26.Z世代のひとり言
別視点の閑話です。
ハラスメント表現がありますのでご注意ください。
(長いです)
俺の育った村は限界集落と呼ばれるところで、海から激しい吹雪が吹くたび屋根が飛ばされるんじゃないかと子どもの俺はいつも心配していた。十歳のときに祖母が亡くなり、両親と上京してからは都会の刺激の多さにあっという間に馴染み、故郷を懐かしむことなんて一度もなかった。
それからさらに時はたち、進路が決まらないまま大学生活も残りわずか。
モデルのバイトをした帰り、銀座の裏通りに並ぶ古いビルでたまたま目にした写真展に入ったのは、待ち合わせまでタダで時間つぶしできるならと、軽い気持ちだった。
『心の記憶』と題された写真展では、過疎でなくなった村々の風景が並んでいた。
額縁に納められた誰かの故郷は、どこか切り取られた作り物のように遠くて、足を止めることなく順路を進む。
突き当たりにきたとき、鼻を懐かしいにおいがくすぐった。
(あ、雪が降る)
都会とはちがう、圧倒的で荘厳な、すべてを覆いつくす雪のにおいに鳥肌が立つ。
反射的に顔を上げた瞬間、山里の写真が目に入り、脳裏に忘れていた記憶が甦る。
冬の訪れを静かに告げる海の暗いざわめき。
日が落ちると自分の手も見えなくなる深い闇。
凍てつく寒さに、握った祖母の手の温かさ。
それは、今はもうない故郷のにおいで。
気が付くと涙が頬を伝っていた。
主催のカメラマンに尋ねると、撮影中に知り合った調香師が配合した香りだという。
(調香師って、こんな香りがつくれるのか……)
このことをきっかけに、俺は大学院に進み、香りの研究をはじめた。業界最大手の会社に就職が決まり、花形部門である調香部に配属されたところまでは順調だったが。
「初めまして山本です。よろしくね、山田君。」
指導係として紹介されたのは、少しくたびれた感じの30代過ぎの女性だった。
俺の顔をみて、すぐ目を逸らす。
なんだ?俺に見とれている感じでもないし。
「朝ごはん食べた?」
「いや、俺食べないんで。」
「そっか。」
よかったら持っててと、デスクから取り出したビスケットを押し付けられる。
大阪のおばちゃんかよ。
悪い人ではなさそうだが、なんで大学院まで出た俺がと正直期待外れだ。
かじったビスケットは、地味でつまらない味だった。
「山本さーん、コピー機詰まっちゃったんだけど」
「ハイハイ」
「山本、明日までにこのサンプル追加で欲しいんだけど!」
「……な、なんとかするよ。」
「山本さぁん、この精油もう取扱いないって言われたんですけど取引先から受注しちゃってぇ。」
「それ廃版って通達でてたやつぅ!仕方ない、知り合いに分けてもらえないか頼んでみるよ。」
山本さんは、どうでもいい仕事を押し付けられてばかりだ。
今も調香室で香料サンプルのチェックをしながら、棚のホコリ掃除をしている。
「ここの段は希少なサンプルだから、嗅いでみるといいよ。蓋の締め忘れには気を付けてね」
「てか俺、ちゃんと仕事したいんですけど」
「仕事……!とおっしゃいますと?」
「調香やりたいんすけど」
「あぁ。ここら辺は期限切れの香料だから練習に使えるよ。わからないことあったら聞いてね。」
棚掃除を終えた山本さんは、誰かが使いっぱなしの機材を片付けはじめた。
誰かが何十回もトライアルをしたのだろう、大量の香料瓶やスポイトが散乱している。
(放っておけばいいのに。こーゆー昭和的な美徳、勘弁してほしいよな。)
他人の尻拭いをして、手柄は横取りされて、お人好しすぎて馬鹿みたいだ。
同期の男性社員は出世しているのに役職にもついていないようだし。
仕事なんだから、割り切ってもっと効率的にやれよな。
荒れた手で機材を洗う山本さんを内心見下しながら、調香の練習を続け、一ヶ月もしたときのことだ。
「この会社のことは俺に聞けよ!色々教えてやるからな!」
駅前の居酒屋でビールジョッキ片手に息巻いているのは営業部の下田課長だ。
水曜の夜をつぶされ、俺たち新人の迷惑顔に気づかないおっさん、しんどすぎる。
順番に自己紹介をさせられ、俺の番になる。
「調香部に久しぶりに新人が入ったって聞いたが、お前のことか。指導係は誰だ?」
「山本さんです」
「あぁ山本か。俺と同期だが、あいつもすっかりお局様だな。」
おつぼねさま?なんだ、役職ついてたのか。
「今日は営業部の手伝いするから残業って言ってましたけど」
「いいんだよ、どうせ独身だから暇だろ。あいつもあんな性格だから結婚できないんだよなー。お前、彼女は?早く結婚した方が出世しやすいぞ。」
余計なお世話だよじじい。
しかし誰からも感謝されないのに無駄に会社に尽くす山本さんって、本当に残念な人だな。
「うちの新人は、ほんと出来が悪くてな~。」
下田課長の言葉に、営業部に配属された同期の顔色が悪くなる。パワハラ気質な下田課長に早速目をつけられているらしい。
「俺が新人のときは朝駆け夜討ちで、ガツガツ取引先と関係つくったもんだ。お前もさ、仕事できない分、もっと気力で頑張れよ!せっかく女なんだからさ、もっと女らしい気配りとかさ、できねぇの?」
つまらない自慢話を混ぜた人格否定が延々と続くので、コンプラ通報案件だなと、こっそりスマホで録音を始めたときだった。
「あっれー?下田くんじゃーん!」
重苦しい空気に包まれた個室の扉が突然開き、俺の指導係が顔を出す。
(なんだ、またお節介しにきたのか?)
山本さんの顔を見た下田課長は、なぜか青くなる。
「山本?!」
「なになにー?昔話なら混ぜてよぉ。」
山本さんは酔っぱらい風に絡み始める。
「もしかしてあの話?下田くんが消費税の計算間違えたまま売上処理してた伝説のやつ?」
「それは新人の時だろ!」
「当時まだ5%でよかったよなー、今じゃ10%だかんなー。そうそう、二日酔いで納品直前の香料を全部割ったこともあったね。取引先怒らせて、あんときは先輩と徹夜したっけなー。」
「新人の頃な!」
「だよなぁ。今の新人は、私らの時と比べもんにならないくらい優秀だわぁ。」
下田課長はバツの悪そうな顔をする。
「なぁ下田くんや、楽しくなってきちゃったな。昔話ならこっち来てしようよぉ。」
山本先輩は微笑んだまま顎を引き、大人しくなった下田課長を自分のテーブルへ連行していく。
静かになった個室に、誰が頼んだのか次々に食事が運ばれてくる。
「山本さんが指導係なんだ、いいなぁ。」
先ほどまで詰められていた営業部の同期が、ハイボールを飲みながら息を吐く。
「こないだ資料作成終わらなくて残ってたら助けてくれたんだよね。総務の人じゃなかったんだ。」
「私もトイレで指導係のセクハラ愚痴ったら、次の日指導係が異動になったの!人事の人かと思ってた。」
「下田課長やりこめてくれてスッキリしたわ―!」
「山本さんってふだん地味だけど、実は元ヤンとかかな?!」
「しらんけど」
意外な評価を聞きながら、そのまま同期たちと楽しく飲み食いした帰り際、ちらりと山本さんのテーブルを見ると課長含めたおじさんたちと談笑していた。
山本さんの皿の前には烏龍茶が置かれている。
(やっぱり酔ったフリか。)
俺たちの会計は済んでいて、同期がそちらへ向かって手を合わせると、山本さんに小突かれた下田課長から小さく会釈を返された。
山本さんはお人好しだけど、八方美人ではないらしい。変な人だ。
その翌日、でかい仕事が舞い込んだ。
化粧品メーカーの新商品である、女性向けシャンプーの香りだ。
もともと隣のチームが担当していたのが、なぜかうちのチームに回ってきたのだ。
「ちょっとこれ期日、明後日っすよ!?」
「相手先のOKが出ないんだって。うーん、女性に好まれるフルーティーな香りねぇ。」
頼りなさが顔に出ている課長に文句を言うが、困ったねぇと頬をさするだけだ。
「クライアントがわがままなのよね。付き合うだけ時間の無駄だわ。うちのチームは忙しいからあとは適当にやってちょうだい」
そう言って、隣のチーム長である杉川さんというファッションもメイクも派手な年配の女性は、サンプルの箱を押し付けていった。目の前の却下されたというサンプルはどれもフルーティーな華やかな香りで、なにがダメなのかもわからない。
「山本くぅん、頼める~?」
「ハイ、ヨロコンデー」
課長に声をかけられた山本さんの返事には、1ミリも心がこもっていない。
こんなトレンドに疎そうな山本さんに、化粧品会社がのぞむ香りがつくれるとは思えないけど。
(後処理を押し付けられたなー)
顔をしかめていると、山本さんはNGサンプルを一通り嗅ぎ、課長を見る。
「これって営業部と話ついてます?」
「何も言ってなかったねぇ。」
「ハァ。私ちょっと営業部に行ってきます。」
「悪いねぇ。」
指導係は、ため息をついて部屋から出ていく。
「山本さんに任せていいんですか?」
「あぁ、彼女の仕事みてきたら?面白いよ」
課長に言われ山本さんについて営業部へ行くと、営業部長が怒り心頭で待ち構えていた。
「調香部は何をやってる?!ちゃんとクライアントの要望を聞いているのか?」
「申し訳ございません。」
「これが失敗したら今後の取引にも影響するんだぞ?山本、なにやってる!」
「大変申し訳ございません。」
うちのチームの仕事じゃないのに、なぜか山本さんが謝っている。
俺は頭を下げる義理はないので、とりあえず横に立ったままその様子を眺めていると、営業部長は気まずげに、もういい、と背を向けた。
「山田君、巻き込んで申し訳なかったね。」
山本さんはなぜか俺にまで謝る。
「俺らが謝る必要なくないですか?そもそも、同じ会社なのにおかしくないすか?」
「さすが光属性……ご指摘の通りです。この文化は私の代で終わらせるから屍を超えていってね。」
悲壮感あふれる山本さんになぜか感心されていると、例の下田課長が苦笑いで近づいてくる。
「なんだ、やっぱり山本が出てきたか。杉川がよく明け渡したな。」
山本さんは無表情で肩をすくめる。どうやらこの3人は同期らしい。
「部長が山本の横で直立不動に立ちつづけるヤッターマンみたいな若い男、俺にしか見えない?って不安がってたぞ。」
「こちら、うちの自慢の新人です。」
「いやぁ、ごめん、やっぱ俺が教えられることないわ。」
「だろ?それよりさ、悪いんだけど、クライアントに急ぎで時間もらえるかな?30分でいいから。」
「すぐ確認する。」
山本さんはその足で調香室に戻り、数百以上の香料瓶が並ぶ棚からサンプルを選んでいく。
「何してるんすか?取引先に謝りに行くんすよね?」
「取引先に直接ヒアリングさせてもらう。」
「あと2日しかないんすよ!新しく作るつもりですか?!」
「そうそう、だから別のサンプルで少しでもあたりをつけたいなと。」
棚から無造作に香料瓶をとりだし、次々と専用バッグに入れていく。
「そんな適当に……」
「一応、さっきのNGサンプルとは被らないようにしてるよ。」
「まさかどこに何の香りがあるか、覚えてるんすか?」
「そりゃそうだよ、じゃなきゃ仕事にならんでしょ。」
当たり前のような顔をしてるけど、そんなこと可能なのか?
他の調香師はいちいち確認していた気がするけど。
「山田君もスーツあるなら同席する?」
「いいすよ!てか、山本さんその顔でいくつもりですか?相手先、化粧品メーカーですよね?」
「ソウデスネ……。口紅くらい塗るか……どこやったかな……」
急いで化粧品メーカーの本社へ向かうと、ばっちりメイクを決めた綺麗な女性に笑顔で迎えられる。
「何度も申し訳ございません。もう少し新商品のお話を、お伺いできればと。」
いまいち垢ぬけない山本さんのメイクにも態度を変えることはなく、女性はにこやかに対応する。
「今回は女性を応援する商品にしたくて。朝起きたとき、満員電車から降りたとき、ふとした瞬間にふわっと香る、気分が上がる香りがいいんです」
「フルーティーな香りというのは、なにかこだわりが?」
「社会に出ると、女性ということが足かせになること多いじゃないですか。なめられたくないけど、自分の中の可愛らしさを思い出したいっていうんですかね?」
「あぁ、わかる気がします。」
担当者は山本さんと同世代のようで、意外に分かり合っている。
女性の社会進出が大変なんて完全に昭和の話だろ。俺には全く実感がないが、要望の裏にはそんな複雑な心理があったらしい。
「そうなると華やかで惹きつける香りというより、そばに寄り添ってくれる可憐な感じでしょうか。この中にイメージに近いものはありますか?」
「主張強くないのがいいですね。」
そんな感じで手際よくヒアリングを行い、帰社すると会社には誰もいなかった。
「山田君も帰っていいよ。」
「山本さんは?」
「イメージできたから、このまま調香するつもり。」
「なら俺もやります!」
せっかくの機会だ、調香室へ早速こもる。
結構な時間をかけてサンプルがひとつ出来上がったところで、息をつく。
(そういや山本さんが調香作業してるの、初めてだな)
向かいのテーブルに目をやり、思わず動きが止まる。
山本さんは数十種類の香料瓶を作業台に美しく整列させ、ひとつづつ丁寧にスポイトで極少量を吸い上げ、電子天秤の上で調合していく。
一見シンプルで単純な調合作業だが、山本さんのそれはとてつもなく速くて正確だ。
0.1mlもない、爪の先ほどの精密さが求められる世界で、迷いなく流れるように作業が進んでいく。
(……すげぇ、職人かよ。)
ガラス瓶の音すら立てない、無駄のない熟練の技で思わず見惚れていると目が合う。
「山田君、できた?」
「あ、はい。」
近寄ってきた山本さんに、自分のサンプルを差し出す。
「ストロベリーバニラか、いい香りだね。この香りつくるとき、どんな人をイメージした?」
「えっ?」
なんとなく女子が好きそうな流行りのものを組み合わせただけだ。
「さっき、かわいらしい感じがいいって言ってたので」
「私ならもう少し軽くするかな。」
山本さんは俺の作業台にごちゃごちゃと並んだ香料瓶を一瞥すると、必要な香料だけ選び、同じ香りをつくり始める。
(まじか。一度嗅いだだけでレシピ再現できるとか、どんだけ鼻いいんだよ…)
神がかり的な手際の良さで、俺のかかった時間の半分以下で出来上がる。
「こんな感じはどう?」
「全然ちがう……!」
砂糖をふりかけたようなくどい甘さに深みが出て、官能的で洗練されたフルーティーな香りになっている。
「これ、何したんですか?!」
「ピンクペッパー足したの。少し刺激がでて飽きないでしょ」
山本さんが調合したのは、色っぽく可愛らしい大人の女性の香り。
俺がつくったのは、安っぽく子どもっぽい香りだと、言葉で指導されるよりずっと思い知らされる。
悔しいけど、ベースが同じなのに別格だ。
「こーゆーのもありなんすね。先輩のはどうなんすか?」
「サボン系でまとめてみた」
シャンプーが石鹸の香りとか、チョイスがやっぱ昭和だと思いつつ、サンプルを嗅がせてもらう。
「うっわ!いい香り」
瑞々しい桃とサボンの清楚な香りに、思わず口に出してしまう。
頭に浮かんだのは、少女の心を持った大人の女性。
かわいらしさと甘さを持つのに、上品で媚びていない。
(フルーティーな香りって、こんなアプローチあるのか!)
どちらも種類の違う、クセの強い香りなのに、うまく引き立てあっている。
なによりこの短時間で香りを潰さずに組み合わせ、まとめ上げるのは至難の技だ。
天才的な調合の腕前に、鳥肌がたつ。
(調合の腕だけじゃない、この人香料の知識や機材の扱いまで桁違いなんだ)
一体いままで、何千回…いや何万回調合してきたんだろう。
愕然としている俺に気づかず、山本さんはやつれ気味に笑う。
「熟れたトロピカル感より、今は青っぽさがトレンドだね。」
「なるほど」
NGサンプルの南国感のあるフルーティーな香りを思い出す。
「山田君のも人気の香りをちゃんと押さえててよかったよ。香りは自己表現でもあるから、お客様がどんなとき使うかとか、どんな人になりたいのかとか、考えてみると広がるかもしれないね。」
俺の単純な考えは見透かされていたようだ。
「それより調合、ちゃんと俺にも教えてくださいよ。片付けばっかじゃなくて」
「一応、手入れがてら機材やら香料の説明もしてたんだけど……。」
肩を落とす彼女こそが、俺をこの世界へ導いた香りを調合した人ではないかとと、そのとき気付いた。
「もしかして先輩、雪の香りつくったことあります?日本海の森に降る雪」
「あー、うん。こないだつくったやつのことかな?」
「うわっ、やばい。オツボネサマってマジですごいんすねー!」
「はぁ?お局様?!」
「元ヤンって本当すか?」
「あぁ?」
山本先輩はなぜか、白目をむいている。
「下田の野郎、余計なことを……。若い頃はむしろキャンキャンしてたよ。」
「キャン?なんすか、配信系すか?」
「いや赤文字系ってゆーか。」
「ユーチューバーすか?」
「私が新人のとき、YouTubeなんてないよ」
「マジすか?!インスタも?」
「ないよ」
「まさかTikTokも?」
「ないよ」
「えっ、普通に困るやつじゃん。何見るんすか!?」
「携帯にワンセグついてたなぁ。」
「そっか、昔の人ってiPhoneないんですもんね……」
「iらんどならあったけどね……」
遠くを見つめている山本先輩の横で、一緒に片づけを始める。
「先輩が酒飲まないのって、調香のためっすか?」
もらったビスケットをかじって気づいたことがある。
この人、一切香りを身につけないんだ。
ランチも、ビスケットも、匂いがしないものばかり。
いつも同じような服からは、柔軟剤どころか洗剤の香りすらしたことがない。
電子天秤を扱う手は、ネイルもせずハンドクリームすらぬらず。化粧も必要最小限で。
香りがある物を徹底して避けている。
「まぁね。お酒好きなんだけど少しでも匂いが残ると鼻が狂うから。でも君も飲んでなかったじゃない。」
「先輩みてたら、まぁ」
山本さんの生真面目すぎる姿勢を、やりすぎだと冷笑するには、あまりにも仕事に対して誠実だったから。そんな人の横にいるうちに、俺も整髪料すらつけなくなった。
「先輩って普段何してるんすか」
「なぜ急に。」
「仕事に全振りして人生楽しいですか?」
「えっ、えっ、」
「酒も我慢して全部仕事につっこんで、めちゃくちゃ痛くないですか?」
「リア充からの視線が痛いーー!」
思わず笑いがこぼれる。
この人、会社に従順な古いタイプかと思ったけど全然違う。
ささいなミスも許せない系の完璧主義者じゃねーか。
どんな仕事でも自分でやるのは、他人に任せられない裏返しだ。
自分と同じレベルで、対等に信頼できる人がいないのか。
「先輩、もっと周り頼った方がいいですよ」
「視座が高い!ありがとうございます!?」
肩こりのせいか、首をひねるこの人に早く仕事任されたいな、なんてサラリーマン的なことを俺は初めて思った。
その夏、桃系サボンの香りは大ブームとなり、化粧品メーカーの看板商品となった。
手柄は当然のように隣のチームの杉川さんが持っていき、先輩はそれに何も言わず、コピー機の紙詰まりを叩いていた。
■■
「どう、山本君は?」
「時々すごすぎて、ムカつきますね。」
近くのカフェでランチをしている課長を見つけ、手招きされたのでそのままごちそうになっている。
「山本君がほめていたよ、香りのセンスがいいって。」
「そっすか。」
嬉しいけれど、手放しで喜べないのはなんでだろう。
「山本先輩って、なんであんなにストイックでなんすか。昭和生まれだから?」
「なんだろうねぇ。なんか、探してる香りがあるみたいなんだよね。自分がつくった香りにすら執着しないのも、そのせいかねぇ。」
探している香り……俺のように、なにか失った思い出と関係あるんだろうか。
「初恋の香り、先輩、珍しく手こずってますけど。手伝わなくていんすか?」
「山本くんなら、まぁなんとかしてくれるでしょう。」
「オツボネサマですもんね!」
「そうそう。彼女は我が社のエースだからねぇ。」
課長はそういって、氷が解けて少しぬるくなったアイスコーヒーをすすった。
いつもありがとうございます




