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Trompe-l'œil ー二人の太陽王ー  作者: 燎 空綺羅
第2話 神の使徒マンソンジュ
35/47

2-8

 ショワジーは、途方に暮れていた。


 現実逃避でヴェルサイユを離れ、花のパリの別荘暮らし。


 ド・サンシー夫人と名乗り、愛人と友達に囲まれて、楽しく幸せに暮らしていたのに。


 リュクサンブール宮殿の賭博で、兄の遺産まですってしまった。


 泣く泣く、別荘を売りに出し、大事な日本の障子ももう残っていないし、最後のお金で、愛人の幼いダニーを修道院に入れた。


 少なくとも、これでダニーは食べていける。


 そして月日が経った。


 サンソンがパリまで赴いてショワジーを訪ねたのは、そんな折だ。


「ショワジー!新たな任務だ、ショワジー!!」


 ショワジーの部屋からドアを開けたのは男性だ。真っ青で、やつれて、ハゲ頭の。


「どなただ、はげ……いや、剃髪?」


 男は、涙を流す仕草が妙に色っぽく、声音はしっとりと高かった。

「わたくしです。ショワジーですわ……あぁ、なんという屈辱でしょう。ドレスや(かつら)すらままならない金銭苦です。」


「……何事だ?誰にやられた、ショワジー?」


 ショワジーはワナワナと震える手を見せた。


「わたくしの中の、母の血が!賭博熱です!!それまでわたくしはパリの別荘で楽しく暮らしていて、愛に満ちていましたのに……!!」


 サンソンはしらけた眼差しをショワジーに送った。


「ナポレオン陛下とルイ陛下からの報酬金は?」


「そんなものは博打前に、ドレスやら家具やらで無くなりました。サンソン様はお知り無いことでしょうが、女性の身支度は殿方の三倍はお金がかかるのです。」


 サンソンは苛立ってきた。


「皇帝と王の名誉ある金を、ダイヤの指輪やネックレスなんかに?」


「ドレスです!これだから、女性の身だしなみも知らない殿方は困ります。わたくし、ダイヤの指輪やネックレスは、母の形見だけで充分満足し、慎ましくやっております!」


 サンソンはもうガッカリして、肩を竦めた。


「君には期待していたが、どうやら今の身持ちでは、スパイなどこなせそうも無い。借金取りにも追われるだろう。此度は君を任務から外そう。」


 ショワジーは、気が狂わんばかりにサンソンを揺さぶった。


「そんなの困りますわ!あてにしてましたのに!!前借りさせてくださいまし、すぐに惚れ惚れするような女スパイになれますわ!!」


「博打に逆らえる気概が?」


「それは人間であれば誰しも逆らえません。主は悪魔の誘惑に人が敵わないことをご存知ですわ。賭博は話が別です。」


「……君の病気が落ち着くまでは、任務からは外しておく。いいかショワジー?賭博なんてやめて、真っ当になりなさい。私から言えるのはそれだけだ。解熱剤だ、飲んで頭を冷やしなさい。では、お大事に。アディオス。」


 サンソンが立ち去ったドアを、爪を立てて引っ掻くショワジー。


 一方で、別の入口から友人の枢機卿が入ってきた。誰か連れて来ている。


「ショワジー!身持ちを健全に取り戻したことを嬉しく思う!こざっぱりしたな、それでこそ聖職者だ!」


 ショワジーは心無い返事だ。


「まぁ。それは、そうですわ。」


「紹介しよう。彼はスペインのダラメダ公爵だ。この美しい顔ときたら。賢く麗しい、ショワジー、君も大概だが、彼も神に愛されて天から二物を与えられた人だ。」


「まぁ。それは、そうですわ。美しい方、よろしくお願い致します。」


 ショワジーの意気消沈した声に、ダラメダ公爵はなんと慈悲深く答えた。


「可哀想に、マダム。ド・サンシー夫人と呼ぶべきかな?信仰の道であっても、金銭を失って気飾れないことは辛いだろう。私を応援してくれた多くの貴婦人達は、私に教えたものです。女性は身支度だけで男の三倍は金がかかると。」


 ショワジーは、この気が利いた言葉に、ようやく言葉に感情が乗った。


「……まぁ、まぁ、そうですわ!ところでダラメダ公爵様、わたくしには何の御用ですの?」


「実はショワジー、法王クレメンス10世が亡くなった。我々はローマまで行き、コンクラーヴェに参加し、全力で彼、ダラメダ公爵を推す。ショワジー、君には助手を頼みたいのだ。口頭筆記は得意だろう?」


 ショワジーは目をまん丸く開き、驚いた。


「まぁ……枢機卿でも無く?公爵様を、法王に推薦なさるのですか?」


「彼はこう見えて枢機卿より権威があるのさ。カトリックの改革的な方であり、すべてに神の慈愛と節制を与えるお方だ。今のイエズス会を率いていてね。ショワジー、どうやら君の趣味も彼からしたら多様性だ。スペインの推薦はもう得ているし、ハプスブルク家の繋がりで神聖ローマとて味方しよう。フランスの推薦もじきに降りるだろう。」


 ショワジーは率直に興味を引かれた。


 この間病気で倒れた時に、再び改心し、アカデミー・フランセーズでまた神学の本を出した。


 コンクラーヴェの助手ならば、やってみたい。


 改めて聖職者らしい仕事がしたかったから、という気持ちもあったが、何よりこの得体の知れない公爵に、枢機卿達が夢中な理由を知りたかった。


「お引き受け致しますわ。わたくしもどうせ借金取りから逃げなくてはならない身、イタリアまで行きましょう。」


 ダラメダ公爵はショワジーと握手し、愛らしい下女をショワジーにつけた。


「感謝を。リリア。ショワジー神父の身の回りを世話なさい。ショワジー神父よ、イタリアに来て下さるならば、その身なりはさぞかし辛かろう。針子の店にいらしてください。イエズス会の者がおり、融通が効きます。」


 ショワジーは言いなりに、ダラメダ公爵の馬車に乗ってついていくと、お針子のお店に入り、身体を測定され、貴婦人らしさと聖職者らしさを併せ持つ、金糸の縁取りの黒いドレスや、慎ましい巻き髪の(かつら)、着替え数枚を作って貰った。


 身丈に沿うような、若過ぎるデザインではなく、背の高さをマダムとして演出するドレスに、ショワジーは惚れ惚れし、ついでにミサに着ていけるような、もっと慎ましい物もお願いした。


「すっかり元のショワジーだな。いいのですか、公爵様?」


「これは前夜祭だ。私が法王になった暁には、ショワジー神父のような異性装に馴染んだ人や、身と心の違う者、性別に捕らわれぬ多様性にも、善処を尽くさねばならない。聖書とて、遥か古代の神の解釈だ。我々は正しい主の御心を、再発掘せねばならない。」


「さすがだ。女性の人権すらまだなのに、さらに上を行く平等性をお考えであられる。」


 ダラメダは微笑した。


「かつて女性の法王ヨハンナは、カトリックの歴史から抹消されたが。私はそれを過ちに思う。ただし、女性の解放運動には、女性の自立、女性のスキル育成が先に必要だがね。」


 ショワジーは鏡の自分に惚れ惚れし、下女のリリアを伺ってみた。


「いかがでしょう、リリアさん?」


「なんてお美しい人。私は、貴方を神父様とは呼ばず、マダムとお呼びしますわ。」


 愛らしいリリアの崇拝の眼差しに、ショワジーは有頂天だ。


 自らを美しいと評価してくれる鏡。


 彼女らの為ならば、一時の賭博など、辞めよう。


 何より、興味深いのはこの男、ダラメダ公爵である。


「ため息が出るほど、才気溢れるお方ですね。現代17世紀におけるカトリックの改革者、文明に伴った神の教えの再発掘とは。この方ならば自ずと味方が増えましょう?この情熱が、信仰か野心かは、わたくしには測りかねますが。」


「ショワジー、神の使者たるダラメダ公爵に、失礼はよしなさい。」


「はっははははは。よろしい、私は成り上がりに過ぎない。だが、一人の女たらしの銃士を、宗教世界はここまで引き上げてくれた。私は時流に乗っ取り、正しい権威を想定する。」


「例えば?」


「この国の王の権威はフランスだけ。だが、宗教世界の法王の権威は、世界全土だ。」


 ショワジーは、想像を超えた男の野心に、身が震えた。


 この男を法王にしたら、時代は変わる。


 正しい信仰ある人間だろうか?


 本当に全ての人を、救済に導くのか?


 ただの野心家ならば、自分のした法王選挙で、カトリックは壊れてしまうだろう。


 だが、賭けはどんな時も魅力的で、抗えないものだ。


「わたくしがお力になりましょう。新たな法王ダラメダ様の、御心のままに。」

Copyright(C)2026 燎 空綺羅

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