第6話
土曜日。
朝から気持ちよく晴れた空が広がっていた。
千尋は朝から慌ただしく支度をしていた。
「よし。」
レッドフェニックスのユニフォームに袖を通し、タオルとプラバットをリュックへ入れる。
財布、モバイルバッテリー、携帯。
忘れ物がないことを確認すると、部屋を出た。やや強い日差し対策に日焼け止めとアームカバーもしている。
今日の試合開始は13時。
選手の練習を見るため、11時には球場へ着く予定だ。
どんなに試合開始が早くても、この時間だけは譲れない。
打撃練習の打球音。
守備練習の掛け声。
試合前の少し張りつめた空気。
練習中に流れる流行りの曲や野球のテーマソング。
それら全部が、千尋の好きな「野球観戦」だった。
その頃、皓太郎は自宅で観葉植物に水をやっていた。
休日の朝は静かだ。
掃除をして、洗濯をして、本でも読もうかと思っていた。
ふと、スマートフォンを見る。
時刻は11時2分。
「……そういえば。」
今日は小山さん、球場へ行くって言ってたな。
昨日の帰り道。
「11時には着きたいんです」と笑っていた姿を思い出す。
試合開始は13時なのに、2時間も前から球場へ行く。
どういうことだろう。
少しだけ気になって、スマートフォンを開く。
アプリの検索欄に指が止まる。
「レッドフェニックス」
昨日の夜も検索しようとしていた言葉だった。
順位表。
選手一覧。
試合日程。
次々に表示される情報を眺める。
「昨日のピッチャー……山下さん、か。」
名前だけは覚えていた。
千尋が「今日は山下か」と朝からつぶやいていたからだ。
野球の知識はまだほとんどない。
それでも、知っている名前がひとつあるだけで少し親近感が湧く。
そのまま検索ページを眺めていると、「試合速報」という文字が目に入った。
「こんなのがあるんだ。」
試合が始まれば、リアルタイムで経過が分かるらしい。
少し迷って、お気に入りに登録する。
「……せっかくだし。」
今日くらい、結果を見てみよう。
それだけのつもりだった。
まだこの時の皓太郎は、自分が翌日も、そのまた翌日も試合結果を気にするようになるとは思ってもいなかった。
時計の針が13時を指した。
皓太郎は昼食を食べ終え、ソファに座ってスマートフォンを手に取る。
「始まった頃かな。」
昨日、お気に入りに登録した試合速報を開く。
画面にはスコアボードと、打席ごとの結果が表示されていた。
「へえ……。」
テレビをつけなくても、試合の流れが分かる。
思っていたより面白い。
しばらく眺めていると、レッドフェニックスが先制点を奪った。
「点、入ったんだ。」
自然と口元が緩む。
昨日までなら、どちらが点を取っても何も感じなかった。
それなのに今日は違う。
気付けば、レッドフェニックスを応援している自分がいた。
きっと、小山さんが応援しているチームだから。
理由は、それだけだった。
その後も家事をしながら、何度もスマートフォンを開く。
洗濯物を取り込んで一度。
コーヒーを淹れて一度。
本を読んでいても、ふと思い出してまた一度。
「今、どうなってるかな。」
「勝てそうなのかな。」
スコアが更新されるたびに、自然と画面を開いてしまう。
5回。
レッドフェニックスが追加点を挙げた。
「勝てそうなのかな。」
そんなことまで考えるようになっていた。
けれど、文字だけでは分からない。
どんなヒットだったのか。
どんな守備だったのか。
昨日、球場で見た景色を思い出す。
歓声。
打球音。
小山さんの「抜けた!」という声。
「映像で見られないのかな。」
そう思い、検索してみる。
試合をライブ配信しているサービスがあることを知った。
「こんなのがあるんだ。」
無料で見られる試合もあるらしい。
ちょうど今日の試合も配信対象だった。
皓太郎は迷わずアプリをダウンロードした。
画面に映し出された球場。
昨日、自分が座っていた場所。
緑のグラウンド。
応援団の演奏。
「あ。」
昨日と同じ応援歌が流れている。
ルールはまだ全部分からない。
それでも、昨日より少しだけ試合が面白く感じる。
千尋が話していた言葉を思い出す。
『勝ったらとびきり嬉しいし、負けたらとびきり悔しいです。』
「こういうことなんだ。」
7回表。
試合速報の表示が次々に更新される。
「……逆転された。」
さらに追加点。
気付けばスコアはひっくり返っていた。
試合終了の表示を見届けると、皓太郎は静かに息を吐く。
「負けた。」
思わずため息が漏れた。
それは野球そのものが面白くなってきた証拠でもあり、同時に、小山さんはどんな表情で悔しがっているんだろう、と真っ先に考えている自分への驚きでもあった。
翌日もデーゲームがある。
試合開始は14時。
——明日も、少しだけ見てみようかな。
そんなことを考えながらスマートフォンの画面を閉じる。
明日勝ったら、小山さんは笑うだろうか。負けたらどんなに悔しがるんだろう。
そんなことを考えている自分に、皓太郎はまだ気付いていなかった。




