2-9
シスターダニーは思い描いていた。
顔の見えない貴婦人が、優しい腕の中で包み込んでくれる事を。
今のような禁欲的な暮らしでは無く。
豪奢で贅沢をして、二人で生まれたままの姿で愛し合う営みがあった。
今だって、その貴婦人はきっと笑顔で、自分の事を見つめていてくれていて、自分も花のような笑顔を返す。
わたしの美しさは、全て貴婦人の為にあるのだから。
花畑が目の前に広がり、シスターダニーはこの色とりどりの花を花束にして貴婦人に渡そうと、夢中で花を選び始める。
「この花があの方にはお似合いかしら。それとも、こっちの花?」
喜んでくれるかもしれない、という気持ちで花を選ぶのは、とても楽しかった。
「ふふ。毒のある花の方が美しくて、あの方に相応しいわ。」
花束にする花が決まった。
スズランやベラドンナリリーで、白で統一してみた。
摘み終わり、振り返って貴婦人の元へ戻ろうとすると、彼女の姿は無かった。
花畑がみるみるうちに修道院のいつもの風景に戻っていく。
「なあんだ、あの方に差し上げようと思っていたのに。つまらないの。」
ふてくされるシスターダニー。
彼女の空想の中に出てくる貴婦人はいつも顔が見えないけれど、シスターダニーは優しく暖かい気持ちになれるこの空想が大好きだった。
ちなみに、ここは修道院の厨房で、シスター達は貧しい民に配るクッキーやシチュー作りの真っ最中だ。
仕事に参加せず、夢見てばかりのシスターダニーに、呆れはするが、強制はしなかった。
まだまだ幼いシスターダニーは、皆の娘のようなものと見なされていた。
シラノが仮面を着け、教会に花を持って現れた時にはシスターダニーはとても驚いた。
シラノが彼女を制した。
「どうか仮面のままの私を許して欲しい。
教会で何度もお見かけしました。
まだ幼く美しい貴方が、何故その幼さで、修道女になられたのか。
知りたいのです。
シスターのお務めは、貴方の本意なのですか?
願うことなら、私は貴方を助けたい。」
誰なのだろう、この仮面の人は。
仮面も取らず、教会で見かけたと言っているがわたしは知らない人だ。
知らない人にわたしの素性を話して何になると言うのか。
シスターダニーの心は完全に冷めていた。
シスターは教会の神父を見て、神父はシラノの正体を見抜いた上で、告げた。
「良いでしょう。貴方の事情を話してみては如何か。」
きっと何にもならないけれど……そう思いながら、幼いシスターダニーは語り出した。
「私は孤児。ある日貴族の奥様に見初められ、処女を失い愛人を務めました。その方も財産を失い、私は修道院に預けられました。食べていけるだけ、充分なのです。私が欲しいものは恋ではなく、苛烈な愛でもなく、ただ、神の身元にあるような安らぎだけ。静かで暖かな安堵だけを、必要としています。」
シラノは、仮面の下で、それはそれは悲しい表情をしていた。
話をした幼いシスターダニーよりも、酷いショックを受けてしまったのだ。
シラノはシスターダニーがこんなに幼くして、大人の好き勝手にされ、その美しさのあまり酷い経験をした事に、頭をガツンと何物かで殴打されたような衝撃を受けていた。
シスターダニーの心の中は荒野の風荒ぶる大地で球状になった枯れ草がコロコロ吹き飛ばされているような、虚ろで何もない、むなしい光景が広がっていた。
全くの虚無だ。
つまらない、つまらない話だ。
シラノは告げた。
「私は貴方の体験を悲しく思う。
しかし、貴方の愛する貴婦人を、悪く言うのはやめよう。
貴方は愛され、その愛を糧に、厳しい修道院を耐えてきたのだ。
わたしは、良き理解者になろう。
貴方の言う通りに、
恋ではなく。苛烈な愛でもない。
貴方の望む「安らぎと安堵」について、
考えてこよう。」
シラノの声は心無しか震えていた。シスターダニーに悟られるまいと懸命に平常心を取り戻そうとしていたが、シスターダニーは気づく事は無かった。
その時シスターダニーの心の中では貴婦人との激しい愛の思い出に浸っていたから、シラノの事を思慮する隙が無かったのだ。
シスターダニーの激しく苛烈な愛は、今も思い出の中の貴婦人に捧げていたから。
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