#3 嘘
馬車に揺られ、伯爵邸が近づくいてくると、また不安が押し寄せてきた。せっかくの気分転換がこんなことになってしまったのは残念だけど、教会へ行けなくなって、結果としてよかったのかもしれない。花屋で会った彼女の話では、私は教会から逃げたようだから…。もちろん、彼女の話のすべてを信じたわけじゃないけど、彼女の話が頭から離れないの。
伯爵邸へ着き、馬車を降りた私とデイジーのもとへ、メイドのダナが駆け寄ってきた。
「アリーシャ様、ありがとうございます!!あっ!?申し訳ございません。『おかえりなさいませ!』を先に言うべきでした。」
ダナは興奮していて、私へ感謝の言葉を述べると、深々と頭を下げた。
「じつはつい先程、伯爵様が地下室から自室へ移動されました。大ケガを負った伯爵様が自室へ戻られるまでに回復なさったのは、アリーシャ様の献身的な看護があってこそです!」
「なら、峠は越したのね!?アリーシャ様、こちらの花束をお持ちになって、早く伯爵様のもとへ行ってください。」
デイジーから花束を受け取り、重い足取りで階段を上った。クロード様が回復したのは喜ばしいことなのに、私の看護のおかげと聞いたら、花屋で聞いた話が頭をよぎったの。私が、クロード様に治療や浄化をしているという話を…。瘴気に侵されたクロード様は、魔物化寸前だった。そんな、回復の見込みがなかった彼の容態が持ち直したのは、聖水の力だとは思うのだけれど…。
私はまだ、顔を合わせる心の準備ができてないため、クロード様を訪ねるのをやめて自室へ戻ることにした。
その途中、ある部屋から大きな声が聞こえてきて、私は足を止めた。その大きな声は、私について話していたから…。
「母上、そんな話では納得できません!どういうつもりか、きちんと説明してください!なぜアリーシャ殿に、あのような嘘をついたのですか!?」
この声が誰のものなのか、すぐにわかったわ。これが、クロード様のお声…。
「クロード、そんなに大きな声を出さないでちょうだい。あなた、まだ完治はしていないのだから。」
「母上は、なんとも思わないのですか?アリーシャ殿に嘘をつき、彼女の人生を踏みにじっておきながら、どうしてそんなに冷静でいられるのですか?」
「わたくしは、この家とあなたを守るためならばなんだってしますわ。それで、瘴気に侵された者を助ける術を探していた際、シュレースヴィヒ家から聖女の秘めた力の話を聞いたのよ。」
「なるほどな。シュレースヴィヒ公爵家からの入れ知恵だったのか。それで、レイモンドは助かったのですか?俺より、重症だったはずですが。」
「ええ。彼も、一命を取り留めたそうよ。その話を聞いたから、わたくしも聖女の秘めた力に賭ける決意をしたのです。」
「"秘めた力"なんて言い回しをしてるけど、ようは聖女の純潔を代償に得られる力だろう!?」
(聖女の純潔を代償に得られる力…?)
その話を聞いた瞬間、心臓の鼓動が早く、強くなった。胸が苦しくて腕に力が入ると、抱えていた花束がグシャっとつぶれた。
「アリーシャ殿は、俺のことを夫だと思い込んで涙まで流してくれたんだ。そんな優しい彼女の純潔を散らしてしまった。こんなの、どうやって償えばいいんだ…。」
「あなたは何も悪くありません。これは、わたくしが負うべき業ですから。彼女への贖罪も。」
「そんな他人事みたいにできるわけないだろう!?俺の命を救うために彼女の純潔を奪っておいて。しかも、嘘までついて…。俺は、人としての道を踏み外してしまったんだ…。」
「あなたは、そうやってわたくしの行動を非難しますけどね。あなたが魔物化していたら、わたしくはエイダンへ命じなければならなかったのですよ?あなたを始末するようにと…。魔物化した仲間に手を下したあなたと同じ思いを、エイダンにさせても構わないと言うの?」
お義母様から問われたクロード様は、黙り込んでいた。
「痛いところを突いてしまったわね。とにかく。アリーシャさんへの謝罪は、わたくしがしますから。許してくださるかは、わかりませんけれど。なんといっても、塀を飛び越えて、教会から逃げ出してきた聖女様ですからね。」
「塀を飛び越えた!?アリーシャ殿が??」
「聖女の秘めた力のことは国家機密だと伺ったため、人目につかないよう夜へ教会へ行ったのです。そしたら彼女が教会の塀を飛び越えてきて、うちの馬車にぶつかってきたのよ。」
「はぁっ??うちの馬車とぶつかったのですか!?」
「あの聖女様は、聖女の中でも異色の存在なのではないかしら?」
クロード様は、私が記憶をなくした理由までは聞かされてなかったようで、ひどく驚いた声をしている。私もまた、自分が塀を飛び越えて教会から逃げたと耳にして驚いていた。
「彼女は頭から血を流していたのだけれど、見る見るうちに傷は治ったの。聖女の治癒の力を目の当たりにしたわたくしは、意識をなくしている彼女を馬車へ乗せるよう御者へ言ったわ。教会の方からは、『アリーシャ』という人を探している大きな声が聞こえていたため、急いでその場を去ったの。」
「母上…。それは、誘拐ではないですか…。」
クロード様の声は、あきれ返っていた。
「そうね。わたくしも、彼女が目を覚ましたらまずは謝罪をし、それからあなたの命を助けて欲しいとお願いするつもりでいたのよ。それがまさか、記憶をなくしてしまっただなんて…。」
「だからそれ幸いと嘘を吹き込み、彼女の優しさに漬け込んだのですね。」
「もう、なんとでもおっしゃい。」
喧嘩腰のお二人を見かねて、エイダンが会話に入った。
「思うところはあるでしょうが、当主様がアリーシャ様のおかげで助かったのは紛れもない事実です。その能力の高さには、私も驚かされました。瘴気が充満していた地下室へ平然と入っていき、その後何時間も音沙汰がないので様子を伺おうとドアを開けてみたら、瘴気がほぼ消えていたのですから!」
いつもキリッとしていて、表情を崩すことなく護衛をしてくれているエイダンの声が珍しく興奮していた。
「その際、不敬だとは思ったのですが、天蓋を開けてご様子を確認させてもらったんです。そこには寄り添ったお二人が、穏やかな表情で眠っておいででした。何日にも渡って、唸り声を上げ続けていた当主様が寝ているお姿を目にして、心底安堵しましたよ。」
「アリーシャさんにはいくら感謝しても、し足りないわね。わたくし思うのです。治癒能力の高い彼女と出逢えたのは、神様の思し召しなのではないかと。」
「はぁ…。母上は、なんて自分本位なんだ。だけど俺も、聖女なら誰でもよかったとは思えない。きっと、アリーシャ殿だったから俺は助かったんだ。まぁ、彼女にしてみれば迷惑な話でしかないよな…。」
「どんなに罪悪感を抱こうとも、これからも彼女の力に頼らなければならないのですからね。あなたの体は、今もなお、瘴気に侵されているのだから。」
「そうですよ、当主様。まずは、お体を治すことを最優先してください。」
「それは、わかってるけど…。いったいどんな顔をして、アリーシャ殿と会えばいいんだ…。」
クロード様が、お義母様から、『情けない』と言われているところで、私は震える足で自室へ向かった。
部屋へ入り、ドアを締めると同時に足の力が抜け、その場に座り込んだ。
(嘘だった…。嘘をつかれていた…。)
イヴォンヌ様とともに、クロード様の回復をお祈りするために教会へ行ったというのも、嘘。
クロード様と私が夫婦だというのも、嘘。
その嘘を知りながら私を、伯爵夫人として接していた使用人たちも嘘つき。
クロード様は、私の旦那様じゃない。
この部屋だって、私の部屋じゃない。
イヴォンヌ様から渡された、クロード様と私の指にはめてある、この結婚指輪も、私が伯爵家の嫁であると信じ込ませるための道具に過ぎないんだわ…。
すべては、私の力で当主であるクロード様の命を救うための嘘だったのね━━。
嘘をつかれていた理由は理解できたわ。それでもいまだに記憶がない私は、自分に治癒の力があるだなんて実感がわかなかった。
ただ…。クロード様たちの会話の内容から、花屋で会った彼女の話に信憑性が帯びてきた。
心に大きな不安とわだかまりを抱え、ベッドで丸くなっていると、イヴォンヌ様が訪ねてきた。
「外出中に体調を崩したのですってね?侍医を呼びましょうか??」
「…いいえ。大丈夫ですわ。横になってばかりいたので、体力が落ちていただけだと思います。」
「そう??あまり我慢せず、つらいときは教えてちょうだいね?」
「はい。お気遣いありがとうございます。」
イヴォンヌ様が、私の体を気遣うのも、クロード様を治癒したいからなのよね…。この優しさも、嘘なんだわ。
「そうだわ。今夜のお務めはなしにしましょう。だから今晩は、ゆっくり休んでちょうだいね。」
コクンと頷いた私は、内心ホッとしていた。私も、どんな顔をしてクロード様と顔を合わせたらいいかわからないから。
イヴォンヌ様は、グシャっとなった花束を嬉しそうに受け取って部屋を出ていった。ひとりになった私は、疲労がどっと押し寄せてきて、ベッドへ倒れ込んだ。
(イヴォンヌ様との会話は、精神的な疲労感がとんでもないわ…。)
嘘に気づかないふりをして、化かし合いをしている私もどうかしてると思うけど。今はまだ、この嘘に触れる勇気がないの…。
このお屋敷に来て、6度目の夜を迎えた。
今夜は、クロード様と別々に過ごしている。この5日間、毎日ともに過ごしてきたけれど、今日は一日顔を合わせることはなかったわ。
(代わりに、お声は聞いたけど…。)
一人きりで過ごす長い夜に、これからどうするかを考えていた。
今すぐ、逃げてしまおうか。嘘をついたことを問い詰めて、慰謝料を請求してしまおうか。記憶がなく、行くあてのない私をここに住まわせて欲しいと頼もうか。それとも、住む場所と仕事を紹介してもらおうかしら…。
いろんな考えが頭を巡ったけれど、ひとつ決心したことがあるの。それは、瘴気に侵されたクロード様のお体を治癒すること。本当に私にそんな力があるならの話になるけれど…。だからそのためには記憶を取り戻し、治癒の仕方を思い出さなければ。正直、自分がどんな人間だったのかを思い出すのは怖い…。イヴォンヌ様の話と花屋で聞いた話を照らし合わせると、教会は治癒能力のある私を売ろうとした。それを受け入れられなかった私は、教会から逃げ出した。塀を飛び越えて、ね…。そして花屋で会った彼女が、逃げた私の代わりに売られた…。この憶測が正しければ、私は嫌な役を人に押しつけるような人だということになるわね…。
結局、なにも思い出せないまま7度目の夜が訪れてしまった。クロード様のお部屋を訪ねる前に、いつものお茶を出されたわ。妊娠しやすい薬が入ったお茶をね。どうせこのお茶も、ただの見せかけなのでしょうね。私に、お世継ぎが必要であることをアピールするための。
そのとき。何気なくティーカップを両手で覆い、目を閉じてカップの中のお茶に魔力を集中させてみたの。記憶がなくても、体が覚えていたのよ。成分分析の方法をね。
「はは…。これも、嘘だった…。」
妊娠しやすくなるお茶だと言われて飲んでいたこのお茶に入っていたのは、避妊薬だったのよ。それはそうよね。クロード様の妻でない私が、彼の子どもを身ごもったら面倒なことになるもの…。
なにもかも嘘だったと失望していた私は、成分分析の力を使ったことがきっかけとなり、記憶を取り戻した━━。
私が11歳のとき、神官が家へやって来て、両親へ話をしたの。
『聖女の力を持つ私を、教会で保護する。』
それは、相談でも交渉でもなく、決定事項だった。私は馬車に乗せられたけれど、出発する直前に隙をついて飛び降り、家へ戻ったの。だけど窓から家の中を覗いたら、そこには、金貨の山を見て笑っている両親の姿があったわ。
(あぁ…。私は、売られたんだ…。)
帰る場所がないと悟った私は、おとなしく馬車に戻ったわ。
教会には、他にも聖女の力を持った子どもたちがいた。私たちの日課は、神様へ祈りを捧げ、教会へ来る人々へ治癒や祝福を授けること。それから定期的に炊き出しを行ったり、治療を手伝うため治療院を訪問したりした。
そんな日々を10年過ごしてきた中で、ともに暮らしていた聖女仲間が黙って教会を去ることがあったわ。挨拶もなく出て行った子は、教会へ戻ってくることも、手紙を送ってくることもなかった。彼女がどんな扱いを受けたのかを知ったのは、あの夜のことだった。
あの夜。司教様に呼ばれた私は、余命わずかな患者の命を救うよう命じられたの。
『余命わずかな患者さん…??無理です!!そのような重篤な方に、治癒魔法をかけたことなんてありませんから。』
『案ずるでない。あちらの望みはな、完治ではなく、緩和なのじゃ。残された時間を穏やかに過ごせるようにと。そなた程の力であれば痛みを取ってやることくらいできるであろう。だが、教会から来たと周囲に知られてはならぬぞ。』
『もしかして…。これまでも秘密裏に、聖女に重篤な患者の治療に当たらせていたのですか?でもなぜ、彼女は戻って来なかったのでしょうか?手紙もくれませんでした。』
『それはな、教会との繋がりを知られぬためじゃよ。』
私は、司教様の理解できない話を理解しようと、一生懸命頭を回転させた。そして、導き出した答えに絶望したの。
『治療に失敗したとき、責任を聖女に押しつけるためですか??教会に責任が及ばないように、教会とその聖女の繋がりを断ち切るのですね。』
『はぁ…。そなたの思考は相変わらず斜め上を行くのぅ。しかし、全くもって的外れというわけでもないのだが…。とにかくだな、ポーター子爵様のもとへ行ってくれぬか。だが、子爵様以外には、教会から来たことは口外するでないぞ。なぜなら…。』
『ポーター子爵様??確か、この教会の支援に尽力してくださっているお方でしたよね。献金も相当な額だったはず…。司祭様は、お金で私たちを売るのですか!?』
『確かに、ポーター子爵様からは多大なご支援をいただいておるのぅ。だがな…。』
『治療に失敗した場合は、教会との繋がりを断つとして。成功した場合は、どうすればいいのですか??』
『どちらにせよ、教会へ戻ってくる必要はない。どうしても、戻って…。』
『成功しても戻ってきてはいけないだなんて…。」
『いや…、戻ってきてならぬとは…。』
「司祭様、まだなにか隠してますね??密かに治療に当たった聖女が、教会へ戻ってきてはいけない理由には、それこそ、口外してはいけない秘密があるのではないですか!?』
『あぁ…、そなたはもう…。いや…?しかし、そうじゃな。そなたが教会を去るのであれば、教えておかねばなるまいな。聖女にはな、秘められた力があるとされておるのじゃ。純潔を捧げた相手に対して、死を覆すほどの治癒魔法を施せるとな。しかし、この聖女の秘めた力については決して口外してはならぬからな?国家機密故、王室をも動かしかねないからのぅ。だが、そんな力が本当に…。』
『純潔を失ったから、教会へ戻ってくるなということですね!?』
司祭様の勝手な言い分に納得できなかった私は、啖呵を切った。
『聖女の純潔を捧げて、死を覆せだなんて!!こんな教会なんか、天寿に干渉した罪で神様のお怒りに触れて天罰が下ればいいのよ!!』
捨て台詞を吐き、私は教会を飛び出した。そして足に強化魔法をかけ、塀を飛び越えたところ、勢いあまって馬車の前に…。防御魔法で馬車とぶつかった衝撃は相殺できたけど、その反動で倒れた際、頭を強打したのよ。
これが、私が記憶をなくした経緯だった……。




