【番外編・ラゼル外伝】風の呼ぶ声①
頭蓋を揺さぶる衝撃が、止んで。
皮膚の下からジンジンと響いてくる痺れ。
頭を掴んでいた指先を解き短く息をついた。
「……いってぇ……」
自分の声を聞いて。両腕を地面に投げ出し、空を仰ぐ。
腫れているせいか半分閉じた視界に、軽そうな雲が流れていった。
遥か高くに抜ける青と、鼻先を掠める乾いた風。指先をわずかに曲げるだけ、全身に伝播していく痛み。
ああ、生きてんなあって。
「おーい、生きてるか?」
背景に広がる青との隙間に入り込んできた丸く見開く緑色に、ラゼルはそっと目を細める。
「……ちょうど今それ考えてたとこ」
顔を覗き込む二歳年上の少年――フウは、緑色の目を数度瞬いて顔をしかめた。
「そんなボーっとしてるから目つけられんだぞ? ほら、立てるか?」
差し出されたフウの掌を見つめる。褐色の肌と、火傷や切り傷が残る腕。
見慣れた跡にはもはや同情すら沸かない。それよりも、今しがた生傷が追加された自分の方が重傷だから。
ラゼルはフウの手を掴んで起き上がり、そのまま背中を丸めて溜息を吐く。
「んで? 今日はなにやらかしたんだ?」
項に触れる乾いた感触。麻袋らしく、チクチクする。
ラゼルは手を伸ばして麻袋を掴んだ。袋の口を開くとドライフルーツの濃く甘い匂いがした。
「やらかしたとかじゃない。……えらそうなやつの名前、覚えてなくて。テキトーに呼んだら怒られたってだけ」
袋の中身を掌に開け、膨らませた頬に摘まんだ干しブドウを放り込む。
唾液で柔らかく解けていく果実。口の中に広がる鉄の味と混じって、あまり美味しくはない。
「ああ、お前バカだもんな」
「うるひゃい」
ガチンと噛み合わせた歯が鋭い音を立てた。
鉄の味がする唾を呑み込んで、口直しにもうひとつ干しブドウを放り込む。
「名前おぼえろっていうけどさ……だれも、おれの名前おぼえてくれないじゃん」
窄めた口の中で干しブドウがすり潰されていく。甘さを拾って、舌に塗り付けて。そっと自分で自分を慰める。
「まあそりゃ、それなりの働きしないとだめだろ。お前逃げてばっかりじゃん」
「うっ……」
フウの言葉が胸を詰まらせ、ラゼルはまだ味わえた果肉を無理やり呑み込んで喉を通した。
余韻だけが残る舌の上。ザラついた欠片を拾って、コクンと喉を鳴らす。
力なく垂らした指先は、血が通っていないように冷たかった。
吐き出す溜息と一緒に、弱っちい声がこぼれる。
「だって、怖えよ……なんもしてなくも怒るじゃん、みんな」
「そういう立場だもん、しゃーないって」
サンドベージュの頭を掻きまわす掌。髪の間に入り込んだ砂が星のようにパララと散った。
ラゼルは眉尻を下げ、琥珀の瞳でフウを見上げる。
「フウ」
呼んだ瞬間、フウの緑眼が丸く見開く。
フウは不意にずれたヘアバンドを掌底で押しあげて、執拗に瞬きした。
「お前、俺の名前は覚えてんだな」
ラゼルはムッと唇を歪めて頬を膨らませる。
「だって、フウが初めてだから」
「なにが?」
「呼んでくれたの――おれの名前」
一瞬、息が止まる音。
緑眼が宙をさ迷い、何かを言いかけた唇が開いては閉じるのを繰り返した。
ラゼルは小さく唇を尖らせ、大きく首を傾ける。
「俺は、まあ……そういうの得意っつーか……」
フウは口の中でもごもごと並べていた言葉を、最後まで言わずに呑み込んだようだった。
一度深く頭を垂れて。ヘアバンドで留めた銀髪を揺らし、上体を起こす。
「いいこと教えてやるよ――ラゼル」
ニッと歯を見せて笑ったフウは、ラゼルの肩に腕を回して引き寄せた。
銀のピアスが揺れる耳元に囁きかけられるとっておきの秘策。
「名前なんて覚えなくていい。年上のやつらは全員――兄貴って呼べばいいんだよ」
そんな単純なことで、その日からラゼルの日常は格段に息がしやすいものになった。




