第16話・追跡②
つぶやく声を決意にして、口布をキュッと結ぶ。その場で軽くジャンプした守山は、着地と同時に砂を蹴って駆け出した。
乾いた風が頬に当たる。肌の水分を奪うような極端に低い湿度。進むごとに、風に混じる砂の量も増えていく。
棄てられた武器が土地の性質を変える。アウロラに聞いた話が脳裡を過ぎり、現実味を帯びた理解が胸に落ち着いた。
武器の持つ力と、魔族の暴力に侵蝕された世界。
力は脅威を引き寄せるものとして忌み嫌われる。
(ヒーローが生まれないわけだ)
冷静に、胸の内でそう呟いていた。
それでも脅威はあって、生き抜く中で耐えて。助けが現れれば歓声が湧く。
肌で感じた実感があるのは確かだった。それだけで、信念を持って走り出す理由になる。
(なにより、アウロラが願ってる)
細い腕に最強の剣を抱いた少女。家族を亡くしてから、彼女が剣を振るえるようになるまでの覚悟を思うと呼吸が苦しくなる。
(俺が絶対、ヒーローにする)
口を大きく開いて、詰まる息をハッと強く吐き出した。
濃く視界を覆う砂埃の向こうに、ポツンとひとつ座り込む影を見つける。守山は大きく目を見開いて、口布の内側で緩く口角を上げた。
褐色の肩に掌で触れて、見上げてくる琥珀の瞳を笑って見下ろす。
「バテてんじゃねーの」
「……っるせ……あんた、しつこすぎ。どこまで追ってきてんだ」
ラゼルは半分瞼を降ろした瞳で元来た方向に視線を向けた。
濃い砂埃に覆われて、集落の影は見えない。
「まあ、持久力は基本だからな。あと五時間走っても息切れしない自信あんぜ」
「化け物かよ」
「あんたもスゲー足速いじゃん」
肩から手を離して、守山はラゼルの傍らにしゃがむ。同じ高さで視線を合わせると、ラゼルは拗ねた子供ような表情を見せた。
「足速いのだけが取り柄だから」
「ふーん。けどそれ、いつもどこに向かって走ってんだ?」
ラゼルは続けかけた言葉を止めて、日焼けした喉を鳴らした。琥珀の瞳に困惑が揺れる。
「目的なんかねえよ。逃げきれたら勝ちだから」
「はぁ、……使えないな」
「あ?」
眉間に深い皺が寄り、髪と同じ色の眉がグンッと吊り上がる。噛みつく勢いのラゼルを両手を振って宥めながら、守山は苦笑交じりに答えた。
「いや、悪い。別にあんたを使うって話じゃなくて……目的もなく駆け抜けるだけなら、カメラから見切れんだろ?」
「……は?」
ラゼルの表情がより濃い困惑に染まった。無理もない、と反省しつつ、守山はよりしっくりくる代わりの言葉を探す。
「ごめん、こっちの話だ。けどさ――どこも目指さないで走るの、嫌じゃねえか?」
喉の鳴る音がする。
ラゼルは完全に勢いを収めて、口の中で小さく言った。
「……そりゃ、まあな」
「だったらやっぱり、顔上げて、目指す場所見据えて走る方がよくねえか?」
「目指すって、いったいどこをだよ」
独り言をつぶやくように、ラゼルは言う。一面を覆う砂埃。走ってきた足音も風に掃かれ、砂を被ってひとつも残っていない。投げやりな言い方は、彼がその残らない足跡に自分の人生を重ねているんじゃないかとなんとなく思った。
守山は改めてじっとラゼルの服の柄を見る。やっぱり、モンスターの腹の中で見た服の柄に似ている。
事情を聞こうと、一瞬口を開きかける。けれども、躊躇って閉じた。
聞いたところでなんになる。
守山はひとつ息をついて、疑問の答えを口にした。
「でもさ。走り抜けて逃げ切っても、ただ息切れしてこうやってひとりでいんのはやっぱ……寂しいだろ」
ラゼルの琥珀色の瞳が守山を見上げる。
目線を上げられるなら、きっと大丈夫だろう。
守山はラゼルの肩を叩いて、彼に背を向けて元来た方向へと足を踏み出す。
「んじゃな。真っ当に生きろよ」
「……って、なんだよ、行くのかよ。なんのために追っかけてきたんだよ?」
「ん? まあ別にいいだろ。お節介焼いて悪かったな。あんたは自分で行く道見つけろよ。見つけたら、全力で走れんだろ?」
振り返り、歯を見せて笑いかけた。濃い砂埃のせいでラゼルの表情は見えない。
「あとこの辺、魔族が集まりやすくなってるから、襲われねえように気をつけろよな!」
大きく手を振って駆け出した。
ひとり残ったラゼルは、座り込んだままで守山が去って行った方をしばらく呆然と見つめていた。
「……旅のやつが、偉そうに。この辺の土地のことなんてアホほどよく知ってるっつの」
吐き捨てて、ポケットを探る。銀貨が三枚。
「……取り戻しにきたんじゃねーのかよ」
ポツリとこぼしたつぶやきは、砂混じりに風に運ばれて、誰にも届くことなく掻き消えた。




