第27話・神官の噂
岩場を埋める霧は重く湿り、肌に滲むほてりを冷えた空気に溶かしていく。
「なあ、俺おもったんだけど」
布を巻き直したウィンドエッジを収めながら。ぼんやりと切り出したラゼルに目を向ける。
「兄貴、一回治癒受けた方がよくない?」
琥珀色の瞳がじっと注がれる。守山は口元を引きつらせて、視線を払うように手を振った。
「だから、これは昨日今日ついたもんじゃねえって」
「わたしもそう思うな」
同じく布を巻き直した虹剣イリスを革袋に収め、背中に背負いながらアウロラが言った。
「なんだよ、あんたまで……」
「モリヤマの背中の傷は、これまでの積み重ねの中でついたものだってことは知ってるわ。でもわたしと会ってから何度もモンスター相手に素手で戦ってるし、その負担かけてるのもわたしだから……ちゃんと治せる時に治しておいてほしいの」
真摯に向けられる紅玉石。守山は喉奥まで浮き上がってくる数多の言い訳を呑み込んで、ふわりと力の抜けた笑みを浮かべた。
「俺が好きでやってることだし、あんたが負い目に感じる必要はねーぞ?」
「それは分かってるわ」
「分かってるんかい」
アウロラは小さく咳ばらいをする。
「治癒って、傷を塞ぐだけじゃないの。身体に溜まったダメージも軽くできる。戦って鍛えられてる人ほど、効果も出やすいのよ。そもそも旅を続けながら、自力で回復するなんて無理でしょう?」
淡々と、言い含めるように。
守山はふと自身の腕に視線を落とし、掌を握ったり開いたりしてみた。
握力をかけると固く膨らむ筋肉は、ここに来たばかり頃よりもより硬くなり、柔軟性もついたように思う。
(まあ、異世界だし。回復のやり方も考え方も違うんだろう)
(進歩の分だけ全回復できるっつーのもいいかもしれない)
拳をグッと握りしめて、顔を上げる。
「……分かった。その治療ってやつ、受ける」
「そのほうがいいわ。ラゼル、場所知ってるの? 教会が生きてる場所なんて……」
「あるって聞いたぜ?」
ラゼルは鼻を宙に向けて、ヒクつかせながら答える。
「この辺り、だいぶ近いと思うんだよな。もともと水が豊富なエリアだけど、最近じゃもうほとんど水没したみたいになってるらしい」
「水没……?」
守山はハッとしてアウロラの方を見る。アウロラも同じことを思ったらしく、守山と目を合わせてあごを引いた。
「なに? どーしたん?」
「王家の武器が棄てられた場所は、武器の属性の影響が濃く出る」
「水ってことは……アクアランス!」
ラゼルの頬が引き攣り歪んだ。
守山はヒッと喉の奥で小さく悲鳴を上げるラゼルの背中に掌を添える。
「兄貴たち、なんつーか本当にすげーよね……ガチで世界救っちゃいそう」
「あんたも一緒にな」
背中をバシンと叩くと、ラゼルは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「選択まちがったかも」
「んなこと言っても、元の盗賊には戻らせねえからな?」
「盗賊はもう懲りたって。兄貴たちについてくよ、もう」
ラゼルは言いながら、二人を追い抜いて先頭に立つ。また空中に鼻先を向けてスンスンと鳴らし、そっと左耳のピアスに触れた。
「たぶん、こっち」
「なんか分かんのか? それ」
「うん。風が教えてくれんだよね」
ラゼルは肩越しに振り返り、歯を見せて笑う。
迷いなく進む背中。透ける素材の衣服が覆うその背を追って、守山はアウロラと並んで歩き出した。
「風が……って。ウィンドエッジとアクアランスは属性的にも近いから、呼び合うっていうのもあるのかも」
「なるほどな……まあ、そういうのとは少し違う気もするけど」
「どういうこと?」
アウロラは不満そうに頬を丸く膨らませる。
守山は苦笑で返しながら、ラゼルの項で揺れるサンドベージュの尻尾を眺めた。
「いつか話してくれんだろうよ。とにかく今は、あいつの勘を信じようぜ」
膨らませた頬をしぼめて、アウロラは小さくあごを引いた。
ラゼルは時折立ち止まっては風の方向を確かめ、匂いを嗅ぎ、方向を決めていく。
「なあ、さっき教会って言ってたけど、やっぱり回復の拠点って言えば教会なのか?」
不安定な岩場を飛び越えながら、守山はアウロラに問う。
アウロラはつまずきかけた足元をごまかすように軽く咳払いすると、虹剣イリスにつけた革のベルトを両手で握る。
「そうよ。集落に必ずひとつはあって、けがや病気を癒す神官がいるわ」
「神官……か。やっぱり魔法的な何かだよな」
「魔法だけってわけじゃないわよ。薬草に精通していたり、薬を作れる神官もいる。そもそも神官になれるってだけですごいんだから」
「はー……そりゃすげえ」
僧侶や牧師のようなものをイメージでいたが、医者に近い役割であるらしい。
「でも、そんなすげえ人たちが、さっさと教会捨てて逃げちまったってことなのか?」
これまで渡り歩いてきたエリアでは、いずれも教会は機能していなかった。
深く俯いたアウロラの横顔を、長い黒髪が隠す。その内側で、ハァと重い溜息が聴こえた。
「ヴェスペリアが滅んで、王家の武器も放棄されたあと……飢えたモンスターは教会を襲ったの」
「あ……」
微かに声をこぼして、息を呑んだ。
「抵抗した神官もいたって聞いてる。でも、ほとんどが命を落とした。住民が逃がした神官も、襲われたときの恐怖心からか、身を隠したままだって」
「まあ、そうなるか……」
無差別に、ただ強い「力」を食らう。そもそも種族が違うのだから分かり合えることはないだろうが、捕食される側にだって誇りも願いもある。
経年劣化にしては崩れすぎた教会の外装を思い出して、守山は強く拳を握った。
「なあラゼル。これから訪ねる教会と神官は、どうして無事なんだ?」
ラゼルは先に踏み出しかけた足を止めて、油の切れた機械のようなぎこちない視線を返してくる。
「俺も人から聞いた話だから話半分でな。その神官は国一番の神官だって言われてんだってさ。お嬢ちゃんのほうがその辺詳しかったりしない?」
水を向けられたアウロラは、少し考え込む仕草をしたあとで「ああ」と短く声を上げた。
「国一番の神官なら知ってる。会ったことはないけど……確か、ものすごい大男で、騎士団に混じっていっしょに戦っても引けをとらないくらいだったって」
「そう! そうなんだよなあ!」
サンドベージュの髪に両手を差し込んで搔き毟りながら、ラゼルが突然吠える。
「……んだよ、ラゼル。どーした?」
「だってさあ兄貴、ヒーラーっつったら普通可憐な女子じゃね? もっと言えば清楚系のシスターちゃんとかじゃね? それがなんだよ、騎士並みのガチムチ野郎ってさあ!」
「……最低ね、この人」
「まあそう言ってやるなよ」
アウロラのつぶやきには大方賛成ではあったが、辛辣さの面ではラゼルに同情する。
また不満そうに頬を膨らませるアウロラの傍を離れて、守山は肩を落とすラゼルの隣に並んだ。
「そんな気が進まねえのに、俺のために案内してくれてありがとな」
ラゼルは深く項垂れた位置から、庇護欲を誘う子犬のような眼差しを向ける。
「だって、仲間だし……役に立つとこ見せたい」
「おう、存分に役に立て。戦闘でも期待してるしな! 王家の武器に選ばれたなんてかっけぇじゃねえか!」
「へへ……うん」
しょぼくれていた三角耳と尻尾が、ピンと立ち上がる幻想が見えた。
じゃれつくラゼルに潰そうになったところを、アウロラが彼の襟首を引っ張って引き剥がす。
「ありがとな、アウロラ」
「……モリヤマって、本当……」
「ん? なんだ?」
言いかけた言葉を口内に沈めるように。アウロラは小さな唇を引き結んで顔を逸らした。
ラゼルを元の先頭に戻して、再びアウロラの隣に並ぶ。アウロラは白いスカートの裾を握り締めながら、何度か視線を向けてきた。
「……なに?」
「さっき、言いかけたの……気になるわよね?」
正直なところ、言いたくないならそれでいいと思った――という本音は呑み込む。
「まあな」
アウロラは紅玉石の瞳を見開いて、白い頬を仄かに赤く染めた。
「いつでも、人を笑顔にするのね、って……そういうの、ヒーローならちゃんとした方が、いいわよね」
尻すぼみに消えていく声。白い肌は真っ赤だった。
守山は口角を吊り上げて笑い、彼女の肩を軽く叩く。
「おうよ!」
アウロラはそっと唇の端を綻ばせ、目尻を窄めて笑った。
胸の奥がキュウと締まって熱を持つ。
(やっぱ、人の上に立つやつの笑顔は、半端ねーわ)
詰まる喉から息を押し出した――一瞬。空気が不穏に軋む。
「……っ、――兄貴!」
ヒリついた空気を、ラゼルの声が揺らした。
同時に低く構えるアウロラの少し前に立ち、ラゼルに向かって呼びかける。
「ラゼル! どうした!?」
声は、岩の砕ける音に掻き消された。
礫を避け、アウロラの身体に覆いかぶさる。周囲を覆う霧の中に混じる砂埃。
独特の酸い匂いと、果物の腐ったような甘い香りが混じって鼻を突いた。
伏せていた顔を上げると、すぐそばにラゼルが構えているのが見えた。
彼が顔の横に構える手。解けかけた布の隙間に、金色に光る刃が覗く。
「兄貴――モンスターだ」
霧の粒子を乱して、低い咆哮が空気を染めた。




