死者から届いた手紙 ②
第二部 届いたのは「手紙」ではなく「意志」
店内に沈黙が落ちた。
誰もが封筒を見つめていた。
黒瀬だけが、封筒ではなく依頼人の表情を見ている。
「お名前を伺っても?」
「神崎千尋です」
女性は静かに頭を下げた。
「亡くなった神崎隆一の妻です」
「この手紙は昨日届いたと?」
「はい。午前中、郵便受けに入っていました」
「発見したのは?」
「私です」
黒瀬は封筒を裏返した。
封はきれいに切られている。
「もう読まれたのですね」
「……はい」
「中を拝見しても?」
千尋は一枚の便箋を差し出した。
万年筆で書かれた丁寧な文字だった。
⸻
千尋へ。
もしこの手紙を読んでいるなら、私はもうこの世にはいない。
驚かせてしまって申し訳ない。
私には、どうしても伝えなければならないことがある。
書斎の時計を見ること。
誰も信用してはいけない。
隆一
⸻
私は思わず息をのんだ。
「まるで……遺言ですね」
「ええ」
千尋はうつむく。
「主人の字です」
「筆跡鑑定は?」
「親族も全員、本物だと言っています」
「なるほど」
黒瀬は便箋をテーブルへ置いた。
「そして問題は」
彼は消印を見る。
「亡くなった三日後に届いたこと」
「そうなんです!」
千尋は身を乗り出した。
「主人は亡くなる前、一か月近く入院していました。」
「外出は?」
「できません。」
「郵便局へ?」
「もちろん行けません。」
完全な不可能犯罪だった。
死人は郵便を出せない。
誰かが投函したとしか思えない。
しかし誰が。
何のために。
私は便箋をもう一度読む。
文章そのものは短い。
だが妙だった。
「誰も信用してはいけない」
この一文だけが異様に重い。
「ご家族は?」
黒瀬が尋ねる。
「長男の修司。
長女の恵。
それから私です」
「遺産は?」
千尋は少し言いづらそうに答えた。
「土地と会社、それから自宅を合わせて五億円ほどです」
私は思わず顔を見合わせた。
なるほど。
遺産相続。
動機としては十分だった。
「遺言書は?」
「あります。」
「内容は?」
「法定相続通りです。」
黒瀬は頷く。
「では、この手紙によって相続内容が変わることは?」
「ありません。」
「つまり、この手紙そのものには法的効力はない。」
「……はい。」
私は首を傾げた。
「だったら誰がこんなことを?」
黒瀬は答えない。
代わりに封筒を指でなぞっていた。
やがて小さく呟く。
「先生。」
「なんだ?」
「この封筒、不自然だと思いませんか。」
私は受け取る。
どこにでもある茶封筒。
切手。
宛名。
差出人。
何もおかしくない。
「分からない」
「そうでしょうね」
黒瀬は笑う。
「だから犯人も気付かれないと思った。」
「何が?」
黒瀬は封筒の右上を指差した。
「切手です。」
私は目を凝らした。
普通の記念切手。
それだけだった。
「何かあるのか?」
「あります。」
黒瀬は静かに言った。
「これは、去年発行された切手です。」
「だから?」
「神崎さんが入院したのは、一年半前ですよね。」
千尋が顔を上げた。
「え……ええ。」
「つまり。」
黒瀬は封筒をテーブルへ置く。
「この手紙は、生前に封筒へ入れられたものではありません。」
店内の空気が止まった。
「え?」
私が聞き返す。
「どういう意味だ。」
「亡くなった神崎さんは、この切手を貼ることができません。」
千尋の顔色が変わる。
「じゃあ……」
「誰かが後から封筒を用意し、この手紙を入れ直した。」
私は便箋を見る。
「でも筆跡は本物だ。」
「ええ。」
「文章も本人。」
「その通り。」
「だったら……」
黒瀬は静かに頷いた。
「手紙そのものは本物です。」
「しかし封筒は偽物。」
その一言で、事件はまったく別の姿を見せ始めた。
死人から届いた手紙ではない。
誰かが、死人の手紙を利用した事件なのだ。
黒瀬はコーヒーを一口飲み、穏やかに言った。
「先生。」
「なんだ。」
「ようやく事件が始まりました。」




