2-13
ユスターシュは、アンヌ皇太后に聞き返した。
「……え?母上、今なんと?」
アンヌ主催の家族だけのクレープサロン。
午後二時過ぎ。
「だからね。法王様が、亡くなったのよね。」
ユスターシュは一秒の間に色々考えた。
「今の法王様って……」
「貴方が在位して初のことだから、解説するわね。クレメンス10世が、亡くなったの。」
法王って死んだら次世代をどうすんだ?
とか、
ともあれ影武者の俺じゃやばくね?政治はルイの担当だし。
とか。
ユスターシュは焦った。
「ルイ。貴方は初めてだったわね。フランスからも法王候補を送り込み、聖職者達の法王選挙が、ローマ教皇領バチカンのシスティーナ礼拝堂で行なわれるわ。枢機卿達は法王選挙の最中はずっとシスティーナ礼拝堂に缶詰めよ。三時の枢機卿の謁見はきっと法王候補よ。貴方にフランス代表に任じて貰いにきた、ってところだわ、たぶん。」
三時!
ルイが間に合わねぇ。
枢機卿には、なんとか話を合わせて帰らせねば。
「法王選挙とは、余では荷が重すぎる。母上が同席し」
「まぁ!それは駄目よルイ。貴方の絶対王政に私が関与しちゃ、周りが納得しないわ。そうね、ルイ。今の貴方だったら、決定的なことは言わずに、明日の貴方に任せてもいいし。でも、きっと貴方が良い人だと思う人なら、間違いはないでしょう。」
「母上」
ふわふわ、ほわほわ。
皇太后アンヌの慈愛は、母の愛を受けられなかったユスターシュにとって、眩しいものだ。
「うし。いや。よし!ならば、当然人柄の乏しい者は、今日の余からは答えまい。だが善人であれば」
「うん。ビビっときたなら、きっとその人よ。」
「うむ!余がビビっと来たならば、その者こそが法王候補であろう!!」
王弟フィリップ殿下は、最近仲睦まじい母と兄を眩しそうに見て、空のお皿を抱えて待っている。
今日はマリー・ルイーズを乳母に預けたはずだが、肝心のアンリエットはまだ現れない。
「フィリップ?また待たせちゃった?クレープの注文は好きにしてよいのよ?」
「あ……良いのです、お母様。わたくしはお母様とお兄様が、仲良くはしゃいでらっしゃるお姿が、眩しくて嬉しくて……知性的ないつものお兄様も素敵ですが、お兄様はわたくしの前では、あまりお笑いにはなられませんから。いつまでも眺めていたい光景ですわ。」
ユスターシュはフィリップの腕を掴み、一緒にメニューを見た。
「フィリップよ、外野では無いぞ、家族なのだから。クレープは何が良い?兄が注文してやろう。」
「お兄様……!え、と……わたくし、フランボワーズとチョコレートソースの……」
「パティシエ!フランボワーズとチョコレートソースのクレープを!」
「かしこまりました!」
マリー・テレーズ王妃が慌ててやって来た。
相変わらず、フランス貴族に笑われてしまうような、スペイン式の時代遅れのドレス。
彼女の情熱は王とショコラがモットーだ。
だが、ユスターシュには彼女も大事にしたい家族である。
「まぁ、陛下!フィリップ殿下が息をしてません!離れてあげてくださいまし!!」
「なに?フィリ〜ップ!!フィリ〜ップ!?」
ユスターシュは青くなったフィリップを心配し、揺さぶるが、アンヌ皇太后が笑いながら言った。
「ルイは離れてね。この子ったら、ものすごい兄の狂信者だから。ほらフィリップ、息をするのよ?」
アンヌ皇太后がフィリップを引き取ると、フィリップはドッと呼吸し、汗も出た。
「はぁ、はぁ……神聖なお兄様を汚せません。でも、わたくし、汗も息も出てしまいます。クレープを注文してもらえて、嬉しくなって」
「フィリップ!汗ぐらい……」
「この子は、私たちがフロンドの経験から、決して謀反無きように、丁寧に女の子らしく育てたのですもの。結果、ゲイになっちゃったけど。女の子だもの、汗や息は気にするのよね。」
ユスターシュは、フィリップの謎が解けた。
「妹……そうか。余と母上でそう教育したのだな……フィリップはまだ女性の服装をやめたばかりで、多感な妹のような状態なのだ。わかった、密着はせぬ。すまぬな、男臭い兄で。」
「まぁ!お兄様!わたくし、嬉しいばかりで、何も嫌なことなど!こんなに近づくのは幼少期以来です。ただ、ごめんなさい。わたくしが汗や息をするせいですわ。バレエの舞台に上がられるお兄様は、まるで寓話の王子様です。」
赤くなったり青くなったり忙しいフィリップ殿下を見て、きっとルイからは兄貴らしいことを何もされず、政治の道具としか思われなかったことを、ユスターシュは不憫に思った。
最も、ルイ自身はアンリエットの件で、既にフィリップをねじ曲げて育てたことを、反省はしていたが。
フロンドの乱から謀反に過敏になったルイが、女の子に矯正した弟。それが、純粋なまま育ち、バレエの花舞台にいる兄に憧れ。
本当ならフィリップだってバレエの舞台に一緒に出たっていいくらいなのに。
ルイを知れば知るほど酷な男だが、ルイの周りはなんて愛に包まれているのだろう。
一人、高貴な身なりの貴婦人が、ルイーズを伴って入って来た。
「ルイーズ?」
ルイーズはユスターシュに一礼し、お仕事モードになる。
「王弟妃殿下アンリエット様、ご到着なさいました。」
ルイーズは自分の主人のアンリエットの控えに着いていた。
アンリエットは青ざめた顔をして、ユスターシュを見る。
ユスターシュはフォークとナイフを使って、クレープを食べていた。
それで、アンリエットは今ルイがヴァスティーユ監獄におり、警備が手薄なのだとわかってしまう。
「……あぁ。なんてこと」
このままでは、ルイはヴァスティーユ監獄で、殺されてしまう。
マリー・テレーズが不安げにユスターシュの裾をつまんだ。
アンリエットはこの場を離れ、銃士隊長カステルモールに助けをこうべく、深くお辞儀した。
「申し訳ございません……わたくし、産後の具合が優れず……皇太后陛下のサロンに、せめて挨拶だけしに、立ち寄った次第です。」
ユスターシュは、確かにアンリエットは真っ青だし、不審にも思わなかった。
まだ、赤ちゃんを生んだばかりだ。
「大丈夫か?フィリップよ、アンリエットに同行してあげてはどうか?」
フィリップ殿下は、兄とアンリエットを交互に見た。
「まぁ。アンリエットと何かありましたか?お兄様。まぁ、でも……わたくしの務めですものね。」
「え?」
アンヌ皇太后がすかさず、ユスターシュをフォローした。
「ふふっ。アンリエットに熱があったのは、フィリップより貴方よ、ルイ。でもフィリップ、心配はいらないわ。マリー・ルイーズとアンリエットの傍にいてあげてね。」
「ゲフンゲフン。……アンリエットの流れで女中のルイーズに……?余は、どうかしているな。」
「陛下。どうか、今はアンリエット様に近づかないでください。本当にお具合が悪いのです。」
ルイーズに釘を刺されてしまった。
「わかった、ルイーズよ。フィリップ、アンリエットを頼むぞ。また、母上のクレープサロンで会おうぞ。」
フィリップは喜んで答えた。
「はい。わたくし、三度の食事よりクレープサロンは幸せですわ。勿論、お兄様の選んだシェフの晩餐も最高に美味しいのですが……お兄様の願いなら、わたくしの奥様と赤ちゃんのお世話に行って参ります。また必ず。」
「うむ。そなたの好きなフランボワーズをゴブレット3杯分用意して待っているぞ。」
「まぁ。お兄様ったら、うふふ。さぁ、参りましょうアンリエット。大丈夫でして?」
アンリエットはフィリップが支えても真っ青なまま、立ち去って行った。
「大丈夫なのかアンリエット……コルセットの締めすぎでは?」
「!酷すぎます、陛下!」
優しいルイーズでも怒る時は怒る。ルイーズは思いっきりユスターシュの足を踏んだ。転倒しかねない。
「いッてぇ!!!コラッ!!ルイーズ!!!」
「陛下はご存知無くても、陛下の立場では二度と言ってはなりません。それに、アンリエット様のウエストは元々細くていらっしゃいます。具合がお悪いのです。それでは、わたしもアンリエット様のお世話に参りますので。失礼します。」
皇太后アンヌは、無邪気に笑っている。
「ふふふ。私も、そば粉のクレープにハマってからは、何度コルセットに苦しんだことかしら。でもルイ、今のはいけないわ。ルイーズさんにとって、アンリエットは大切な主なのだもの。」
「えぇー……でも、母上……」
アンヌは声を小さくした。
(コルセットは確かに締めすぎ。でも、それは彼女のデリケートゾーンに値するから、話題にしちゃダメよ?)
ユスターシュは笑いを堪えた。
「……はいっ」
マリー・テレーズ王妃はアンリエットが立ち去ってから、勇気を出して口を開いた。
「わたくしは、また失うかと思って……アンリエットさんは才女で、魅力あるお方です。ルイーズさんは、親しめるのに……アンリエットさんを真っ当に心配することが、出来ませんでした。命は、等価ですのに……」
「マリー・テレーズよ。一度失ったのだろう。そなたの悪ではない。……それにアンリエットも、ハイヒールで歩いてドレス骨に耐え、コルセットの締め上げに耐える余力はあると思うぞ?」
「まぁ、陛下。そんなことを仰っては、またルイーズさんに踏まれてしまいます。ルイーズさんは優しく、すみれのように愛らしいお方。怒るなんて滅多にないことですよ。……でも、ありがとう。わたくしを励ますために、仰っられたのでしょう。」
ユスターシュはマリー・テレーズのお腹をさすった。
「気落ちしてはならんぞ?お腹の赤ん坊に障る。」
マリー・テレーズは幸せそうに微笑んだ。
「……はい。貴方……。」
アンヌ皇太后は我が子のようにマリー・テレーズを見ている。
「最近の貴方は春ね。兄の娘の貴方が幸せなのは、わたしにとっても嬉しいわ。」
「まぁ、皇太后陛下。陛下の大事なルイ陛下を、見下げた訳では無いのです……わたくしの情熱は、王とショコラに……あぁ、なんて言葉が不自由なの、わたくしは。」
「大丈夫よ。ルイはルイで、家族仲が良くなることは内政しやすくなるからって、クレープサロンに賛成だし。ただ、ルイは貴方には不器用で、素っ気ないでしょう?」
三時の鐘が鳴り、アンヌ皇太后は慌てて立ち上がった。
「まぁ!長居させてごめんね!ルイ、バレエ練習は後回しだけど、三時の謁見は行かなくちゃ!」
「大丈夫だって母上。すぐ戻ってきまーす!」
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