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守山一路はヒーローになれない  作者: 依近
【番外編】ラゼル外伝
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【番外編・ラゼル外伝】風の呼ぶ声⑤



 腕を引っ張られて腰を上げた地面がガクンッと大きく揺れる。

 腐った果実のような酸い匂い。低い咆哮。背筋を寒気が駆け抜ける――仲間を食ったモンスターだ。


「フウ……フウ……!」

「大丈夫だ! 俺についてこい!」


 肩越しに振り返りながら叫ぶフウに、ラゼルは涙声を喉奥に押し込みながら頷いた。

 死が、現実のものとして目の前に在る。

 これまで他人の命を奪うことをなんとも思っていなかったのに。ナイフをチラつかせた先、顔を真っ青ににて震える人の顔が、脳裡にいくつも浮かんでは思考に貼り付いていく。


「ぅあ……あ……あぁ……」

「ラゼル! 止まんな! 余計なこと考えてんじゃねえ!」

「ひ、ぅ……っ、フウ……フウ、おれ……」


 フウはラゼルに聞こえるほど大きく舌打ちを吐く。そして肩越しに振り向いた顔がラゼルの手元で止まり、硬直した。


「おま……それ、なんでまだ、持って……」


 フウの足が、止まる。

 褐色の肌は徐々に色を失い、青白くさえ見えた。

 ラゼルは涙の乾ききった瞼をパチンと瞬く。固く握りしめたままの左手が、重かった。

 風に乗って低い咆哮が聴こえる。ラゼルは引きつる音を立てて喉を鳴らした。


「こ、これ……カシラに、渡せって……わたせ、なかったから、それで、おれ……」


 震える拳の下で、金属が微かに鳴く。

 フウはラゼルの手に飛びつくようにして麻袋を掴み、砂の上にそれを投げ捨てた。

 ラゼルはビクリと肩をすくませ、その場にくずおれるように膝をつく。

 フラフラと揺れる頭を、フウの大きな掌が掴んで地面に押しつけた。


「掘れ!」

「へ……?」

「ナイフ持ってんだろ? それ使って、出来るだけ深くだ! 早くしろ!」

「ひぅ、あ……あぅ……」


 まともな返事もできないまま、ラゼルは腰を探り、そこに差した投げナイフを手に取る。

 刃先を垂直に砂地へ向け、深く刺さるように突き立てる。

 砂で覆われた地面は思ったような手ごたえが返ってこない。ラゼルは喉を震わせながら、何度も、何度も砂を掻いた。


「あ、フウ……これ、上手く、できない……」

「泣きごと言ってんな! とにかく掘れ……!」

「うぅ……」


 フウも膝をつき、ラゼルが掻きだす砂を避けてくれる。ようやく固い地盤に刃が当たり、そこからは夢中で土を掘った。

 掘って、掘って。幼い頃盗みに入った富豪の屋敷で、地下に隠された宝物庫を見つけた時のことを思い出していた。

 掘り当てれば、楽になる。笑って明日が迎えられる。

 暗闇も、当てのない作業も。その先に希望を見ることができたのは、いつもフウが道を示してくれたからだった。

 今も、掘り進めた先に希望がなくても、フウが「やれ」と言うだけで奮い立てた。

 自分の腕がすっぽり収まる深さまで掘り進めたところで、ラゼルは深く息を吐く。

 ナイフを握った手には血が滲み、ほとんど感覚がない。生温い血で滑って取り落としそうになる刃を指先に引っかけて、ラゼルは汗にまみれた顔を上げる。


「フウ、これくらいで……」


 勝手に閉じそうになる瞼をゆっくりと押し上げる。

 風の音が、重い。

 見開いた目に映るフウは、静かに口角を上げた。


「はや、く……隠せ、それ……俺の身体で押さえてるうちに」

「ん、な……あ、フ、ウ……」

「いいから! はやく!」


 怒鳴られて、身体が跳ねた。ラゼルは前につんのめるようになりながら、掴んだ麻袋を穴の中に落とす。周囲に積もった土や砂を一緒くたにしてかき集め、麻袋の上に積み上げた。


「いいぞ……大丈夫だ。そのまま、全部埋めろ……大丈夫、見つからない」


 繰り返し囁かれる声は、何度も耳元で聞いたのと同じ調子だった。

 追手に怯えるラゼルを物陰に引き込み隠して、何度も言い含めた台詞。

 鼓動はうるさく内側を叩くのに、その声が届くたび安堵してしまう。視界が滲んでくる涙でぐちゃぐちゃに歪んだ。

 掘った穴を埋め終えた時、正面にいたフウの身体がグラリと傾ぐ。


「フウ……!」


 白い砂をじわり染めていく赤。背中から腹まで、鋭い爪が深く貫いた身体。

 覗き込んだフウの緑眼は暗く、光を失いかけている。


「背中に、毒……仕込んでたんだ。だから、モンスターはしばらく動けない……でも、そんな長くは効かない……」


 ラゼルは喉を震わせ、頭上を見上げた。

 見上げたこともないほど遥か頭上。黄金の瞳孔を血走らせ、カッカッと短い呼吸を吐きながら痙攣している紫の鱗の巨大なモンスター。

 ラゼルは上げかけた悲鳴を喉奥に押し込んで、再びフウの口元へと身体を沈ませる。


「俺の身体、穴の上に置いてけ……念のためだ」

「な、に言って……フウも、いっしょに」

「お前は本当に、バカだなあ」


 血だまりを広げながら、フウは笑う。


「いつもふんぞり返ってるカシラが、迎えに行くとか……伝令もないのに『近づいてる』とか……おかしいことばっかで」

「フウ……もう、しゃべらないほうが……」


 暗い色に染まった緑眼が上を向く。ラゼルを見る眼差しは、いつもと変わらない。

 だから余計に、鼻を突く鉄の匂いが内臓を掻きまわしてくる。


「……だな」


 砂を吹く唇の傍で、濡れた砂がわずかに動く。


「早く隠せ、ラゼル」


 目尻を窄めて、フウは笑った。


「ちゃんと、穴の上だ」


 地面に力なく落ちた腕の先で、指先が微かに動く。

 サンドベージュの髪をかき混ぜる掌を幻想して、ズシリと背中が重くなる。

 何かに憑かれたように、ただ頭を強く振る。

 フウは弱い呼吸が漏れる喉を鳴らして笑い声に似た音を立てる。


「お前まで食われちまうぞ?」


 影が揺れた。反射的に見上げた先で、黄金の瞳孔と目が合う。

 喉元までこみ上げる悲鳴。竦む身体。恐怖と絶望を確かに感じながら、それ以上に強く湧く欲望に嫌気が差した。

――逃げたい、と思っている。


「……もう行け、ラゼル。逃げろ。お前の脚ならいける――行け!」


 見透かすように、叫ぶ声。フウの血で濡れた爪が、ゆっくりと震えながら持ち上がる。

 左耳のピアスを掠めて、重く、揺れる。


「あ、あ……ああ……あ」

「行け! ――ラゼル!」


 こんな時でさえ、自分の意志で動けない。

 ラゼルはグッと唾を呑んで喉を鳴らして、フラつきながら立ち上がった。

 乾いた風に濃く混じる酸い匂い。鉄の香り。すべてを失った掌に、握った刃の感触だけが痺れとして残っている。


「――フウ」


 唇を引き結び、駆けだした。モンスターの咆哮が聞こえないほど、遠くを目指して。

 耳を掠める風に背中を押されるように、呼ばれるように。

 止まれない足を、動かし続けた。


《ラゼル外伝・END》

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