2-5
まさか、自分でもルイを殺すなどと判断するとは、思ってはいなかった。
ルイを、愛してる。
いつまでも。
けれど、愛より、母性が勝った。
イエズス会士は頭を下げた。
「かしこまりました。賢明なる王弟妃殿下アンリエット様に感謝を。我々には、ルイ陛下とユスターシュ殿の見分けはつきません。どうか、ご助言をいただきたい。」
アンリエットはもはや記憶の中から判別がついていた。
「ルイーズと中庭で花を育てているのが、ルイ陛下。政治の話や庭の手入れはルイ陛下しかしないわ。マリー・テレーズ王妃やアンヌ皇太后に懐いていてフレンドリーなのがユスターシュです。もっと簡単な見分け方もあるわ。ルイ陛下は手掴みで食事、ユスターシュはフォークとナイフを使う。」
ダラメダ公爵はマリー・ルイーズに深々とお辞儀した。
「感謝を。未来のフランス女王マリー・ルイーズ陛下と、皇太后アンリエット様に、忠誠を。あなた方に主は栄光を授けられよう。」
ダラメダ公爵達が立ち去り、アンリエットは惚けた。
わたしは、何をしてしまったの?
我が子への愛から、フランス王に反逆をしたのは、確かだ。
でも、わかってるでしょ?
ルイは兄のチャールズ2世に支援を送り続け、議会に軟禁されたイギリス王家は、ルイに支えられている。
誰の為に。
ルイが誰の為に、チャールズ2世を支えて来たか。
アンリエットの為にだ。
「なんて愚かな女なの、わたしは!」
才女であり知識人たる、誉高いアンリエット・ダングルテールが、獣のような判断に至ってしまったのだ。
だいたい、王の苦労はルイや兄を見てわかっていたはず。
マリー・ルイーズが女王になったところで、それはアンリエットの自己満足で、娘が苦悩の道を行く羽目になるだけだ。
アンリエットは女中にサロンのお開きを告げて寝室に閉じこもり、マリー・ルイーズをベビーベッドに寝かせた。
机に向かい、イギリス王である兄、チャールズ2世に手紙を書いた。
ブルーのインクで、議会には読めぬように、フランス語を使った。
あのダラメダ公爵の流れは、もうアンリエットの償いで止められるものでは無い。
ルイを助けなければ。
頼れるのは兄しかいない。
イギリス王チャールズ2世の権威でしか、ダラメダ公爵を止めることは出来ない。
アンリエットは自身の罪を手紙で白状し、従者を遣わせ、手紙を預けた。
「一刻も早く兄の元へ。議会に止められたら、イギリス王家ヘンリエッタ・アンの使いだと言いなさい。」
時代は、19世紀。
フランスの片田舎だ。
「失礼!失礼!!」
洗濯娘達の列を掻き分けて、身だしなみの美しい老婦人が浅瀬を駆け回る。
老婦人が追いかけて来たのは、愛らしい子豚である。
「逃げるのではありませんよ!その日暮らしのわたくしに、その身のお肉を食べさせなさい!」
洗濯娘達がコメディを見るかのように笑った。
「あははははは」
「失礼、おばあさん。食べると言っては、そりゃあ子豚は逃げますわよ。」
老婦人、眼鏡を持ち上げ、ドレスの裾をたくしあげて分厚いナイフを鞘から抜いた。
同時に、大型の猪が突貫して来たのである。
「子豚?猪ですよ。幼い方がまだ食指が動きますが、親が来ては殺すしかない。」
「猪!?」
「きゃあああ!!」
「下がりなさい娘さん達、わたくしはこの村の猪駆除の依頼を受けた剣士!迂闊に近づいては、玉のお肌に傷がつきますよ。」
老婦人、ドレスのスカートを外し、猪の顔面に投げる。
猪は視界を遮られたまま突撃。
老婦人は続け様、ナイフを繰り出し、猪の喉目がけて肉を割いた。
ナイフ捌きの巧みさはあたかも猟師の如く、その細腕からは思いもかけぬ腕力があった。
猪はドレスに染み付いた匂いで、老婦人の居場所がわからず、深手を負ったにも関わらず突進を辞めない。
「死ぬ前の大暴れですか、結構。猪突猛進とはまさにこのこと」
洗濯娘達がわぁっと逃げ出し、猪はあられもない方角に走っては、ふいに土地勘を思い出したのか、老婦人のいた浅瀬に戻って来た。
老婦人は下着のペチコートをたくしあげ、太もものガーターベルトに吊るした小型マスケット銃を両手で構えると、即座に猪と睨み合い。
「貴婦人のガーターには、秘密兵器が隠してあると思いなさい、坊や」
響く銃声。
ゆらりと猪が浅瀬の水の中に倒れた。水飛沫に血が混じる。
マスケット銃を縦に置き、一息つく老婦人。
洗濯物が心配で戻ってきた洗濯娘が、自分のうちの洗い物が血で赤く染まっているのに気づいた。
「あぁ〜!!母さんのサテンのスカート、シルクのリボン、わたしのベルベットの一張羅ドレスが、血で駄目になってる!!」
老婦人、冷や汗をかき、素知らぬフリをして咳き込む。
「どうしてくれるの、おばあちゃん剣士さん!?わたし達は明日から何着て暮らせばいいの!!」
「あぁ、うるさい娘さんだねぇ!払えばいいのでしょう、払えば!!ほら、このお金で新しいドレスを仕立てなさい!」
老婦人、自分の財布の残りを数える。
「まぁったく、これでは猪駆除の依頼料を得ても釣り合いませんよ。わたくしの、昔の年金、今いずこ……」
馬車から一部始終を見ていたシャルル・アンリ・サンソンとナポレオン・ボナパルトは、彼女、シュヴァリエ・デオンの素質を認めた。
「だから言ったでしょう。彼女は充分な実力者です。」
「あぁ〜。俺はあの婆さん、苦手なんだよなぁ……隙をついては年金要求してくるし。」
「ラルヴが取るか、我々が取るか。敵には回したくないと思いますが?」
「わかった!わかったよ!!」
ナポレオン・ボナパルトは、馬車から降りてデオンに声をかけた。
「シュヴァリエ・デオンよ!この猪駆除の依頼人こそは俺、皇帝ナポレオン・ボナパルトである!腕前確かな事はたった今拝見させてもらった!」
デオン、ナポレオンに気づき、頭も下げない。
「ならばもっと依頼料の高い任務をくださいませ。フルチン、いいえ皇帝陛下。……失礼ですがわたくしの書いた女性の人権運動に目を通されましたか?とてもフェミってない、いいえ。男性同士でもフルチンは如何なものかと思われますよ。」
「俺、あいつ嫌い!!」
「デオンはごもっともですよフルチン陛下。さて、シュヴァリエ・デオンよ。久しぶりだ、貴方に生きて会えて嬉しい。わたしはシャルル・アンリ・サンソン、老け込んでしまってわからないかな?」
デオンはドレスの裾を持ち上げてお辞儀した。
「ご健在で何よりです、ムッシュ・ド・パリ。過酷な時代をよくぞ乗り越えなされました。貴方がわたくしの推薦を?」
「あぁ。安心して欲しい、此度こそは王家の為に働ける……我々の当面の敵は時空移動犯罪だ。ガゼット紙やら、新聞にも書かれてしまったから、貴方がもう知っていてもおかしくはないが。」
「残念ながら、わたくしの日々の糧は見世物の決闘によるその日暮らし、新聞を買い逃して、最近のことはさっぱりわかりませんよ。噂では、ルイ16世陛下が託した耳飾りに、ダ・ヴィンチの設計図が?」
「道すがら話そう。馬車に乗ってくれ。」
「パルドゥン!!パルドゥン!!」
早馬をかけて来たのは、アレクサンドル・デュマ・ダヴィ・ド・ラ・パイエトリー、通称デュマ将軍である。
アフリカ系で、後に、息子のアレクサンドル・デュマ・ペールの書いたモンテ・クリスト伯のモデルとなる人物だ。
「ナポレオン・ボナパルト陛下!直ちにパリへお戻りください!!」
「あんだぁ?お忍びでこの村に来たのに、どうやって見つけた?」
「下半身を履いていない人は皇帝陛下の他にはいませんから、民草に聞きながら参りました。それよりもお耳にいれたく。皇妃ジョゼフィーヌ様が時空移動をなさいました!現在地、おそらくは17世紀!ご命令ください、皇帝陛下の法律により、追跡を許可されていません!」
「なんだって?」
「ジョゼフィーヌが!?何故追跡しなかったデュマ将軍!?」
「法律がまだ許さないからです!」
「ええい!サンソン、デオンよ!直ちにパリに戻り、二人乗り時空転移装置を使って、ジョゼフィーヌを救出せよ!後から組み立てた三人乗り時空転移装置でジョゼフィーヌを」
「みなまで言うな、わかっている。デオン、馬車に乗れ!」
「パリまで?」
「わたしの血筋の死刑執行人の領地が近い。身内の屋敷の時空転移装置で行く。忙しくなるな。それでは。アディオス。」
走り出したサンソンとデオンに取り残され、ナポレオン・ボナパルト、ふいに言った。
「あいつら、俺の馬車……」
デュマ将軍が言った。
「私の馬にお乗りください。パンツを買ってきましょうか。フルチンで乗馬は、痛みますよ。」
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