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守山一路はヒーローになれない  作者: 依近
第3章・アクアランス編
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第39話・ジーク


 水の浸食を受け続けたせいで、脆くなっていたのだろうか。

 崩れ落ちた石造りの床。瓦礫の山となり、歪に突き出た形を背中で押し返して身体を起こす。

 不安定な足場が音を立てて崩れる。守山は慎重にバランスを探りながら、周囲に視線を走らせた。

 滴る水で黒く染まった壁面。表面を薄く覆う膜は、ほのかに差し込む外光を弾いて艶めいてる。

 鐘突き塔まで真っすぐ伸びる高い天井。鼻先を上に向けて呼吸すると、冷えた空気が粘膜に触れる。


「寒む……」


 ブルッと身を震わせ、吐いた息は白く形を結んで空気に溶けた。冷えた空気に圧され、霧の動きが鈍い。

 ぐるりと一周見回して、自身へと着地させる目線。


「……おい、大丈夫か?」


 腹の上に乗っかる形で仰向けに倒れた人へ声をかけた。乱れた長い青髪がピクリと揺れて、白い面立ちが顔を上げる。


「なぜ、助けたんですか」


 目を逸らしながら言う神官に、守山は呆れたため気をついて返す。


「こっちはそもそもあんたに命握られてんだ。あんたが死んだら、俺までどうなるか分かんねえだろ」


 保身だ、と付け加えれば、ようやく青眼と眼があった。敵対する相手に、恩を売る姑息さを守山は持ち合わせていない。

 神官の手には、杖が握られたままだった。落下の衝撃でも離さずにいられたのか、あるいは――


「モリヤマ!」


 積み上がった瓦礫の下から声がする。守山は首だけを巡らせ、口の端についた血を拭ってから気楽に手を挙げた。


「アウロラ! 無事か?」

「それ、こっちの台詞だから!」


 白い頬を丸く膨らませて言うアウロラの抗議は最もだった。

 守山は自身の胸から出た金糸の先を辿り、神官と目を合わせる。神官はわずかに唇を引き結び、杖の上部を守山の方へ傾ける。


「足場崩れそうだし、下に降りていいだろ?」

「……構いません」


 神官の表情からは、先刻見せた激情の色がすっかり抜け落ちていた。

 守山は杖と繋がった金糸を慎重に引き、神官と一定の距離を保って床に降りる。

 崩れた礼拝堂のひとつ下にある階層だろう。上の階に独特の空気を生んでいた原因が、この地下を満たす温度だと察した。

 並び立つアウロラとラゼルの表情は、迎えるというより待ち受けていたという空気に近い。

 距離を空け、向き合う形で対峙する。一拍の沈黙の後、神官が最初に口を開いた。


「崩落は、あなたがたの仕業ですか」


 声は低く、わずかな怒気が滲んでいるように聞こえる。

 ラゼルは肩を竦めて、足元に散らばる金属――武器を蹴った。

 薄闇に目を凝らせば、彼らの足元には同様の武器が無数に散らばっている。


「んだ、これ……」

「兄貴、これが俺が感じた金の匂いの正体だよ。そいつが奪って溜め込んでた武器だ」


 守山はゴクンと唾を呑み下し、傍らに立つ神官を見上げる。

 神官は薄い唇をわずかに開いて、呆れた吐息を漏らした。


「……それを、手当たり次第に使って、天井を破壊したわけですか」

「先に手荒な真似したのはそっちだろが」


 ラゼルはべぇと舌を出して、荒い鼻息を吐く。


「わたしも、ラゼルの言い分に賛成するわ。あなたが無礼を働いた以上、どんな行動に出られても文句は言えないわよね?」

「……こちらには人質がおりますが」


 神官は変わらないトーンで言いながら、杖の上部をわずかに傾けた。シャラ、と細い輪が擦れる音を立てるが、元の階ほど響くことはなかった。


「人質ねえ……でもその人質、俺らの中で一番強えしなあ」

「助けなんて待たないで、ひとりでなんとかできちゃうだろうし……」

「おい」


 低い声でツッコミを入れる一方で、口元はひとりでに緩んでいた。

 目の前の仲間たちも、守山と同じ表情でいる。

 ひとり外側にいる神官だけが、冷めた息を吐いた。


「……人質があなたがたにとって有効でないことは分かりました。ですが、あなたがたの蛮行を許すことはできません」

「なるほどな。けどそれは、こっちにも人質がいるってことで抑えられんじゃね?」


 ラゼルの長髪に、神官の表情がわずかに揺れる。


「人質?」


 訝しげに聞くと、ラゼルはあごを上げて背後を示した。


「……な、ぁ……」


 こぼれた声は中途半端に途切れて、そのまま尻すぼみに消えていく。

 ラゼルが示した先。辛うじて残った天井に太い鎖で吊られた――巨大な氷。

 大きさの理由は、その氷が果たす役割ですぐに知れる。

 氷の中に、人がいるのだ。

 宙に吊られていることを抜いても、見上げるほどの壮健な体躯。子供の胴体ほどある太い腕。発達した筋肉で覆われた肉体。

 上裸の肌には数多の傷が刻まれ、塞がった跡が残る。燃えるように広がったまま凍り付いた青髪。傷の走る顔面の中で、眠ったように瞼が降りていた。

 見覚えはもちろんない。けれども、どこかで感じた印象が脳を掠めた。


「もしかして……国一番の神官、か?」


 守山の声の余韻が引くと、シン、と重い静寂が降りた。

 傍らに立つ神官は、青眼を細めて氷漬けの人を見上げている。


「ジーク・アズール……国一番の神官。そして、アクアランスの継承者だった人」


 神官は、動かない。

 アウロラは唇を結び、静かに神官を見つめている。

 彼女のブーツの底が床を打つ音が、高く響いた。


「あなたは、誰なの?」


 問う声が、冷えた空気を揺らす。吐き出した息は白く形を作り、薄く揺れたあとで幻のように消える。

 神官は、薄く微笑んだ。

 手にした杖を飾る金属の細い輪がぶつかって、張りつめた音を鳴らす。


「私は、セト――アクアランスを、葬る者です」


 声は震えず、揺らぐことはなかった。

 ただその青い瞳だけが、不安定な光を浮かべていた。

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