【番外編・ラゼル外伝】風の呼ぶ声④
夜が急に戻ってきたように、一気に影が落ちて周囲が暗くなる。
思考はじれったいほどゆっくり動いて、目に映るものが音と色を失い、現実味を欠いたまま視界が流れていく。
バサードに乗った仲間は、懸命に手綱を操り逃げ出した。
甲高い叫びが響いた後で、幾重にも重なる悲鳴。肉を裂く音、潰れる音。
地面の振動が大きくなる。地鳴りか、足音か、区別もつかない。
「――走れ!」
誰かの叫びで、ラゼルは金縛りから解けたように身体を跳ね上げた。
茂る樹々に背を向けて、トップスピードで駆け出す。
身体を反転させる、一瞬。黄金の瞳が視界を掠めた。
まともに目を合わせなくてよかった。目を合わせてたら、呼吸と同時に足も止まっていただろう。
背後からいくつも悲鳴が響く。樹々はなぎ倒され、土の匂いが濃く香った。それ以上に、生臭い匂いが鼻の奥を突き上げ、吐き気がこみ上げる。
「うっ、ぐ……」
足がもつれて、地面に倒れ込んだ。傍らで鋭く地面が抉れる。
「……っ……!」
人の頭だった。
「おい、そこの!」
呼ばれて、反射的に顔を上げる。
顔面を真っ赤に染めた仲間が、ふらつく足取りで近づいてきた。
ラゼルは半泣きのままゴクンと唾を呑み下し、仲間の元へ駆け寄る。
「これ……カシラんとこ、持ってけ……はやく」
それだけが聞き取れた。ラゼルが頷く前に、視界が赤く染まる。
口腔から溢れる血。グルンと回り上を向く瞳孔。ラゼルは受け取った麻袋を握り締めて、思わず身を引いた。こすれ合う金属の音が、微かに耳底を打つ。
仲間は喉奥からうめき声を漏らし、そのままドゥッと前に倒れる。
背中が青黒く変色している――毒だ。
彼が歩いてきた方角に目をやると、同色の液体が点々と地面を汚している。
直視しないよう、慎重に。視界の端に確実に〝在る〟気配を探る。
何かを咀嚼する音と、低い唸り声。
ラゼルは麻袋を強く体に押し付けて走り出した。
もつれる脚を何度も叱咤して、がむしゃらに進む。周囲に人の気配はない。肩越しに振り返って見ると、巨大な影はまだ遥か遠くにいる。
(俺が、俺が、これを届けられれば……)
頭の血管が切れるんじゃないかと思うほど、必死で脚を動かす。何度もつまずき、転がりながらも舌打ちを吐いて立ち上がった。
(カシラんとこ……これさえ渡したらきっともう、逃げていい)
(早く、はやく……はやく!)
「は……はぁ……ぅ、は……はぁ……」
疲労に震える足は、鉛のように重かった。まるで泥の中を進むように身体を前に押し出す。
喉が干上がり、脚の筋肉も疲弊しきった頃。ようやく、盗賊団のベースにたどり着いた。
入口に、見慣れた巨体が立っている――カシラだった。
「か……しらあ……」
擦り切れた喉で呼ぶと、カシラが底なしの穴のように暗い目で見下ろしてくる。
そういえば、目の前で絶命した仲間の血を拭ってさえいなかった。
ラゼルは緩く拳を握ったで顔面を拭い、麻袋を掲げる。
「カシラぁ……取ってきました……取って来たんですよ、これ……!」
上下する肩。干上がった喉は、声を搾り出すだけだけで擦り切れ痛む。
ラゼルは高く麻袋を掲げたままで、深く頭を垂れた。影が濃く、ラゼルの身体を覆う。
ヌッと手が伸びる気配。同時に、カサカサと乾いた音が耳を掠めた。
影が、不自然に傾く。ふと地面に向けた視界に太い腕の上を這うサソリのような影が映る。
「……へ?」
「――ラゼル!」
鋭く呼ぶ声に、反射的に身を引いた。風が鼻先を掠め、青い体液が飛び散り触れた砂が焼けてジュウと微かな煙を上げる――モンスターの体液。
「ひ……っ」
あごが砕かれ白目を剥いた見たことのない生き物。裂けるほど開いた口からは青黒い体液が絶えず吐き出されていた。
「こいつ、人の頭に寄生して、人間を操るんだ」
「……フウ」
逆光になった影の中。鉄のパイプを手にしたフウが肩で息をしている。
パイプの先は歪んで折れ曲がり、モンスターが吐き出しているのと同じ色の体液が付いている。
「あや、つるって……じゃあ、カシラは……宝、取って来いって命令は……?」
フウが奥歯を噛む音がここまで聞こえるようだった。それほどまで痛そうに表情を歪めたフウは、パイプを捨ててラゼルの方へ一歩踏み出す。
――瞬間。フウは表情を固くし、一気にラゼルとの距離を詰めて手首を掴む。
「――逃げんぞ!」




