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守山一路はヒーローになれない  作者: 依近
第3章・アクアランス編
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第38話・見上げる側


 強すぎる光で輪郭がぼやける。この感覚は、覚えがあった。


(また、夢かよ)


 守山は舌打ちをしながら目を覚ました。服装はまたかつての練習着である白Tシャツにラインの入ったジャージ。タクティカルグローブをつけていない掌の皮は厚く、握った感触はぼんやりと脳内に返ってくる。

 守山は仰向けに寝転んでいた身体を起こし、癖がついて跳ねた後頭部の髪を撫でつける。


「守山さん、これどうぞ」


 後輩がそう声をかけながら、何かを守山の肩に乗せた。

 守山は反射的にそれを掴んで、後輩に「ありがとう」と礼を言う。

 手に触れたそれは、丸めた雑誌だった。仲間内で読みまわしたあとらしく、角は折れ曲がり、見えない手垢がこびりついているようだった。

 守山は組んだ脚の上にそれを落として、表紙を視界に入れる。


(ああ、これか)


 目にした瞬間、心がズシリと重くなった。既視感のある感覚。以前もきっと、同じ気持ちになった。

 雑誌はよくある青年誌で、表紙は若い女の子の水着姿のグラビア。

 ヒロインの休日――と、いう煽り文句が飾る表紙には、水着姿の百花がキャストの元アイドルと一緒に写っていた。

 白い肌が陽光を弾く。傷ひとつない滑らかな肌は、デジタル処理で加工されたものだと一目で分かる。

 元アイドルの女の子が作り慣れた笑顔を浮かべる横で、百花ははにかむような笑みだった。

 キャラクターカラーに合わせてか、ビタミンカラーのピンクのビキニ。視界に入った白い谷間から、守山は反射的に目を逸らす。


「守山さん……それ」


 背後に人型の影が差し、守山は肩越しに振り返る。

 血の気が引いた顔の百花が立っていた。


「ち、ちがうんです! その……キャストの子の事務所の人にどうしてもって頼まれて……! わたし、水着なんてそんな……やりたく、なくて」


 百花は顔を両手で覆い、俯いた。守山は彼女を見上げたまま、手元で雑誌を裏返す。


「……顔上げろよ、早志」


 顔面を覆う指の隙間から、薄茶色の瞳が覗いた。百花は震える唇を噛み締めて、漏れかけた嗚咽を懸命に呑み込んでいるようだった。


「仕事だもん、しゃーないだろ。それに、ちゃんと綺麗に写ってる」

「う……でもわたし……こんなのじゃなくて、ちゃんと、ヒーローに」

「なってるって。こっちの仕事の方がオマケだろ? 早志がちゃんとみんなに憧れられるヒーローだから、こういう仕事だってくるんだよ」


 言いながら、心に暗い影が落ちて行く。

 守山がいくら望んでも、努力しても届かない場所にいるのに、なおも願いを口にする。

 彼女の想いは分からなくもない。

 けれども「ヒーローになる」ということは、注目を浴びるということ。

 注目を浴びれば、周囲の扱いも、見る目も変わってくる。

 そこでもなお、信念を持って立ち続けることがどれだけ大変か――守山には、想像の域でしかない。


「守山さん……わたし」


 百花は力なくその場に膝をつく。丁度、正面でかちあう視線。その少し下へと目を遣れば、紙面で目にしたのと同じ谷間が見える。

 守山は努めて、目線を下げない。

 俯きかけた百花の額に指を添えて、強く押した。


「下向くなっつーの!」


 百花は押された額を押さえて、目を丸くさせる。見開かれた薄茶色の瞳に自身を映して、守山は無理に笑う。


「いつでも、目線を上げてろ。そんで、周りの目線も上げさせんだよ。それがヒーローだって、ずっと教えてきただろ?」


 言葉は、百花に向けたものだったのか、自分に言い聞かせるためだったのか――分からない。

 百花の瞳に光が揺れる。


(ああ、俺も)

(誰かに上を向けって言ってほしかったのかもしれない)


 背の低い自分には当たり前のこと。誰も彼も、守山より高い視点で世界を見ている。輝くステージの上にいる。

 いつも見上げる立場だからこそ知る、強い憧れ。

 羨望は純粋なままではいられず、いつしか鬱屈した自己批判と、醜い妬みへと変わっていた。

 ゴクン、と。強く唾を呑む。俯きかけたあごを必死で留める。

 持ち上げた口角を、決して降ろさないように。

 目の前にいる本物のヒーローが俯いてしまわないように。

 絶対の強さを、羨望を、声援を、届け続ける。

 ヒーローがヒーローであり続けるために、それがいるから。

 明確な境界線が見える。この時からずっと、踏ん張って、踏ん張って、胸に誓い続けてきた。

 その光が自身の希望を何度も砕いてきたことからは、頑なに目を逸らして。

 胸が痛い。絶望の影に呑まれる。

 ヒーローになれないという烙印を、自分で自分に何度も押し続ける痛さ。

 守山は立ち上がり、百花に向かって手を差し出した。

 百花は滲んだ涙を拭い、守山の手を掴む。

 彼女が見上げる先に、自分がいるのは違う。

 自分が見上げる先に、彼女(ヒーロー)がいるのが正解だ。

 守山は、目の前に立つ百花を見上げて笑顔を作る。


俺は(お前は)ヒーローになれない(ヒーローだよ)


 二つ重なる、本音。希望を語りながら、いくつ自分の中で希望を踏みつぶしてきたのか。途中から数えるのもやめていた。

 守山は目を閉じる。瞼の裏の闇を見つめて、深呼吸した。


「……だから、なんだよ」


 声は、自分の鼓膜を震わせて。そして、余韻を残さず空気に吸われていく。

 冷えた空気が肺を焼く。鼓動が脈打つたび、燃えるように全身が痛んだ。床に広がる血だまりは増えていて、口の端に乾いた血がこびりついていた。

 頭が冷える。たぶん、血が足りないせいだと理解しながら。

 守山は瞬きを繰り返して、視界の中の神官の姿を正面に捕らえた。


「絶望がなんだ。それでも、ヒーローがいたら見上げんだろ。頑張ってる姿みたら、すげえぞ、負けんなって、応援すんだろ。届いたら、めちゃくちゃうれしいだろ。一緒に戦ってる気持ちになんだろ。絶対……絶対勝たせてやりたいだろ。そういう熱の全部を、希望って呼ぶんだろうがぁ!」


 神官の表情が、一瞬揺らぐ。眉間に深い皺が寄り、瞳にこもる憎悪の色が濃くなった。


「……知らない、くせに」


 地の底を這うような低い声。ゾクリと背筋を駆け抜けた寒気をやり過ごし、守山は神官から目を離さないよう努めた。


「希望が絶望に変わる瞬間を、英雄が負ける瞬間を……あなたは知らないだけだろう!?」


 青眼の奥に燃える絶望の正体が、顔を覗かせる。

――英雄(ヒーロー)が、負ける。


(ああ、この人は……)


 守山が息を呑んで喉を震わせ、一瞬の沈黙が降りた――瞬間。

 地面が音を立ててを震えだす。


「……なん、だ……?」


 地鳴りは徐々に大きくなっていく。グラッと大きく足元が傾いた瞬間、守山は咄嗟に神官の方へと手を伸ばしていた。


「危ない――」


 叫びは轟音に紛れて、どこにも響くことなく掻き消えた。

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