第26話・癒しの湯
白く、柔らかな蒸気が満たす。
岩肌が透けて映る水面。とろりとした水質は腕に絡み、しずくをツゥと伝わせる。
張りのある皮膚に触れる指先。内側の熱を浮き上がらせ、ほの赤く上気した肌。
水面を割って立ち上がるその引き締まったシルエットを見て、ラゼルはそっと目を細めた。
「ほんっと、良い身体してんね」
霞む湯気の中に立つその人――守山一路は緑色の目を怪訝そうにしかめてラゼルを睨みつける。
「ヤラしい目で見んじゃねーよ。このスケベ」
「健全な若者だからね」
「こっちはおっさんだぞ」
「自虐しなさんなって。いやでもマジ、冗談抜きでめちゃくちゃ肉体美だよ、兄貴」
「そーかよ」
守山は呆れた溜息を吐きつつ、頭に乗せていた布で濡れた髪を拭いた。
ラゼルはまだ「へえ」とか「ほお」とか声を上げながら、守山の身体を観察している。
ウィンドエッジのエリアから離れ、ようやく砂地でない地面を踏んだのが一日前。
今度は岩場の道が続き、周囲には霧のような冷たい靄が立ち込めていた。
滑る岩場を越えて進んだ先。馴染みのある匂いと温度に遭遇した――温泉だ。
「でも風呂ってすげーね、兄貴。俺こんないっぱいのお湯に全身浸ったの初めてだよ。しかも全裸で」
「ああ、ラゼルは砂漠育ちだもんな」
「そー! あ、このお湯って飲めんの?」
「飲むなバカ」
ラゼルは温泉の熱で上気した頬であははと声を上げて笑う。
(酒には酔わないくせになあ、こいつ)
守山はほぐれた筋肉の具合をたしかめて、グンと大きく肩を回した。
「え、なにそれ。兄貴の関節おかしくない? どーなってんの?」
「んあ? まあ……この身長だから敵役だけじゃなくて女役やることも多かったからな。関節やわらかいと女性らしい動きするときに有利なんだぜ?」
言いながら曲げた肘を身体の中央へと引き寄せ、宙をひらりと撫でた指先をそっと頬に添える。掌に頬を押し付けながら、捻った腰を入れ、足を前後に揃えてみせる。
ラゼルはヒュウと口笛を吹き、両手を打ち鳴らした。
「え、すげー兄貴。顔隠して服着たらガチで女じゃん。ムキムキのチビなのにすげー!」
「……お前、そうやって無意識に地雷踏み抜いてんのマジ気をつけろ?」
低い声を出す守山に、ラゼルは唇の前で左右の人差し指を重ね合わせ「ばってん」を作る。
守山は短く息をついて、女役用に調節した関節を解く。
「兄貴はスゲーな。さっきの女の演技もだけど、戦闘もすげーの。トドメまで一気にいっちゃえばいいのにって思うぜ?」
「いいんだよ、俺は。アウロラと約束したから」
濃い湯気の奥。岩場が隔てる向こう側のスペースでは、アウロラが入浴している。
守山はそちらの景色を意識しながら、白い歯を覗かせて笑った。
「俺はあいつをヒーローにするんだ」
濃い湯気の間に溶けて消えていく小さな宣言。
ラゼルは「ふぅん」と相槌を打って、再び肩まで浸かり、お湯の中を泳ぎ始める。
平らな岩の上に座り、ストレッチの続き。
訓練や演技とは違って、本気でダメージを与える打撃は身体にかかる負担が大きい。
(とはいえ、鍛えられてる感じはするから、ありがたい)
(ヤラレ役つっても、その役こなせるだけの力は絶対に要る)
守山は深い緑の眼に力を込めて、地面にペタンとつくほど深く上体を倒した。
「うげ、軟らかすぎ。女子超えてね?」
「大は小を兼ねるっつーか、本物になるためにはそれ以上の素質がなきゃ上手くいかねーの」
「……兄貴ってもしかして変態?」
「せめてアクションバカって言え」
自分で言っておいて、それでいいのかとセルフツッコミを思う。
泳ぐのにも飽きたらしいラゼルが、不意にお湯の中で立ち上がった。
とろみのある液体が褐色の肌をゆっくりと伝い、流れ落ちていく。
湯気の中で無駄にエロティックに映えるラゼルの肉体を見て、守山は口の中で小さく舌打ちを吐いた。
「つーか、ブーメランなんだが」
「ブーメランが何? なんの話?」
「なんでもねー」
低い声で返す視界の隅に、褐色肌の豊かな胸筋がチラチラ映る。普段からほぼ上裸のような格好でいるラゼルの引き締まった肉体は見事なものだった。際立って隆起しているというわけではなく、均整の取れた程よい締まり方。腹筋は綺麗に割れているし、腰まわりから下半身にかけてはキュッと絞られていた。
なにより、その肉体を際立たせる――身長。
無謀を思いつつも立ち上がる。
少なく見積もっても差は二十センチ以上あった。守山は何度目か分からない盛大な溜息を吐く。
「兄貴、姿勢悪くなってんよ! 胸張って立派なおっぱい自慢しちゃって!」
「おっぱいじゃねーわ、アホ!」
――ドゴォン、と。唐突に上がる破壊音と水しぶき。
一瞬、モンスターの襲撃を疑うも、ラゼルの持つウィンドエッジはしっかり布に包まれているし、アウロラの持つ虹剣イリスにしても条件は一緒だった。
守山は緊張を走らせた身体から力を抜いて、音がした方へと視線を向ける。
どうやら地雷だったらしい。
守山はアウロラの小ぶりなバストサイズを思い出そうとして、戒めを込めて打ち消した。
「なに、なにがあったの?」
ひとり状況を理解できていないラゼルが、守山の肩を掴んで背後に隠れている。
首筋に触れる濡れた髪が鬱陶しい。守山は鼻先を寄せるラゼルを追い払うように掌を振った。
「お姫様もいろんな悩みがある年頃なんだろ」
「なんだあ、お嬢ちゃんか。俺の見立てでは5年後に期待なんだけど、兄貴的にはどう?」
「俺を巻き込むな。こんなに早く二回目の死を迎えたくねえわ」
第二波を食らったらしい地面が不気味に揺れ、水面がザワつく。
守山は肩にあごを乗せているラゼルの額を指で弾き、腰にタオルを巻いた。
「……なあ、兄貴」
「んだよ。あんたもさっさと服着ろ」
ほんのわずか、息を呑む音。
ツゥ、と。柔らかい動きで指先が背中をなぞる。
爪で古傷を引っ掻かれて、彼の意図を察した。
「痛そうだよ」
守山はヒクッと肩を揺らして、そっと息を吐く。
以前、アウロラにも指摘された背中の傷。役割上、背中から落ちたり、斬られたりすることが多い。傷だらけなのは必定だった。
「別に、どの傷ももう痛かねーよ」
むしろ最近の戦闘でついた打ち身の方が痛むくらいだ。
わずかに首を傾けて、黙ったままでいるラゼルを見上げる。ラゼルは髪と同じサンドベージュの眉尻を下げて、琥珀の瞳を潤ませていた――まるで、別の誰かを映すように。
守山は両手を挙げて背中を反らす。ラゼルはビクッと身体を跳ね上げ後ろに退いた。
「……とりあえず、さっさと出ようぜ。アウロラを待たせると、さっきのパンチがボディに向くぜ」
「うわ、それは勘弁だわ」
傍らに移動したラゼルは、手早く衣服を身に着け始める。
下着を引き上げる手元。彼の中心部にある立派な象徴が目に入る。
そこでも敗北感を覚える自分に、守山は小さく舌打ちした。




