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Trompe-l'œil ー二人の太陽王ー  作者: 燎 空綺羅
第2話 神の使徒マンソンジュ
43/47

2-16

 シスターダニーはしょぼくれたまま、翌朝から、仕込み武器を手にした。


 あんなに優しい人を、わたしは殺すのだ。


 神が赦しても、わたしは自分を許せるのだろうか?


 来ないで欲しい。


 シスターダニーは、この日ばかりは、礼拝堂で懸命に祈った。


 あの人が、来ませんように。


 シスター達も、一緒になって祈ってくれた。


 普段は、労働時間だの、清掃時間だの、口うるさいシスター達は、この時は一切それを言わなかった。


 皆が祈ってくれた。


 しかし、夕刻、シラノは現れてしまう。


「お迎えにあがりました。

 貴方の持ち得なかったとある場所に、私が貴方をご案内致しましょう。」


 シスターダニーは、憂鬱になる。


「おじ様。わたしは、神のみもとで修練しているのが、相応しいんじゃないかしら。わたしは、未熟者だわ。」


「未熟なのは、貴方の幼さ故です、

 シスターダニー。

 幼くて悲しい人生の貴方。

 わたしは今日ようやく貴方に安寧の日を贈れそうです。

 鳥かごの貴方を、私が連れ出しましょう。

 今度こそ、貴方の幸せを貴方のものに。

 いらっしゃい、シスターダニー。」


 シスターダニーは、シラノについて歩いた。


 これ以上悲しくなる前に。


 早まって、殺してしまおうか?


「おじ様。わたしは苛烈な愛はいらないけれど、優しくされるよりは、横暴なほうが、やりやすかったかもしれないわ。」


 シラノは意味がわからなかったのか、微笑した。


「おやおや。

 シスターは喧嘩相手をお求めですか?

 しかし、そのような輩は私が許しません。

 貴方のような悲しい人に横暴をする奴は、

 このわたしがとっちめてあげる。

 さぁ、おいで。

 この家の夫婦は子供が欲しいが、身体の欠陥で子に恵まれ無かった方々です。

 ここは、貴方に安息を与えるはずだ。」


 夫婦はシスターダニーを優しく迎えいれた。


「ダニーちゃん。初めは、自宅とは思えないかもしれないけれど、好きなだけ泊まっていきなさい。いつか、家族として当たり前になるまで。こんなに幼い貴方が、苦労をして……あぁ、なんで貴方が孤児だった頃に出会えなかったんだろう。」


 慈愛だ。


 家族という概念を、シスターダニーは知らない。


 でも、わかる。


 この人も、自分に無償の愛を与えてくれている。


「…………」


「シスターダニー?

 戸惑っておられるのか。

 ここは、貴方が本来持ち得たもの。

 貴方が包まれて良いはずの、安らぎの愛です。」


 シスターダニーは、初めて自分の孤独を知った。シラノが与えてくれたものが、彼女を変えたのだ。


「わたしは……始まりから一人でした。父親も母親もいません。だけどわたしは幸せでした。愛してくれるマダムが拾ってくれたから、わたしは悲しみを知りませんでした。」


「貴方は、子供の人生を知らないまま、大人としての愛に生きた。

 わたしは、マダムのことは、貴方の愛する人ならば、貴方と同じに尊ぼう。

 わたしの捧げる贈り物は、貴方の最愛の人には叶わないかもしれないが、ひとつの安らぎとあたたかな居場所を貴方に提供するだろう。」


 何処までも、シラノはダニーを尊重してくれた。


 シラノはあんなにショックを受けていたのに、ダニーの愛を考えて、貴婦人を悪くは言わない。


「わたしは……不幸だとは思わない。だけど知らなかった。貴方に会うまでは、わたしは自分が持たざる者であることさえ、知らないでいた。母がいたら、わたしにケーキを焼いてくれただろうか。父がいたら、わたしを抱き上げて地平線を教えてくれただろうか。」


「シスター。

 叶うとも、今からでも。」


 夫婦は優しく頷いた。


「わたしが貴方にケーキを焼くわ。」


「わたしは、君を抱っこして地平線を教えるし……わたしにも、それは夢だったことだよ。」


 善良な夫婦。


 幸せが待っている場所だ。


 けれど、シスターダニーを待ち受けるものは、ここでは無いのだ。


「……一日だけ考えさせてください。ここには確かな安らぎがある。けれどわたしは、この幸せなことに、ふさわしくは無いのです。わたしは……それが許せない。おじ様。貴方がわたしを包んだように、わたしも貴方を守ります。」


「……シスターダニー!」


 歩き去るシスターダニーを、シラノは見送った。


 悲しみなのか虚空なのか、胸に穴が空いたように、シラノは息苦しくなった。


 彼女は戦いに挑んだのではないか。


 歴戦の経験がシラノに知らせた。


 彼女は覚悟してしまったのではないか。


 シスターダニーは、歩きながら仕込み武器を投げ捨てた。


「ダラメダを、倒すわ。」


 シスターダニーは空想した。


 舞台は戦場だ。


 傷ついたシラノの元に駆けつけた、銀の鎧の騎士、ラ・ピュセルのダニーとなって、騎士ダニーは唸りながら、銀の剣を振るい、バッタバタと敵をなぎ倒した。


「うおおおおぉ!!!」


 おじ様の命は、わたしが守るのだ。


 ダラメダの好き勝手にはさせない。


「何が法王だ!何が神の意思か!!おじ様の敵はわたしの敵だ!!この剣を持って、わたしが貴様を断罪してやる!!!」


 修道院でも、ダニーの戦いは続いていた。


 しかし、ダニー本人にも、わかっている。


 一介のシスター一人で、ダラメダに刃など届きはしないのだ。


 ダニーは大勢の聖騎士の剣にその身を貫かれ、それでも根性だけでダラメダに立ち向かう。


「立ち止まるな!!進め、わたしよ!!!あんな奴に負けて、たまるか!!!」


 ダラメダの顔を知らないし、ダニーは枢機卿の前で羽交い締めにされ、両方から槍で押さえ込まれた。


 わかっている。


 でも、空想でまで、太刀打ち出来ないのは、度し難い。


「大人しくダラメダ公爵の命令を聞きなさい、シスターダニー。シラノ・ド・ベルジュラックを殺すのです。」


 シスターダニーは、枢機卿に不敵に笑って見せた。


「貴方達の狙いは、わたしの美しさなんでしょ?だったら簡単。わたしを利用させたりしないから。わたしはわたしのやり方で、おじ様を守るわ。」


 枢機卿があっと気づき、止めようとした。


 ダニーは自らの剣で、自らの首を跳ねた。


 ダニーの空想世界は、そこでぷっつりと途絶えてしまった。


 主のダニーはもう、いない。


 現実世界では、空想世界と連動して、ダニーは天井の梁に、腰巻きを下げて、首を吊ってぶら下がっていた。


 ギイギイと軋む、異様な音に気づいたシスター達が駆けつけ、幼いダニーの自殺を悲しみ、魂の救いを祈った。


 シラノは、ダニーが心配で、修道院まで歩いて来た。


 シラノはただ窓から彼女が顔を見せるのを待った。


 いつまでも、待ち続けた。


 雪が、降っても。



 ダラメダ公爵にイエズス会士から知らせが入ると、彼は言った。


「シスターダニーは用済みだ。充分な時間稼ぎだったよ。正当な働きに対し煉獄行きでは辛かろう。ショワジー神父を送りなさい。自殺を公表せず弔うように。」


 残虐なるダラメダは、慈悲深さを装ってキリエを唱えた。


「主よ、憐れみたまえ。主よ、救いたまえ……」


 シスターダニーの刃は届かない。


 この男に剣が届くなら、一体それは、誰なのであろうか。

Copyright(C)2026 燎 空綺羅

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