まれたわ。
「お嬢さん、こんな裏町に何の用だい?」
「こんなとこに用があるとは思えないけどな。」
「迷子か??なら、俺たちが道案内してやろうか?」
3人はニヤニヤ笑いながら女性を取り囲み、一人が彼女の肩に腕をまわした。
「だが、案内するのは明日でいいか?もうじき日が暮れるからな。」
「ああ今夜は、俺たちと楽しもうぜ。」
「俺たちが、お嬢さんを楽しませてやるよ。」
助けようと一歩踏み出したところで、私は立ち止まった。彼女の目が虚ろだったから…。
「楽しむとは、具体的にどのようなことをなさるおつもりですの?」
3人は顔を見合わせると、さっきよりもっと気持ち悪くニヤニヤしている。
「そんなの、もちろんベッドの上での触れ合いだよな?」
こんな状況だというのに、彼女はいっさい顔色を変えることなく、男たちへ尋ねた。
「あなたがたには、恋人か婚約者、もしくは奥様はいらっしゃらないのですか?」
「そんな確認別にいらないだろ?俺たちと楽しむ上で、重要なことじゃないからな。」
「つまり。あなたがたは、お相手がいても他の女性と関係を持つことにためらいや、罪悪感はないのですね?そんなあなたがたにお聞きしたいのですが、初対面の私と関係を持ちたいのはなぜですか?」
「そりゃあ、いい女とヤりたいと思うのは男の性ってやつだよ。」
「私のことをご存じないのに、『いい女』と呼ぶ基準がわかりませんが…。あなたがたは、気持ちがなくとも私を求めるのですね。それは、どれほどの熱量なのでしょうか?一晩に、何度も求めてしまいたくなるほど、激しい感情ですか?その感情に身を任せた結果、これまで築き上げたものが壊れるかもしれませんが、その覚悟はおありですか?」
虚ろな目をした彼女から発せられる言葉には、どこか狂気を感じた。それはこの男たちも同様のようで、彼女の狂気に男たちが怯んだ隙に、3人へめがけて魔力を放出させ眠らせてやったわ。これは回復魔法の応用なの。わかりやすく言えば、マッサージされて眠くなる原理と同じよ。
「走って!!」
私は、彼女の手を引くと大通りを目指して走った。
「とりあえずあの場から逃げて来ましたけど、貴族のお嬢様が、どうしてあのような場所へいらしたのですか?本当に、用があったのですか?」
「どうして私が貴族だとわかったの?」
「服装こそ町娘風ですが、言葉遣いや、その手入れがされた色白の肌や、その艶めくプラチナブロンドを見れば誰だってわかりますよ。」
「そう…。それでは、先程の者たちは私が貴族の令嬢だとわかった上であのような蛮行を?」
「本当に、命知らずでバカな奴らですよね。一夜の快楽のために、貴族に手を出そうとするなんて。」
「処刑も覚悟の上だったということかしら??殺されてでも私と結ばれたかった?」
そんな的外れな考えを一蹴しようかと思ったけれど、私は言葉を詰まらせた。彼女は至って真剣だったから。そしてさっきから気になっている、彼女の虚ろな目や狂気すら覚える言動に、彼女の身に思い詰めるようななにかがあったのだろうと推察できた。
「あんなバカな奴らのことは忘れた方がいいですよ。ところでお嬢様は、これからどうなさるのですか?」
「…私は、教会へ行きます。」
(うげっ…。よりによって教会??)
私は彼女に付き添うことにしたわ。彼女の向かおうとしている教会は私が暮らしていた教会とは別のところだったから。正直、教会とは関わりたくないけれど、こんな危うい状態のお嬢様を一人にできなかったの。
「自己紹介がまだでしたね。私は、アリーシャといいます。」
「私は、エロイーズ、トン…。いえ、エロイーズよ。」
「エロイーズ様、ご安心くださいね。私が教会までご案内しますから。」
「ええ、アリーシャさん。よろしくお願いね。」
こうして、私はエロイーズ様と出逢い、行動をともにすることになったの。この出逢いが、運命のいたずらだとも知らないで━━。
教会へ着くなり、エロイーズ様は祭壇の前に膝まずき祈りを捧げはじめた。私は少し離れたところに座り、神様へ祈りを捧げ、感謝を伝えた。クロード様の命を救うお力を貸していただいたお礼をね。
しばらくして、エロイーズ様の方へ視線を向けると、まだ祈りを捧げていらっしゃったわ。なにをそんなに必死にお祈りしているのかと、不思議に思っていると、彼女の言葉が耳に入ってきたの。でもそれは、祈りなどではなかった。彼女の口からとめどなく発せられているのは、懺悔の言葉だった。
『神様、お許しください。傲慢で狭量で猜疑心の塊の、愚かな私を。』
(これほどまでに自責の念に苛まれているなんて、エロイーズ様の身にいったいなにが起きたというの??)
『私の婚約者の命を取り留めてくださったこと、心より感謝申し上げます。それなのに…。申し訳ございません。愚かにも、私の心には、わだかまりができてしまったのです…。神様は、私の願いをお聞き届けくださったというのに…。』
(エロイーズ様は、その婚約者様の命を助けて欲しいと神様へ願ったのね。)
これ以上盗み聞きしてはいけないと、私は席を立ち、その場を離れようとした。
だけど…。エロイーズ様の話の続きが聞こえてきて、私は動けなくなってしまった…。
『瘴気に侵され、魔物化が進んだ彼を助けるためならば、どんなことでもする、どんな試練にも耐えてみせると覚悟したというのに…。それは形ばかりの意気込みで、覚悟など、全然できていませんでした…。"あれ"は治療なのだと何度言い聞かせても、"あれ"を治療だとは思えないのです…。治療中に聞こえた、彼と聖女様の声が耳から離れない…。どんなに耳を塞いでも、今もずっと、聞こえくるのです…。お互いを求め合う、二人の声が…。』
エロイーズ様の話に、心臓が飛び跳ねるように激しく脈を打った。彼女の話の情景が、頭にはっきり浮かんでしまったの。
私の心臓は、彼女の言葉に縛られているかのように、エロイーズ様が罪を告白するほど締めつけられていくのだった。
苦しさに耐えきれず、私は胸を押さえ、膝から崩れ落ちた…。




