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3:思いを届かせて

深夜。ミトラの家。


外も静まった頃、僕は寝る支度を整えてミトラの家の寝室にいた。



ミトラは研究資料の整頓されている机のそばにある椅子に座っていた。


ラボコートを着ていない、半袖のTシャツにスキニー姿のミトラは新鮮だった。



机のそばにある小さな灯りだけが寝室を照らしており、部屋は薄暗い。


ミトラは椅子をくるりと回転させて僕の方を見ながら苦笑いしていた。



その原因は、風呂に入る前にミトラに「寝巻はこれでいいかしら」と言って渡された大きめの水色Tシャツだ。



僕は風呂をあがってその服を着て寝室に入った。


萌え袖のようにでろーんとして、丈は膝につきそうなくらい長く、首元は広くて片方の肩が出てしまう。


胸元には長丸の胴体に三角形のような物がくっついた生き物のラインアートと、下には”poisson”という文字が書いてあった。



「ちょっと大きすぎるわね……でも、それしかなかったの、ごめんね」



「これはミトラの服?」



「そうよ、リアンでも着れそうな服がそれしかなくて……


リアンの普段着はベルトで引き締めてる部分が多いから、ゆったり着れるものがあったらいいなと思ったけれど、ゆったりどころかぶかぶかね」



「でもそれはそれでかわいいわ」とミトラはくすくす笑う。


とても満足そうだ。



「ここに書いてある生き物がすごくかわいい!」



僕は袖をまくり、右手で胸元を指さした。



「それが魚よ」



「……へえ!魚って手とか足が生えてない生き物なんだ……?」



「確かに魚には手も足もないわね……でも尻尾はあるわよ」



ミトラは椅子から立ち上がり、屈んで三角形の部分を指さした。



なるほど、この三角形は尻尾だったのか。


手も足もないのに魚はどうやって活動するのだろうかと、僕は疑問に思った。



「……それにしても、壊世雨の予測が当たってよかったわ、何度も予測ができたら研究価値を見出してもらえるかもしれない」



ミトラは寝室にある机の前の椅子に座り直し、僕に話しかけてくる。


ミトラはとても嬉しそうに満面の笑顔を浮かべていた。


その笑顔を見ると、僕もなんだか心が明るくなって嬉しくなった。



「予測が当たり前になれば、シティの人たちは今より安全に活動できて、物資の調達にも困らなくなるわね……」



「うんうん!」



僕は強く頷く。


ミトラの研究が順調に行けばその通り、人々はシティの外の壊世雨の予測を頼りに行動できるようになる。



ミトラはニコッと笑うと、資料を開いて複数の電子モニターを見ながらキーボードを触り始めた。



「ベッド、使っていいわよ、私はもう少しやる事をやってから寝るから」



ミトラはくるりと椅子の向きを変え、身体を机に向けるとスケジュール帳を開き、肘をつきペンを持ってうーんと唸る。


真ん中の電子モニターの表示と交互に見ながら考え事を始めたようだった。



「(……これ以上邪魔しないでおこう)」



僕は靴を脱いで黙ってベッドに入った。


枕が低反発でよく沈み、布団は身体にフィットする形に変化する。


毛布はふかふかで温かい……。



僕の視線が気になるとやりづらいだろうと思い、僕はミトラに背を向けて丸くなった。



……ミトラはすごいな。


……でもとても危なっかしい。



僕はミトラが壊世生物を槍で刺した時のことや、研究を手伝ってほしいと言っていた時のことを思い出していた。



ミトラは、人々を助けるために熱心に研究をして、命を懸けて人を救おうとしてる。



「(……僕がミトラを助けられたら……)」



毛布から顔を半分出しながら、黙々と考える。



僕は研究所で研究の役に立たなかったことで”失敗作”と言われた。


ミトラは僕のことを”大事な存在”、”いるだけで研究を頑張れる”と言った。



それだけで僕は自分の居場所を与えられた気がして救われた。


……ミトラは本当に優しい。



でもミトラは優しいだけじゃなくて、人を救うために研究に熱心だった。


その姿を僕はかっこいいと思う、一方で自己犠牲的でいつか破滅を招きそうだとも思った。



僕がミトラを守ってあげられたらいいのに。



しかし僕にそんな力はない。


研究所でパルトネルに斬りかかられた時、ミトラに守ってもらった。


プロジェクトが中止になりトレートルが僕を殺そうと考えていただろう時、ミトラは彼を止めた。


……僕はミトラに守られている。



部屋にはピ、ピ、ピ、とミトラがモニターを操作する音が響く。



その音が子守唄みたいに聞こえて―――。



…………。



…………。



……ピコ、ピコ、ピコ。



「……んん」



目が覚めた。


家事ロボットの声だと思われる音が何度も聞こえるのだ。



振り返ってもベッドにミトラの姿はない、机のそばにもミトラはいない。


どこへ行ったのだろうか。



僕は靴を履き、隣の部屋へ行こうとドアを開けた。



灯りの消えたリビング。


ピコ、ピコ、ピコ、という音に近付く。



キッチンへの入り口があり、そこを通り過ぎると机がある。


更に向こうにはソファがあり、家事ロボットがいた。



そこではミトラがソファの上で横になり、布団をかけて寝ていた。


ゼェゼェと息を切らしながら、苦しそうに身体をひねっている前で、家事ロボットがあたふたしている。



「うぐっ……ハァハァ……」



暗闇の中で二の腕まで黒くなったミトラの右手の指先が赤紫色に発光している。


両手でぐっと胸を押さえ、パクパクと口を開けて苦しそうに呼吸をする。



「ミトラ!ミトラ!」



僕はミトラを揺さぶり、起こそうとする。



「(夢でうなされてる?それとも汚染で……?)」



苦しそうで、何とか助けられないかと、苦しむミトラに声をかけた。


ミトラは勢いよくがばっと起きて、息を切らしながらうなだれる。



僕はミトラの前で彼女を見守る。


ミトラはソファから足をおろして僕の方へ身体を向け、顔を上げて僕を見ている。



疲れ切ったのか無表情で、瞳が壊世雨の結晶のように赤紫色に光っている。


寝る前に見たときよりも元の色が失われて赤紫色が濃くなった気がする。



僕がじっと目を見ていると、虚空を見つめていたミトラの目は僕を見た。



「……起こしてごめんねミトラ、大丈夫?」



僕は声をかけたがミトラは何も言わず、バッと立ち上がった。



……その瞬間、暗闇の中で僕の目の前に影が迫ってきて目を瞑った。



僕は影に突き飛ばされて後ろに倒れ、床に頭を打って倒れた。



「(喉が熱い……!苦しい……!)」



目を開けると、ミトラが被さるように僕の上にいる。


彼女の黒い右手が僕の首を床に押し付けるように絞め付けている……。



ミトラの頬は黒く染まりつつあり、赤紫色の模様ができていた。



僕はミトラの手の軌道をずらそうと、両手で掴んで左へ力を込めた。



「(ミトラ!やめて……!どうしちゃったんだ!)」



「……」



ミトラは何もしゃべらず、無言で無表情で僕の首を握りつぶす勢いで絞めてくる。


それから左手も使って両手で僕の首を絞め始めた。



明確な殺意がある。


彼女は正気じゃなさそうだ。



「(もしかして、汚染の影響……くるしい……―――)」



周りが真っ暗になっていく……。



……。



……。



「……はっ」



寝室の壁が見える。


僕は横になっていた。



そしてここはベッドの上。



「……なんだ、夢かぁ」



窓の外はまだ暗い。


僕はもう一度目を閉じ、眠ろうとした。



……ピコ、ピコ、ピコ。



隣の部屋から家事ロボットの音が聞こえる。



「……夢、にしては同じような音」



僕は起き上がった。



「ミトラ?」



ベッドにはいない。


机を見たが、机の前にもいない。椅子には誰も座っていないし、物も放りっぱなしだ。



どこに行ったのだろうか?



……それとも。



「2度目の同じ夢……?」



僕は考えた。ミトラはきっと隣の部屋のソファで寝ている。


そして汚染で狂ってしまったのか、僕はミトラに襲われる……。



ブルブル……。



「(……でも、ミトラが心配だな)」



僕はベッドからゆっくり降りて靴を履いた。


そして寝室とリビングを繋ぐドアをそっと開けた。



夢と同じくリビングの明かりも消えていて、真っ暗だった。



そこではやはり、ミトラがソファで横になっていて、その前で家事ロボットがミトラのことを心配して音を出していた。



「うぅ……う……っ」



ミトラが引き絞った苦しそうな声を上げている。


ソファの手をかけるところを、足でバンバンと叩き、横になったり仰向けになったりしている。



僕はミトラに恐る恐る近付いた。



「ミトラ、大丈夫……?」



僕がミトラに声をかけると、家事ロボットが振り返って「ピコ!」と音を出した。


家事ロボットはすすすっと下がり、ミトラへの道を開けた。



ミトラはそっと目を開けて僕を見ると、疲れたような困ったような表情で息を切らしながら「ははっ」と笑った。



それを見た瞬間、僕は恐怖心よりも心配の気持ちが勝った。



「ごめんね、起こしちゃったかしら」



ミトラは僕を見て右肘に力を入れてソファから起き上がろうとする。


右手は二の腕どころか首のあたりまで黒くなりかけていて、指先は……いや手の平は赤紫色に、脈を打っているようにドクドクと発光している。



「(汚染が広がってる……!)」



ミトラは汚染が広がっていて苦しいのかもしれない。



「大丈夫!起きなくていいから!!」



僕は両手で止まれの合図をしてミトラを止めた。


ミトラは驚いたのか、身体から力を抜いて起き上がるのをやめた。



「僕、ミトラが寝られるまでここにいるから……」



正直なところ、ミトラが明日になったら死んでしまっているのではないかと不安だった。


かといって、会話をさせても辛そうだった。



「(……僕はミトラを見るのが苦しい、でも一番苦しいのはミトラ

明日になったら目覚めないんじゃないかって思ったら、怖くて離れられない……)」



僕は床に足を崩して座り、ソファの腰かける位置で両腕を組んでミトラのほうに顔を向けた。


じっとミトラを見ながら。腕に顔を半分うずめる。



「……心配、かけちゃったわね……」



ミトラは小さくそう言うと右腕を目元に置き、天井を見ながら深いため息をついていた。



そこからシーンと静まり、僕は静かな中でミトラが寝るのを見守った。

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