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Trompe-l'œil ー二人の太陽王ー  作者: 燎 空綺羅
第2話 神の使徒マンソンジュ
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2-1

 ルイ16世から耳飾りを託されたシャルル・アンリ・サンソンによって、フランスに活用された、背徳の教皇アレクサンデル6世の巨億の財産だが、これには特に、スペインからの十分の一税が多く、インカの金銀財宝が含まれていた。



 アレクサンデル6世とは、カトリックの腐敗の象徴的な教皇であり、たくさんの愛人を囲っていた。


 しかし、良き父親でもある。


 教皇になる前の正妻が生んだ庶子達が、愛憎渦巻くボルジア家であった。


 1475年、歴史を揺るがす三人の赤子が生まれた。


 ミケランジェロ・ブオナローティ。ルネサンスの代表的画家、彫刻家。彫刻のダビデや、システィーナ礼拝堂の天井画で知られている。


 ジョヴァンニ・デ・メディチ。後の教皇レオ10世である。


 そして、チェーザレ・ボルジアだ。


 チェーザレ・ボルジアは父のいるローマで育ち、ピサやペルージャの大学で法律を学んだ。そして、武芸全般をこなした。


 その才気溢れる様に、父アレクサンデル6世は、ボルジア家の後継者にチェーザレを、と考えていた。


 そして、恋愛面でも駆け引き上手だった。


 チェーザレの妹ルクレツィアは美しく、ルクレツィアの心はチェーザレのものである。


 チェーザレがいつも上手を行き、嫉妬にかられた弟のフアンとは、対立を繰り返した。


 チェーザレと弟のフアンは、美しき妹ルクレツィアを奪い合い、殺し合った程だ。


 チェーザレとルクレツィアの禁忌の愛は、幼い頃から続いていた。


 17歳で幼きバレンシア枢機卿となったチェーザレは、賢く勤勉で、敵の多い父アレクサンデル6世の補佐に務めた。


 しかし、アレクサンデル6世に敗退した枢機卿達の策略で、フランス国王シャルル8世はナポリ王国を占領し、チェーザレ・ボルジアは父アレクサンデル6世を守るため、父とフランス軍の伝令役を務めた。


 フランス軍に気に入られ、フランス側のものにされたチェーザレ・ボルジアは、戦乱時にやがて逃亡。


 フランス王家も世代交代し、国王ルイ12世となる。


 やがてチェーザレは、枢機卿を辞任し、アレクサンデル6世とルイ12世は、チェーザレ・ボルジアに領土を与え、ヴァレンティーノ公とする。


 フランスはチェーザレの要望に軍事支援を行い、チェーザレに「聖ミカエル騎士団(モン・サン・ミシェル)」の称号を与えて、教皇とフランスの協定を結んだ。


 チェーザレは教皇特使としてフランスを回ったあと、ルイ12世の後ろ盾から、ナバーラ王フアン3世の妹、シャルロット・ダルブレと挙式した。


 そしてフランス王家との養子縁組も行い、チェーザレ・ボルジア・ディ・フランチアとなる。


 そしてイタリア半島統一の為、まずミラノ公国を陥落させた。


 イタリア戦争である。


 チェーザレはイタリア半島の統一に、愛する妹よりも、神の道よりも、情熱を燃やした。


 チェーザレ・ボルジアの献身的な愛は、イタリアという名の女にそそがれたのだ。


 チェーザレは自ら戦場に立ち、敵武将と剣を交え。


 妹のルクレツィアを、政略結婚で嫁がせて。


 邪魔な権力者は屋敷でもてなす。


 ボルジア家の秘伝、無味無臭の毒薬、カンタレラを、客人と自身の杯に盛らせて、確実に始末する。


 その為に、チェーザレは幼い頃から毎食にカンタレラを微量ずつ混ぜて食し、具合が悪くなろうとも繰り返して、身体にカンタレラの免疫をつけているのだ。


 客とチェーザレが、2人とも同じ毒のワインを飲み、チェーザレだけが生き残る訳である。


 そして1499年、イーモラ・フォルリにアレクサンデル6世が宣戦布告。


 チェーザレは、フランス、スイス、スペイン、イタリア各地の傭兵一万五千の兵を率いて、イーモラ・フォルリを治めるカテリーナ・スフォルツァと二ヶ月に渡る激闘を開始。気高く強き女武将カテリーナは捕虜となり、チェーザレは勝利。



 チェーザレは、真実の肖像画が残っていない。


 話によれば、オレンジの髪にグレーの瞳の、美しい姿だとされている。


 その美しさ、武勇、賢さに、ルクレツィアやマキャベリは魅了されたのだ。


 イーモラ・フォルリからローマに凱旋したチェーザレは、古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルと同様の催しを行った。


 チェーザレは、イタリア半島統一の為に、フランスと微妙な関係にあったナポリ王家のビシェーリエ公アルフォンソ・ダラゴーナを襲撃して暗殺。


 チェーザレ自らの妹、ルクレツィアの夫を殺めたのである。


「何故夫を殺したの!?お兄様の裏切り者!!わたしは、夫を愛してたわ!!」


 ルクレツィアの涙の訴えに、チェーザレは優しく妹の頬を撫で、だが冷酷に答えた。


「愛しいわたしのルクレツィアよ。元々彼を殺す為にお前を嫁がせたのだ。すべてはイタリア半島統一の為に。わたしの生涯の愛は、わたしのイタリアへ。君主とは、時に冷酷で無ければならないのだよ。」


 ルクレツィアは残忍な兄に我が目を疑い、そして憎んだ。


「愛してる、お兄様。そして、何よりも憎い。憎い仇だわ。なのに、何故愛してしまうの……こんなにも、許し難いのに!!」


 チェーザレは優しく悩めるルクレツィアを愛撫した。


「おかえり、わたしの可愛いルクレツィア……」


 愛憎の中で、二人は愛し合った。


 チェーザレという君主に心酔するマキャベリは、チェーザレに直にインタビューし、後にチェーザレの死後、他国に蹂躙されるイタリアを嘆き、作品を書き上げた。これが、マキャベリの「君主論」である。


 チェーザレの快進撃に怯んだイタリア諸国は、次々と無血開城し、チェーザレはなんなく侵攻して行った。


 1501年、反抗勢力を抑える為、フェラーラ公アルフォンソ1世・デステにルクレツィアを嫁がせて、フェラーラからの脅威を抑えた。


 1502年、7月から8月にかけて、ルドヴィーコ・スフォルツァを長年のパトロンにしてきたレオナルド・ダ・ヴィンチは、イル・モーロが没落したさい、チェーザレについた。


 チェーザレは、レオナルド・ダ・ヴィンチを軍事兵器開発部門に雇用。


 ダ・ヴィンチはチェーザレのロマーニャ公国の自由な通行許可証を与えられ、チェーザレからは「わたしの最も親しい友人」と称された。


 ダ・ヴィンチ側に忠誠心があったかというと、定かでは無いが、少なくともダ・ヴィンチは人間で、チェーザレの優愛には応えようと努めた。


 この時ダ・ヴィンチはフランス側になり、耳飾りの制作は、この頃思案されたと思われる。


 ロマーニャ公となったチェーザレは、絶対君主として君臨する。


 イタリア諸国から反乱が起きたが、なんなく解決してしまう。


 反逆者を次々に断罪するチェーザレだったが、ローマでオルシーニ党を責めた時、フランスと懇意であったオルシーニ家の処遇を巡って、チェーザレはフランスと対立してしまう。


 これが、彼の転落の始まりとなる。


 1503年8月、チェーザレはローマで、父アレクサンデル6世と共に、マラリヤを患った。


 8月18日、アレクサンデル6世は死去した。


 チェーザレは父からのすべての恩恵を失ったが、まだ病の床にあり、自身の立場を守れる程の機敏な対応は出来なかった。


 この時、ダ・ヴィンチはチェーザレの為に耳飾りの開発品を完成させ、病床のチェーザレと話し合い、チェーザレのフランス側の権威復権の為に、ダ・ヴィンチからフランス王家に捧げられた。


 しかし、フランスからしたらたかがガラスの耳飾りである。ダ・ヴィンチからならば、誰だって絵画が欲しいところだ。


 仮に、フランス王が機械実験に詳しい聡明なルイ16世であれば、チェーザレは復権出来たかもしれない。


 フランス王家に緻密な設計図の投影レンズだとわかることは無く、その後フランス王家の手を離れ、耳飾りは市場に出回った。


 病から復帰したチェーザレは、父の敵対していた枢機卿が教皇ユリウス2世となり、チェーザレの復権の密約を果たすが、ユリウス2世が約束を反故にし、チェーザレを捕えた。


 もはや、ダ・ヴィンチの関与出来る領域では無い。


 チェーザレは弟フアンの殺害容疑でスペイン捕囚となり、やがてナバーラ王国まで脱出。


 1507年、チェーザレはナバーラ王国とスペインの戦争に参加し、戦死した。

Copyright(C)2026 燎 空綺羅

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