第7話
月曜日。
休み明けの少しだけ重たい空気が社内を包んでいた。
月曜日は試合がない。
だから野球好きの千尋も、いつも以上に仕事へ集中する日だった。
7時50分。
気合いをいれて部署へ向かう。
「小山さん。」
声を掛けられて顔を上げる。
情報システム部の皓太郎だった。
「おはようございます。」
「おはようございます、広野さん。」
朝の挨拶だけ。
それだけのはずだった。
けれど皓太郎は、そのまま少しだけ立ち止まる。
「あの……。」
「はい?」
「土曜日は残念でしたね。」
一瞬、千尋の時間が止まる。
「え?」
「レッドフェニックス。」
思わず目を丸くした。
「見たんですか?」
「少しだけです。」
少しだけ。
そう言いながら、皓太郎は少し照れくさそうに笑う。
「試合速報を見ていたら気になってしまって。」
千尋の表情が一気に明るくなった。
「本当ですか!」
少し大きくなった声に、近くの社員がこちらを見る。
「あっ……。」
千尋は慌てて頭を下げ、小さな声に戻した。
「すみません。嬉しくて。」
その笑顔を見て、皓太郎もつられて笑ってしまう。
「土曜日は負けちゃいましたけど、昨日は逆転勝ちだったんですよ。」
「8回に代打がタイムリーを打って追いついて、そのあと勝ち越したんです。」
話し始めた千尋は楽しそうだった。
けれど前回とは違う。
皓太郎が少しだけ野球を知ったからだ。
「ああ、それが試合速報に出ていた場面ですね。」
「そうです!」
通じた。
それだけで千尋は嬉しかった。
「広野さん、もう試合速報見られるんですね。」
「まだルールはよく分からないですけど。」
「十分です。」
千尋は笑う。
「最初はそれくらいでいいんですよ。」
その言葉が、不思議と嬉しかった。
「ありがとうございます。」
「はい。また何か分からなかったら聞いてください。」
「お願いします。」
皓太郎は軽く会釈して情報システム部へ戻っていく。
その背中を見送りながら、千尋はふっと笑った。
野球の話ができる人が、一人増えた。
それだけなのに、今日は朝から気分がいい。
一方、情報システム部へ戻った皓太郎は、自席へ腰を下ろした。
パソコンを立ち上げながら、さっきのことを思い返す。
週末の試合の話をしただけ。
それだけなのに、小山さんはあんなに嬉しそうに笑ってくれた。
思わず、自分まで嬉しくなる。
「広野。」
隣の席の先輩が声を掛ける。
「はい。」
「朝から機嫌いいな。」
「そうですか?」
「なんかいいことあった?」
「……特には。」
首をかしげながら答える。
本当に理由は分からなかった。
ただ、小山さんが笑っていた。
それだけだ。
昼休み。
社員食堂へ向かう途中、経営管理課の前を通る。
千尋は後輩の野村へ仕事を教えていた。
「ここはこのデータじゃなくてこっちかな。」
「わ、すみません!」
「大丈夫。慣れたらできるよ。」
仕事中の千尋は、金曜日の球場とはまるで別人だった。
落ち着いていて、丁寧で、静かに笑う。
どちらが本当の小山さんなのだろう。
きっと、どちらも本当なのだろう。
皓太郎はそう思った。
食堂でスマートフォンを開くと、無意識にレッドフェニックスの試合日程を見ていた。
「火曜日からはビジターか。」
明日は試合がある。
月曜日だけは試合がない。
金曜日、小山さんが笑いながら言っていた。
『月曜日は試合がないので残業しても平気なんです。』
あの時は意味が分からなかった。
今なら少しだけ分かる。
野球は、毎日の生活の一部なんだ。
気付けば、自分も試合日程を確認するようになっていた。
次の試合で勝ったら、小山さんはまた笑うだろうか。




