8-3
ミトラがピタリと足を止めた。
あたりは植物と水の爽やかな香りが漂い、顔を上げると、視界に見えた店先は一面カラフルな花に包まれていた。
「いらっしゃいませ~、ゆっくり見ていってください~」
ほんわかした雰囲気の漂う優しいたれ目の女性店員が、店先の花の水を取り替えながらこちらを振り返ってにこっと笑った。
エプロンをして胸に白い花の、中央から外側へ水色のグラデーションがかかったバラのような花のワッペンがついている。
店員の頭上には、髪の毛と同じ色の茶色の毛に包まれた丸くて小さな三角形の耳が覗いている。
後ろ姿には耳と同じように茶色の毛に包まれた、細長い猫の尻尾が生えている。
尻尾は鼻歌とともに上機嫌にふらふら、ゆらゆらしており、店員は人間ではない種族であることがうかがえる……。
店員は挨拶をすると、すぐにこちらへ背中を向けて作業に戻った。
「(あの尻尾、捕まえたらスルって逃げそう……)」
僕は店員の尻尾の動きが気になり、動く様子を見つめた。
先端がスーッと下に落ちたかと思えば、ぴくんと動いて飛び上がり、ふわっと左右に揺れるのが不規則でとても不思議だ。
尻尾が予想できない動きをして、それが僕の興味をそそって仕方がない。
クレイ研究所に尻尾の生えた人はいたが、こんなに不思議な動きをする尻尾の人はいなかった。
「―――リアン?聞いてる?」
「……んえ」
名前を呼ばれて横を見ると、ミトラが足を止めて僕を見つめていた。
そして僕の見ていた方向、視線の先にいたご機嫌な店員の方を見た。
それから僕の方へ視線を戻し、聞いてきた。
「……店員さんが気になったの?」
「あ、えっと……」
僕は猫の尻尾が生えた人など見たことがなかった。
その尻尾に誘われていたというのはおかしいことだと思い、僕はうつむいた。
なにせミトラは店員を見ても何の反応もしていない。
僕が黙ってうつむいていると、ミトラはくすっと笑った。
「ふふ、そういえばクレイ研究所には猫の尻尾の生えた獣人はいなかったわね」
「……獣人?」
僕は顔を上げて、ミトラにたずねた。
獣人とは何だろうか?
「そう、店員さんは獣人よ
獣の耳や尻尾なんかを持ってる人をそう呼ぶの」
獣人、そういえば商店街にも獣の耳や尻尾の生えた人がたくさんいた。
……なるほど、そういう人を獣人と呼ぶのか。
ひとつ知恵が増えたと嬉しく思っていた矢先、僕はクレイ研究所にいた実験の計測係の女性を思い出した。
「そういえば、僕がいつも実験をするときに計測係をしてた尖った耳のお姉さんも獣人なの?」
計測係の女性は人間ではないだろう。
毛など生えていない人間とよく似た肌色の耳だが、計測係の女性は耳が尖っていて長かった。
人間に近く、耳が長いこと以外は何も変わった見た目はしていない。
僕がそうたずねると、ミトラは苦笑いをしながら首を横に振った。
「彼女はエルフね」
「えるふ……」
計測係の女性は耳が尖っていること以外は人間と同じで、これと言って変わった違いはなかった。
しかし、見た目は人間の耳よりも集音しそうで音が聞こえやすそうではある。
身体の違いで何か差があったりするのだろうか?
「種族がいっぱいいるけど、何か違いはあるの?」
ミトラはうーんと唸る。
「エルフは長生きね、人間が長いときは100年生きるのに対して、それよりもずっと長く生きるわ」
「種族ごとに違いがあるんだ……!」
「そうね、他には……」
僕は彼女の回答をじっと待っていた。
ミトラは目を閉じて人差し指をくるくると回しながら考えているようだ……。
「―――うふふ、猫のわたくしは気配を消すことが得意だったりしますよ~!」
「……わ!?」
不敵な微笑みが真横から聞こえた。
僕とミトラは驚いて身体がびくっと跳ねた。
慌てて振り返ると、穏やかな雰囲気の店員が左に身体を少し傾けて愛嬌を振りまき、ニコニコしながら後ろで手を組んで僕の隣に立っていた。
さっきまで花のバケツに水をやっていたはずなのに、まるで瞬間移動したような感覚だ……。
これが猫の特徴を持つ獣人の特徴なのだろうか……?
「……もう!びっくりさせないでよ!」
ミトラは驚いた後、困ったような表情をしながら「あはは」と笑った。
「ごめんなさい、ミトラ様とお連れ様が楽しい話をなさっていましたので~」
店員はすっと背筋を伸ばして右手で口を抑え、おしとやかにふふっと笑った。
2人の間には穏やかで優しい空気が流れている気がして、僕は少しだけ心が和んだ。
驚いた後だからか、それも含めて表情が緩んだ気がする。
しばらく3人で笑った後、店員がしゃきっと背筋を伸ばして、何かをひらめいたかのようにそっと両手を合わせた。
「ところで~、何をお探しですか~?」
店員は僕とミトラを交互に見ながら、ふわふわした優しい顔を振りまく。
……そういえば、僕はすっかり目的を忘れていた。
先生という人に挨拶する、そのために花を買おうとしていた。
「花を買いに来たのよ、挨拶のために花束を作ろうと思ってるの」
「(花束……?)」
僕はまた聞いたことのない単語に首を傾げた。
束と言うのだから、花をいくつかまとめたものだろうか?
そういえば花をいくつかまとめた綺麗なものは見たことがある気がする。
花が何本か淡い色の紙に包まれていて、持ち手にはリボンが結んであった。
綺麗にそろった花が紙の中を彩り、見たときに視界いっぱいに花が広がって、その様子がすごくきれいで見とれる物。
僕は2人のやり取りを観察し、様子をうかがった。
「そうだったんですね!お相手はどのようなお花がお好きなんですか~?」
「……どんな花でも好きといった感じね、花より花を贈る文化を重んじてる感じなの」
「なるほど!古き良きを大事にされる方なんですね~!」
「そうね……」
ミトラは深く考え、花束をどんなものにしようか頭を悩ませていた。
先生がどのような花が好きなのか、彼女は知らないらしい。
店員はそれを前のめりにうんうんと聞き、大きく驚いたり手を合わせてみたりしてオーバーリアクションをしながらも、ミトラと一緒に内容を考えているようだった。
「(先生は花に興味があるんじゃなくて、文化を大事にしてるんだろうな……)」
僕はミトラの話から、先生が花に興味がないのではないかと考えた。
伝統や文化を大事にしてるから、贈られればどんな花でも普通に喜ぶという感じだろう。
「(……古いやり方を大事にしてる人が喜ぶお花ってあるのかな?)」
かつて人がセルセラに花を贈ってセルセラがそれを喜んだように、先生にも喜んでほしいと思った。
なぜなら、それが文化の始まりだからだ。
……僕は先生に喜んでもらいたい、せっかくの贈り物なのだから。
……でもどんな花がいいんだろう?
「リアンも選ぶのを手伝ってくれないかしら?好きな花や気になる花を教えてほしいわ」
ミトラに声をかけられ、僕は焦った。
てっきりミトラがすべて選ぶと思っていたからだ。
……自信はないが、これを手伝えばミトラのためになるかもしれない。
そう思い、僕は頷いた。
これは責任重大だ、もしかしたら僕の選んだ花で花束が作られるかもしれない。
緊張してきた、一生懸命選ぼう。
よし、と僕は意気込んだ。
「わ、分かった!」
僕は悩みながら店内を見渡し、花を見るためにゆっくりと歩いて店の奥に行った。
店内にはいくつものバケツと多種多様の花が用意してある。
それは通路までも広がり、走ってしまえばすぐに転んでバケツをひっくり返して大惨事になるだろう。
店の奥、僕は隅の方に静かにたたずむ花を見た。
真っ赤でフリルのような花弁が、渦を巻いて何重にも集まった花、これはバラと書かれている。
長くしなった1本の茎に、小さくて白い逆さの壺のような花がいくつか咲いている花、リリベル。
他にも細く枝分かれした茎に指先ぐらいのサイズの黄色の花がたくさん咲いているものや、しずくのような形の桃色の花びらが6枚綺麗に開いて真ん中にもこもこっとした山があるものなど、様々だった。
「幸せ、よい一日を、愛しています……?これはなんだろう?」
花の名前の札の隣には、様々な言葉が並んでいる。
「それは花言葉ですよ~!」
店員が横からぬっと出てきて、僕に声をかけてきた。
僕はまた少しびっくりして苦笑いをしたが、2度目なので身体が飛び上がることはなかった。
店員は人を驚かせることが好きなのだろうか?
それはともかく、花言葉と聞き覚えの無い単語がまた増えて、僕は首を傾げた。
「花言葉?」
「そう!花によってメッセージが込められてるんです~!
その隠れたメッセージを人に送って、それを知った人が幸せな気持ちになるなんて、ロマンチックで素敵だと思いませんか~?」
店員は何かを願うように両手を組むと、首をふるふると振りながら宙を見上げて目を閉じてほんわかした笑顔を浮かべる。
そして素敵だと言わんばかりの深いため息をついた。
「……たしかに、花に意味を込めてメッセージを贈るのはロマンチックかも……」
言葉を交わさなくても意思疎通が出来るというのは、とても不思議だ。
しかしそれが面白いのかもしれない。
もしかすると人々がその行為を楽しんでいて、それが流行っているから名前の隣に言葉が添えられて分かりやすくされているのかもしれない。
「ですよね~!是非お連れ様も贈る方に意味を込めて選んでみてください~!」
「うん!教えてくれてありがとう、店員さん!」
「どういたしまして~」
僕がお礼を言うと、店員はミトラの方へうきうきしながら歩いて行く。
そして店の入口で花を眺めているミトラに声をかけ、ミトラは顔を上げた。
ミトラが店員に身振り手振りで説明をし、店員が「それなら〜」と花を指差す……。
そんな風に2人は談笑しながら花を選んでいた。
僕は花の方へ視線を戻し、花の名前の横に書かれている花言葉も意識して花を見た。
「(先生はきっと物知りな人だろうな
花束にどんな意味が込められていたら喜ぶのかな……)」
僕はふと、クレイ研究所にいたときの事を思い出した。
そういえば、花束を見たことがあったのはミトラが何度か持ってきたからだ。
その時、僕は実験に失敗し続けることを気にして、自室で落ち込んでいた。
研究員達が優しくしてくれることに対して、僕は何も彼らの助けになれないことを気にして、自分を責めていた。
そんなときにドアが開き、顔を上げるとミトラがいた。
「―――リアン、今日はとっておきのプレゼントがあるのよ」
自室の質素なベッドに腰かけていた僕。
僕の前に両手を後ろに隠したミトラが立った。
彼女はいつものサプライズの時のようにとてもいたずらっぽい笑みを浮かべる。
毎度のことながら僕を驚かせることを楽しみにしている時の彼女だ。
サプライズは好きだ、でもその時は思ったように元気が出なかった。
僕は苦笑いを浮かべながら「プレゼント?」とたずね、彼女が後ろに隠しているものを出してくれるのを待った。
彼女が自室に入ってきた瞬間から、甘い香りがした。
彼女は微笑みながら、花束を目の前に出した。
「ほーら、これがお花よ!」と言われ、僕は花束の中に広がる花束を見つめた。
視界いっぱいに広がる小さな花の風景、それはたしかに綺麗で心が躍る。
握った手を広げたような白い花、しずくの形をした花弁の下の方、茎の付け根には細い花弁がいくつも広がって生えており、真ん中には渦を巻いたような細い糸のようなものがある。
花のプレゼントは僕を驚かせて、元気のなさを吹き飛ばして好奇心を掻き立てた。
その時の僕は生まれて一度も花を見たことがなかった。
「……触ってもいい?」
初めて花を見た僕は好奇心がそそられ、花を触りたくなった。
僕はそうたずねながら、花とミトラを交互に見て、自身の好奇心のままに手を伸ばしていた。
それを聞いた彼女は小さく「あはは」と声を上げて笑った気がする。
「いいわよ」
そう言われて僕は恐る恐る花の花弁を人差し指でつんつんとつついた。
花弁はとても薄くて繊細で、触れた瞬間に僕の弱い指の力でしなやかに折れ曲がり、花束の中にすぽっと手が埋もれた。
「……わあ、固くないや、やわらかくて、すぐに折れちゃう
とても優しい雰囲気で、強く握ったら優しすぎて壊れちゃいそう……」
「ふふ、そうね……」
手を引っ込めてくんくんと香ると、手には花のみずみずしい香りが付着し、命の温かみを感じる。
ミトラはその様子を見て嬉しそうに笑っていた。
……昔はそんなことがあったな、と思い出していた。
……そういえばあの花にも花言葉があったのだろうか?
ふと視界に入った花を見ると、それはミトラからもらった花と同じように、手を開いたような形の白い花があった。
しずくのような形の花弁の下には細い花弁がたくさんついていた。
まさにあの時もらった花だろう。
「……儚い、純粋」
花言葉の札にはそう書かれていた。




