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守山一路はヒーローになれない  作者: 依近
第3章・アクアランス編
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第35話・金糸の罠


 金属音の余韻だけが濃く響く空間で、守山は祭壇の前に設えられた寝台の上へと横になる。

 アウロラは参列席の最上部に腰かけ、背中に提げた虹剣イリスを体に押し付けるように革のベルトを強く握り締める。

 神官は自身の身長よりも長い杖を床と水平になるように構え、レンズの奥の瞳をスゥと閉じた。


「……あんた、具合も診ずに即魔法を使うのか」


 守山が漏らした声に、神官は片目を薄く開く。


「お急ぎのように、見受けられましたので」


 薄い唇が紡ぐ言葉には、感情の色が見えなかった。真偽を見極めるには足りない。

 守山は真っすぐに神官の青眼を見据える。神官は両目を開いて、守山の視線を受け止めた。

 動揺の影はない。


「そうか……だが、魔法の対価になるような額は払えねーぞ」

「いりませんよ、対価など」


 静かに告げて、瞼を閉ざす。同時に、神官が構えた両手の中で杖がボゥと淡く光り出した。


「俺の仲間が、金の匂いがするって言ってたんだがな。ここへ入る道もかなり頑丈に舗装されてたし、裕福なやつの出入りがあるだろう。神官が財宝を蓄えてるって噂は本当か?」

「……皆、治癒に対する礼だと言って置いていかれるものです。貧富の差なく、求める者に治癒を与えているにすぎません」


 光が強くなる。青から、白へ。明度を増していく光に網膜を焼かれ、神官の顔が見えなくなった。


「たしかに、疑うのはよくねえって思う。教会はどこの地域でも大事にされてるもんだろうし、あんたらも素質だけじゃなくて、努力して神官っつー地位についてんだもんな。誇りがあって当然だ」

「ええ……弱き民は守るべきものです。彼らの平穏を、何人たりとも侵すことはあってはなりません」

「あんたは、このエリアの守護者ってわけだ」

「ええ――そのようなものです」


 カッ、と。ひと際強い閃光が弾ける。ドクンッと激しく鼓動を打つ音と、突き上げられて跳ねる身体。杖から流れ込む光が心臓から末端まで行き渡り、身体が熱く脈動する。

 守山の鼓動に合わせて仄かに光る光の線。

 それは、目に見える形で守山の胸と杖の間を繋いでいた。


「んだ……これ……?」


 自身の胸から垂れる黄金の線を手に取り、クンッと軽く引っ張ってみる。

 末端まで張り巡らされた血管が引き攣るように、身体が軋む。


「痛……っ!」

「モリヤマ!」


 思わず上体を折った頭の上に、アウロラの声が響いた。また、軋む痛みが全身を駆ける。

 辛うじて目を上げた先の視界に映るのは、アウロラに向けて杖の上部を突き出す神官の姿だった。

 重力に従い一か所に集まる金の輪が、シャランと冷たい音で鳴く。

 その余韻が途切れ、無音の静寂の中にアウロラの息遣いが吸われて溶けていった。


「動かないでください。虹剣(こうけん)イリスの継承者――アウロラ・ヴェスペリア様」


 アウロラの息を呑む音が、一瞬空気を震わせる。

 神官は杖の角度を傾け、守山と繋がった金糸をピンと張った。

 骨まで軋む痛みが駆けるが、声を漏らすわけにいかない。幸い、小さな音なら誰に聞かれることもなく空気に吸われる。守山は強く奥歯を噛んで、漏らしかけた苦痛の声を呑み込んだ。


「あなた……最初からわたしのことを知っていたのね」

「教会と王家の関係は深いですからね。その瞳と黒髪、よく覚えていますよ。先王譲りの特徴は、第二皇女様だけが受け継いだのですね」


 アウロラの瞳が揺れる。眉尻が下がり、白い喉が震えた。革ベルトを握る指先が、白く染まる。


「モリヤマに……わたしの仲間に、何をしたの」


 神官はわずかに瞳を見開き、すぐに目を細めた。


「取引きをしましょう、アウロラ様」

「取引き……?」


 重なった細い金属の輪は、音を立てない。力を入れる素振りも見せず、神官は長い杖を静止させている。

 守山は息を殺しながら神官の横顔を窺った。白い頬は能面のように動かず、ただ冷えた感情しかないことを伝える。


「虹剣イリスを、棄ててください――この男の命と引き換えです」


 空気が、ピシリと音を立てて凍り付く錯覚が起こる。

 実際に冷えた空気と、一瞬走った無音状態のせいだ。

 やがて、アウロラの喘ぐような息遣いが空気を震わせる。


「……あなた、何を言って……」

「あなたの継承したその剣は、地上で最も醜悪な災いです。今は力を失っているようですが、時が満ちればまた虹色に輝くでしょう。その時、この地にそそぐ災厄を見過ごすことは出来ない」

「だからって……モリヤマは関係ないでしょう!?」


 アウロラの叫びは、空気に吸われて消えていく。


「……そうでしょうか?」


 同じく空気に吸われる音なのに、神官の声は重く降り積もるように聴覚を震わせる。


「この男は、あなたがその剣を行使することを受け入れているのではないですか? それどころか、鼓舞するような真似までしている。あなたの剣と同様に、危険な存在です」


 アウロラの瞳は今にも決壊しそうな涙の膜を揺らしながらも、懸命に神官を睨みつけていた。

 彼女自身も、何度も己の中で繰り返しただろう問答。それを玲瓏な響きで、理路整然と糾弾されている。

 今にも潰されそうな、震える脚。アウロラはハァと強く息を吐いて、革のベルトを強く握った。


「けれども、虹剣イリスがなければあなたは未熟な少女。この男も、体術だけの強さしか持ちえない。ここを出れば、モンスターさえ相手にしない存在になるでしょう。あなたがたにとっても、よい条件ではないですか?」


 無感情で、冷静な言葉。真実のような言葉。

 胸の奥が冷たく、硬く、冷えていく。

 真正面から、存在価値を否定する言葉。想いや願いを抱くことさえ無駄だというような。


「それでも戦うというなら好きにすればいい。治癒もさずけて差し上げます――虹剣イリスを、渡すなら」


 アウロラの表情からも、感情が抜け落ちる。紅玉石の瞳は光を揺らすことなく、静かに神官を見つめた。

 小さな唇が引き結ばれ、フッと解けて淡く吐息する。

 アウロラは革ベルトから腕を引き抜き、虹剣イリスを下ろした。

 ゴトン、と。重い音が床を打つ。


「……勘違いしないで」


 杖の先が揺れ、シャランと細い金属音が立つ。


「イリスの持ち主(マスター)はわたし。わたしの手元を離れれば、イリスは力を持たない……その代わり、誰にも手にすることはできないわ」


 淡々と言うアウロラの声は、余韻を引くことなく空気に吸われていく。

 神官は小さく息をつき、アウロラの前まで進み出た。

 その場にしゃがみ、イリスの柄に手を掛ける。握って、持ち上げようとした身体が前に傾いた。


「……なるほど」


 神官はしゃがんだ姿勢のままアウロラを見上げる。神官を真っすぐに見下ろしながら、アウロラは胸を張り、背筋を伸ばした。


「モリヤマにかけた術を解きなさい」

「……それは、できかねますね」


 神官は眼鏡のフレームを押し上げながら立ち上がる。

 コツン、と。床を打つ靴音。神官は低く呼吸しながら後退し、アウロラから距離を取った。

 両手に持った杖が揺れ、シャランと繊細に鳴く金属音。杖の上部に嵌まった青い宝玉がボゥと光る。


「え……っ」


 アウロラの足元を中心に、神官の足元まで広がる円形の模様。


(魔法陣――か?)


 ゲームやアニメの中でしか見たことがない。けれども複雑な要素で形作られたその光の陣は、そうとしか形容できなかった。

 現れた魔法陣は青白く発光し、アウロラの身体を包む。


「モリヤマ……!」


 叫びと、真っすぐな視線。

 伸ばされた指先が、光に呑まれて音もなく消えた。

 微かな風が吹き、魔法陣も消える。そして――アウロラの姿も、なかった。

 残ったのは、マスターの手を離れた灰色の剣だけ。


「自らイリスを手放すとは、愚かなお姫様だ」


 守山に背を向けたまま、神官は呟く。

 その爪先が虹剣イリスの刀身に触れたのを、守山は見逃さながった。


「……アウロラをどこへやった」


 噛み締めすぎた余韻で、奥歯が痺れて痛む。喉が擦り切れるほどに低い声が出た。

 神官は肩越しに守山を振り返り、静かな吐息交じりに返す。


「地下牢です。あなたのお仲間も一緒ですよ」

「あんた……最初から」


 チッ、と。前歯の裏を弾く舌先が鳴る。閉じた歯列の隙間から漏れる吐息が、獣のような音を立てた。


「彼女に所有権がある内に、虹剣イリスを破棄すると命じてもらわなければなりませんからね。頑固な方のようですから、こちらも交渉の手立てを考えなければなりません――あなたを使って」

「ああ……そうかよ」


 全身が脈打ち、熱を持つ。神官の杖と繋がった糸は、なんらかの作用で身体を蝕んでいるらしかった。

 ズシリと重い全身。押さえつけるように圧し掛かる力に抗い、立ち上がる。

 神官が微かに息を呑む気配に、守山は唇の端を持ち上げた。


「好き放題してくれんじゃねえか……なんか悩みでもあんのか? 俺がたっぷり話聞いてやるよ――神官殿」


 背中を汗が伝う。今にも途切れそうな意識を奮い立たせ、揺れる青眼を真っすぐに睨みつけた。

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