【番外編・ラゼル外伝】風の呼ぶ声②
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低く沈み込み、筋肉のしなる音を聞く。膝裏を伸ばして、深呼吸。全身を血液が巡る。
一瞬、息を止めて。次の瞬間、鋭く吐き出す。
遠くから風にのって聞こえる声を合図に駆け出した。
高速で流れる空気が耳の傍を抜けていく。ぐんぐん迫る視界はあえて直視しないように。眉間に力を入れて前を見据えた。
「おい、速いの!」
仲間の声。手元に向かって放り投げられる布袋をキャッチし、小脇に抱える。
腕の振りが小さくなる分、足の筋肉を叱咤して地面を強く蹴った。
背中に薄っすらと感じていた喧騒がフッと離れ、遠ざかっていく。
ラゼルは肩越しに背後を振り返り、うなじで揺れるサンドベージュの髪の向こうに砂埃が上がっている。
けぶる視界の中に見え隠れする同じ模様が刻まれた服。
ラゼルはそっと口角を吊り上げて、羽織った上着の縁を強く握った。
風に乗って、鉄の匂いが届いた。同時に悲鳴と、笑い声が重なる。
暴力と、略奪と、殺戮。笑いながら逃げて、生きる。耳や首元で跳ねる誰かから奪ったアクセサリーも、もともと自分のものだったかのように馴染んで軽い。
光が揺れる瞳を見開いて、けぶる視界の中をがむしゃらに駆け抜けた。
「ラゼル」
小さく呼ぶ声に、ニィと吊り上げる口元。視界の端に映る掌に目掛けて、地面を蹴ってダイブする。
「う、わ……っ! ……おい」
窘める声と、微かな笑い声。折り重なるようにして倒れた相手の胸板の上で顔を上げ、ラゼルは人懐こく笑いながら首を傾けた。
「フウ」
成長した緑眼を細めて、フウは呆れたように笑う。ヘアバンドは幼い頃のまま。あの頃はサイズが合わず何度もずり落ちていたけれど、今はぴったり嵌まっていた。
フウは笑顔を消して、ラゼルの頭を腕に抱き込む。厚い皮膚の奥で脈打つ鼓動を聞きながら、傍らを駆けていく足音を息を殺してやり過ごした。
やがて、頭を抱えていた腕の力が緩む。
「行った?」
「ああ、たぶん」
「シャァ、今回も上手くいったな!」
「誰のお陰だ?」
問う声に琥珀の瞳を上向けた。フウは片頬を上げて、野生の獣を思わせる笑みを浮かべている。
「俺の足と、フウの隠れる技のお陰!」
「ハハッ、分かってんじゃねえか。いい子だ」
豪快な笑い声と、サンドベージュの頭をかき混ぜる掌。
ラゼルは抱えていた包みを開き、盗んできた貴金属をフウと分ける。
「これ、フウに似合いそう」
「んな高そうなのはやめとけ。カシラにバレたらドヤされんぞ」
「うー……じゃあ、こっち?」
「うん。それぐらいのがいいだろ。つけてやるよ」
赤い宝石が嵌まった銀の耳飾り。フウはそれを指先に引っかけ、ラゼルの耳に手を伸ばす。
いくつも空いたピアスホールを避けて、まだ穴が空いていない皮膚に躊躇なく針を刺した。
貫通する一瞬の痛みと、皮膚を流れてく生温い血の温度。ラゼルは淡い息をつき、頭を振って耳飾りを揺らした。
「フウにもつけてやろっか?」
「やだよ。お前下手くそだし」
べぇと舌を出したフウの視線が頭上を向く。穴の中にいる二人の上に、首の長い生き物の影が差した。移動に使われる大型鳥類――バサードの群れ。胴体に跨った盗賊団の仲間が、呆れた調子で呼びかける。
「お前らいつまでじゃれてんだ。とっとと撤収すんぞ」
「イエッサー!」
声を揃えて返事をして、地面から這いだし、鳥の尻尾を追って駆け出した。
チリチリと皮膚を焼く乾いた空気。最近また、さらに気温が上がったように思う。
先頭を走るバサードが暴れて、振り落とされそうになった仲間の男が声を荒げていた。
耳を掠める風の音がモンスターの咆哮のように聞こえ、背筋がブルッと震える。
(最近、なんか変だ。でもそんなん、どうだっていい)
(周りがどうなったって、ここで生きられんならそれで)
ラゼルはひとつ大きく頭を振って、口角を上げた。
どこまでも走れそうな脚。身に着けたアクセサリー。隣を見れば、フウがいる。
それだけが、ラゼルの世界のすべてだった。




