第34話・静寂の宮
喉を通る唾液の音が、耳底で大きく響く。
アウロラの肩に背中を寄せて、守山は声を潜めて聞いた。
「なあアウロラ。あれ、男と女どっちに見える?」
「うーん? 声は男の人っぽいけど」
「だよな。でも……」
薄霧の中で目を凝らす。
自然な角度で落ちた肩と、揃えた脚。杖を持つ手つき。
女形の研究していたからこそ分かる――息を吐く仕草のひとつさえ、女性の特徴を拾っている。
人物はレンズ越しの瞳を瞬いて、ゆったりと首を傾げた。
「治癒をご希望なら、どうぞ奥へ」
「――待て」
頭から足首まですっぽり覆う長さの白布を揺らして。後ろを向きかけた背中に声を投げる。
動作を途中で止めた人物は、深い青の瞳を守山に据えた。
「あんた……誰だ?」
薄霧の粒子を乱して、響かせる声。
「ちょっと、モリヤマ……神官様に向かってそんな口」
アウロラは守山の袖を掴んで首を横に振る。
守山は彼女には取り合うことなく、人物に真っすぐな視線を返した。
「何者だよ」
人物はじれったいほど緩慢な動作で、守山たちに向き直る。
傾けた杖の先を飾る細い金属の輪が、シャララと細い音で鳴いた。
「こいつが国一番の神官だっていうなら……噂と違い過ぎるだろ」
「……確かに」
アウロラは守山に身体を寄せつつ、そっとあごを引く。
人物は長い睫毛が縁どる瞼を一度伏せて、短く息を吐く音を立てた。
「先代のことを言っているのでしょうが……彼はもういませんよ」
顔を上げて、告げる。その表情はまるで、人形のように生気を感じない。
ゾクリと背筋の震える感覚。奥歯を強く噛みすぎたせいか、軽く頭痛がした。
「奥へどうぞ。お仲間もお待ちです」
「ラゼルが……?」
引き結ばれた唇が、わずかに綻ぶ。
人物は杖の上部についた飾りを大きく振り、澄んだ音を立てながら歩き出す。
濃い影の中に消えていく白い背中。
「どうするの、モリヤマ……」
アウロラの声が鼓膜を震わせて、いつの間にか硬直していたことに気づく。
空気が、あの人物に支配されていた。
女に見せるような動作も、艶のある低い声も。どれもが――演出のように。
「……演出、か」
声に出してつぶやいて、ようやく指先に血が通う。
真逆の噂。掴めない全容。気を抜いたら、飲まれる。
守山は大きく吸い込んだ息を、出来るだけ長く吐き出した。身体の中の空気を全部入れ替えるように。
「行くぞ、アウロラ」
「……大丈夫なの?」
「どのみち、ラゼルを見捨ててはいけねえしな」
歯を見せて笑いかければ、アウロラの顔に張りつめていた緊張も解ける。
目を合わせて頷きあい、並んで一歩を踏み出した。
周囲を覆う薄霧が、ゆっくりと運動を始める。粒子を割るように、進んでいく。
「ラゼル、いつの間にいなくなったのかしらね」
「まあ、妙に浮かれてたしな。金の匂いやらなんやら嗅ぎつけてフラフラしてる間に、あの神官に見つかったんだろうよ」
「……油断も隙も無いわね」
本気で呆れた溜息に、守山は苦笑した。
「なあアウロラ。アクアランスの実物は見たことあるか?」
「実物を直接ってことはないけど……書庫の資料では見たわ。すごく綺麗な青い宝玉が付いた、金色の槍」
「長さはどんくらいだって聞いてる?」
「うーん……かなり長いと思う。兄さまの身長より長かったって聞いた気がする」
言いながらアウロラは自身の腕を伸ばして、一番高いところでかぎ括弧の形を作った掌を振った。そこが兄の身長という意味らしい。
守山はフム、とひとつ唸り、神官が手に持ってた杖の長さを思い出す。
「じゃあ、あの杖くらいの長さってことか」
「……あれが、アクアランスだっていうの?」
訝しむ声で聞くアウロラ。上体を倒して顔を覗き込んでくる彼女に、守山は首を捻ってみせた。
「そう見ることもできんだけど……理屈が合わない気がする」
「理屈?」
「まあ、大部分は合ってんだけどな。王家の武器は持ち主にしか扱えない。他のやつには重くて持てたもんじゃない……とすると、あいつはアクアランスのマスターってことになる」
「そうね……」
「でも、あんたもラゼルもそうだけど、マスターのもとにあるときの武器ってさ、なんかすげー光るじゃん。その感じはなかった」
「力を使い果たしてるから、とか? 今のイリスみたいに」
「その線も考えられるけど、そうなると直近で使用した跡があるはずだろ? チャージが必要になるほど、ここで槍を使ったようには思えねえんだよ」
周囲を包む静寂は、戦闘後の抜け殻のような静けさとは質が違う。
守られている、と感じる静寂。
「……たしかに。じゃあ、あれはアクアランスじゃないってことになる……のかな」
アウロラがつぶやく言葉は、守山の思考と一致していた。
少し離れて先を歩く神官にも、きっと会話は聞こえている。その上で揺れない身体の軸に、守山は背中が冷えるのを感じた。
長い廊下を歩いた先に、ひとつのドアが見える。
神官はその前で立ち止まって、杖を持つ手でゆっくりとドアを押した。
扉の内側から流れ出てきた霧が、足元に絡みついてくる。違和感を覚えつつも足を進め、神官が開いたドアの内側へと入った。
吐く息が一瞬白く形を作り、霧と混じって消えていく。
「……なんか、寒い」
「だな」
自身の身体を抱きしめるようにして身を震わせるアウロラに同意しながら、守山はあごを上げて周囲を見回した。
正面の壁の高い位置に掲げられた十字架。左右の壁を飾るステンドグラス。
十字架の下には、白い女神像がたっている。
祭壇からドアまでの空間は、等間隔に並ぶ四人掛けのベンチが埋めていた。
「……礼拝堂、か?」
「そうみたいね」
神官は祭壇の前に立っていた。杖が傾き、重なる金属の輪。シャラ、と鳴く音がやけに大きく響く。
それとは裏腹に、足音が吸われる。
神官の足音は聞こえなかったのはもちろん、続く自分たちの足音も、意識していなければ聞き逃すほどだった。
「治癒を授けましょう。さあ、こちらへ」
神官の声も、余韻を残さず吸われていった。




