2-16
シスターダニーはしょぼくれたまま、翌朝から、仕込み武器を手にした。
あんなに優しい人を、わたしは殺すのだ。
神が赦しても、わたしは自分を許せるのだろうか?
来ないで欲しい。
シスターダニーは、この日ばかりは、礼拝堂で懸命に祈った。
あの人が、来ませんように。
シスター達も、一緒になって祈ってくれた。
普段は、労働時間だの、清掃時間だの、口うるさいシスター達は、この時は一切それを言わなかった。
皆が祈ってくれた。
しかし、夕刻、シラノは現れてしまう。
「お迎えにあがりました。
貴方の持ち得なかったとある場所に、私が貴方をご案内致しましょう。」
シスターダニーは、憂鬱になる。
「おじ様。わたしは、神のみもとで修練しているのが、相応しいんじゃないかしら。わたしは、未熟者だわ。」
「未熟なのは、貴方の幼さ故です、
シスターダニー。
幼くて悲しい人生の貴方。
わたしは今日ようやく貴方に安寧の日を贈れそうです。
鳥かごの貴方を、私が連れ出しましょう。
今度こそ、貴方の幸せを貴方のものに。
いらっしゃい、シスターダニー。」
シスターダニーは、シラノについて歩いた。
これ以上悲しくなる前に。
早まって、殺してしまおうか?
「おじ様。わたしは苛烈な愛はいらないけれど、優しくされるよりは、横暴なほうが、やりやすかったかもしれないわ。」
シラノは意味がわからなかったのか、微笑した。
「おやおや。
シスターは喧嘩相手をお求めですか?
しかし、そのような輩は私が許しません。
貴方のような悲しい人に横暴をする奴は、
このわたしがとっちめてあげる。
さぁ、おいで。
この家の夫婦は子供が欲しいが、身体の欠陥で子に恵まれ無かった方々です。
ここは、貴方に安息を与えるはずだ。」
夫婦はシスターダニーを優しく迎えいれた。
「ダニーちゃん。初めは、自宅とは思えないかもしれないけれど、好きなだけ泊まっていきなさい。いつか、家族として当たり前になるまで。こんなに幼い貴方が、苦労をして……あぁ、なんで貴方が孤児だった頃に出会えなかったんだろう。」
慈愛だ。
家族という概念を、シスターダニーは知らない。
でも、わかる。
この人も、自分に無償の愛を与えてくれている。
「…………」
「シスターダニー?
戸惑っておられるのか。
ここは、貴方が本来持ち得たもの。
貴方が包まれて良いはずの、安らぎの愛です。」
シスターダニーは、初めて自分の孤独を知った。シラノが与えてくれたものが、彼女を変えたのだ。
「わたしは……始まりから一人でした。父親も母親もいません。だけどわたしは幸せでした。愛してくれるマダムが拾ってくれたから、わたしは悲しみを知りませんでした。」
「貴方は、子供の人生を知らないまま、大人としての愛に生きた。
わたしは、マダムのことは、貴方の愛する人ならば、貴方と同じに尊ぼう。
わたしの捧げる贈り物は、貴方の最愛の人には叶わないかもしれないが、ひとつの安らぎとあたたかな居場所を貴方に提供するだろう。」
何処までも、シラノはダニーを尊重してくれた。
シラノはあんなにショックを受けていたのに、ダニーの愛を考えて、貴婦人を悪くは言わない。
「わたしは……不幸だとは思わない。だけど知らなかった。貴方に会うまでは、わたしは自分が持たざる者であることさえ、知らないでいた。母がいたら、わたしにケーキを焼いてくれただろうか。父がいたら、わたしを抱き上げて地平線を教えてくれただろうか。」
「シスター。
叶うとも、今からでも。」
夫婦は優しく頷いた。
「わたしが貴方にケーキを焼くわ。」
「わたしは、君を抱っこして地平線を教えるし……わたしにも、それは夢だったことだよ。」
善良な夫婦。
幸せが待っている場所だ。
けれど、シスターダニーを待ち受けるものは、ここでは無いのだ。
「……一日だけ考えさせてください。ここには確かな安らぎがある。けれどわたしは、この幸せなことに、ふさわしくは無いのです。わたしは……それが許せない。おじ様。貴方がわたしを包んだように、わたしも貴方を守ります。」
「……シスターダニー!」
歩き去るシスターダニーを、シラノは見送った。
悲しみなのか虚空なのか、胸に穴が空いたように、シラノは息苦しくなった。
彼女は戦いに挑んだのではないか。
歴戦の経験がシラノに知らせた。
彼女は覚悟してしまったのではないか。
シスターダニーは、歩きながら仕込み武器を投げ捨てた。
「ダラメダを、倒すわ。」
シスターダニーは空想した。
舞台は戦場だ。
傷ついたシラノの元に駆けつけた、銀の鎧の騎士、ラ・ピュセルのダニーとなって、騎士ダニーは唸りながら、銀の剣を振るい、バッタバタと敵をなぎ倒した。
「うおおおおぉ!!!」
おじ様の命は、わたしが守るのだ。
ダラメダの好き勝手にはさせない。
「何が法王だ!何が神の意思か!!おじ様の敵はわたしの敵だ!!この剣を持って、わたしが貴様を断罪してやる!!!」
修道院でも、ダニーの戦いは続いていた。
しかし、ダニー本人にも、わかっている。
一介のシスター一人で、ダラメダに刃など届きはしないのだ。
ダニーは大勢の聖騎士の剣にその身を貫かれ、それでも根性だけでダラメダに立ち向かう。
「立ち止まるな!!進め、わたしよ!!!あんな奴に負けて、たまるか!!!」
ダラメダの顔を知らないし、ダニーは枢機卿の前で羽交い締めにされ、両方から槍で押さえ込まれた。
わかっている。
でも、空想でまで、太刀打ち出来ないのは、度し難い。
「大人しくダラメダ公爵の命令を聞きなさい、シスターダニー。シラノ・ド・ベルジュラックを殺すのです。」
シスターダニーは、枢機卿に不敵に笑って見せた。
「貴方達の狙いは、わたしの美しさなんでしょ?だったら簡単。わたしを利用させたりしないから。わたしはわたしのやり方で、おじ様を守るわ。」
枢機卿があっと気づき、止めようとした。
ダニーは自らの剣で、自らの首を跳ねた。
ダニーの空想世界は、そこでぷっつりと途絶えてしまった。
主のダニーはもう、いない。
現実世界では、空想世界と連動して、ダニーは天井の梁に、腰巻きを下げて、首を吊ってぶら下がっていた。
ギイギイと軋む、異様な音に気づいたシスター達が駆けつけ、幼いダニーの自殺を悲しみ、魂の救いを祈った。
シラノは、ダニーが心配で、修道院まで歩いて来た。
シラノはただ窓から彼女が顔を見せるのを待った。
いつまでも、待ち続けた。
雪が、降っても。
ダラメダ公爵にイエズス会士から知らせが入ると、彼は言った。
「シスターダニーは用済みだ。充分な時間稼ぎだったよ。正当な働きに対し煉獄行きでは辛かろう。ショワジー神父を送りなさい。自殺を公表せず弔うように。」
残虐なるダラメダは、慈悲深さを装ってキリエを唱えた。
「主よ、憐れみたまえ。主よ、救いたまえ……」
シスターダニーの刃は届かない。
この男に剣が届くなら、一体それは、誰なのであろうか。
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