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フィリップを呼んで、夫婦の自室に帰ったアンリエットは、つわりを起こし、フィリップが慌ててさすった。
「まぁ、大丈夫ですの、アンリエット?貴方も、美味しくて食べ過ぎましたの?」
アンリエットは涙ぐみながら、ドレスを脱ぎ、コルセットを外した。
「フィリップ殿下」
フィリップは驚いた。
「まぁ。痩せている貴方がそんなに膨らんで。コルセットの締めすぎでしてよ。苦しいのは、当たり前ですわ。」
「違うのよ、フィリップ。お腹に、赤ちゃんが出来たの……」
フィリップは瞬きして、ため息をついた。
「……お兄様の赤ちゃんですね?アンリエット。赤ちゃんを生める貴方が、正直羨ましいですわ。わたくしは、いずれは殿方に戻るのかもしれませんが……母親になれる幸せは、ありませんもの。」
アンリエットは訴えた。
「不実の赤ちゃんを、助けて、フィリップ……」
フィリップはアンリエットの恐れに気づいて、両手を握って安心させた。
「元々、わたくしには赤ちゃんが出来ませんもの。絶対に貴方の赤ちゃんを守りますから、安心なさって。こういうのはいかが?わたくしとアンリエットが、どちらもお母様になって……二人共忙しい時は乳母に。わたくしが遊びたい時はアンリエットが赤ちゃんをみる。アンリエットが遊びたいときは、わたくしが赤ちゃんをみる。」
アンリエットはフィリップの優しさに涙した。
「責めないのね。わたしを。」
「うーん。わたくし、父を知りませんが、お母様から聞いた限りでは、良い父とは思えませんでした。わたくしは、確かにアンリエットを愛せませんし、愛する殿方が出来たら、そちらに走ってしまうかもしれません。父のように、わたくしも殿方に恋を探します。でも、だからといって、最初っから父のようには、なりたくありませんわ。アンリエットとわたくしで、赤ちゃんを抱えて幸せを探すのは、ひとつの道です。わたくしはお兄様も好きです。アンリエットとお兄様の子を、大事にしたいですわ。」
アンリエットとフィリップが結託し始めた頃。
翌日も、傷心のルイは政治の為に、コルベール、コンデ親王、テュレンヌ元帥らの部屋に籠るが、心はスカスカに風が吹き荒ぶ。
「イギリスですが、チャールズ2世の信仰自由論に議会が猛反発し、王のカトリック思想は禁じられ、国内はイギリス国教会のみと定められております。親フランス外交へも敵視が及び、内政が波乱を呼んでいます。政権は王では無く議会へ。オランダをめぐる戦争では、我が国との秘密条約を破って敵対致しかねません。チャールズ2世自体が絶対王政をなし崩されて、財政難状態、ほぼ軟禁され、決定権は議会持ち。行き詰まりです。ですが、イギリス植民地は増えています。」
「今のうちにイギリスを叩いてしまってはいかがでしょう?オランダ戦争で敵対せずに済みますし、東インド会社の独占にも繋がります。イギリスの支配は莫大な利益にもなりますが。」
「……チャールズ2世は余の友だし、彼はアンリエットの兄だぞ?」
「ですが、チャールズ2世には力が無い。イギリスは実質議会のものです。今更でしょう。」
「カトリック国としてイギリス国教会も潰すべきでは?」
「陛下のお気持ちはわかりますが、これまでのように信頼をいただきたい。必ずや、戦績を挙げて見せましょう。」
ルイはとてもアンリエットの祖国と兄まで奪う気にはなれず、立ち上がった。
「ルイ陛下?」
「外の空気を吸いに行く。一時休憩せよ。すぐ戻る。」
ルイはヴェルサイユ宮殿を歩き去り、中庭に駆けつけた。
美しい花々に、緑豊かな景色だ。
癒される。
ルイが空気を吸っていると、誰かが中庭で楽しく歌っているのに気づいた。
ルイが声の主を探して歩くと、木に寄りかかって座り、鼻歌を歌いながら、穏やかに裁縫をしているルイーズを見つけた。
やはりだ。
ラファエロの描いた聖母子画のような、清らかな光景。
「ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールよ。」
ルイーズはルイに気づき、慌てて鼻歌をやめた。
「国王陛下……!あの、勝手に中庭に入ってしまって、申し訳」
「よい。……隣に座っても、よいか?」
「勿論です!わたしがどきますから、わたしは不法侵入ですし」
「よいのだ。此処にいてくれ、ルイーズよ。」
ルイーズは、ルイが何か追い詰められた表情であることに気づいた。
自身が聞いていいのかは、わからないが。
なんとなく、ほうってはおけない。
「……何か、ございましたか?お辛いことが?」
「あぁ。色々とな……アンリエットを不幸にしてしまったし、今政治上では、アンリエットの兄が危うい。フランスの利益から見れば、議会に支配されたイギリス本国を叩かねばならんが、それは人としてはおかしい。余はアンリエットを不幸にした。なのに、更にアンリエットの兄まで、殺したくは無い。」
ルイーズは、ルイの人間らしい心を理解し、聖母のように微笑んだ。
「ならば、国王陛下のお心に従うべきです。陛下は、アンリエット様のことで、傷ついていらっしゃいます。それ以上踏み込んで、アンリエット様のお兄様を殺めたら、きっと悲しみは悪化してしまいますから。どうか、フランス王としてではなく、人間として、心を自衛なさってください。」
ルイは温かさに包まれた。
ルイーズの優しさは、フランス王のルイでは無く、人間としてのルイを尊重してくれた。
「そうする。余は心を優先しよう。……前々から不思議だったのだが、そなたはなぜそんなに優しくなれるのだ?そなたとて、野心はあろう。富と名誉の為か?」
ルイーズは首を振った。
「優しくなど。わたしは現状に満足していますよ。野心が無いから、勉学の高みに追いつかないのだーって、わたしを叱る人もおりますけどね。働いて得る達成感や、親切をして満足する気持ちを、わたしは大切にしております。」
ルイは、ルイーズのようなタイプを初めて知った。
働いて、現状に満足すること。
満足など、歩みを止めてしまうだけの病だと思ってきたが、ルイーズはこんなにも穏やかだ。
「そなたのような人と話すことが、こんなに楽になれるとは知らなかった。ルイーズよ、歌いながら、裁縫をしていたのか?」
「あ……はい。アンリエット様のドレスを、ワンサイズ大きく仕立て直しております。室内では、フィリップ殿下も同じお裁縫をなさっておいでです。」
「フィリップが……そうか。」
しばし、沈黙し、ルイはルイーズの裁縫を眺めていた。
それは、穏やかな時間だった。
「国王陛下!此処におられましたか!そろそろお戻りください、我らで勝手に話し合っても、決めるのは陛下です、我らのフランスは、ルイ陛下の絶対王政でなければなりませんから!」
ルイは立ち上がり、ルイーズに告げた。
「余は戻るが……ルイーズよ。」
「はい?」
「そなたを余のものにしたい。何らかの障壁があるなら、いま申すが良い。」
ルイーズはびっくりし過ぎて固まったが、やがて我に返って、ルイに申し上げた。
「お気持ちは、有り難いのですが!わたしには既に、将来を約束した人がおります。」
「余が勝つぞ。勝ってそなたを迎えよう。ではな。」
ルイーズは焦り出した。
王は、ラウルに、勝つ?
ラウルと決闘でもする気なのだろうか。
ラウルは勝っても反逆罪、負けては引き離される。
いいや。
ルイ陛下と接触した感じ、そんな横暴な感じは無かった。
でも、ラウルは強く逞しい。
逆に王が怪我をしてしまうかもしれない。
ルイーズからしたら、どちらも嫌だ。
ラウルが手加減してくれて、勝つと、信じるしかない。
政治に戻ったルイは、きっぱりと断言した。
「余はイギリスの政権が議会のものであろうと、イギリス本国を叩きはせぬ!東インド会社独占も許さぬ。王弟妃アンリエット・ダングルテールはフランス王家の家族であり、チャールズ2世は余の友、そしてアンリエットの兄だからである!余のすべきことはチャールズ2世への支援であり、敵対では無い!余が例え神に選ばれていようが、王が人道から大きく道を外せば、余も処刑される王の二の舞となろう!民は人道から外れた王には従わぬ!よって、フランスは今のイギリス本国に攻撃もしなければ、チャールズ2世への支援を続行する!ただし、オランダ戦争への軍事加担には、フランスはイギリス側に敵対してでも、フランスに有利な側の戦争を行うものとする!余りに見過ごせぬイギリス、フランス間の不和、イギリス議会の横暴が起きれば、我が家族であるアンリエットを使者として派遣し、必ずイギリス、フランス間の友好関係を持続し、チャールズ2世とアンリエットを守りきる!!これは、フランス王としての決定である!!」
コルベール、コンデ親王、テュレンヌ元帥らは、その決意に息を飲み、やがて拍手し始めた。
「王としての、素晴らしい信念でございます!」
「貴方様の絶対王政に祝福あらんことを!」
「フランス王の人道に、栄光あれ!」
皆、公には言わなかったが、ルイは家族の家長としても、責任を果たしたのだ。
ルイはまた1歩成長し、未来の栄光の太陽王に近づいて行く。
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