第14話・守るべきもの
生まれたての朝陽が地平線を割り、早朝の白っぽい空が青く染まる頃。守山は飯屋の床で目を覚ました。
「朝か……」
硬い床で寝落ちたせいであちこち痛む身体を伸ばし、寝起きの眼を擦って周囲を見る。
守山の周りだけ、不自然になにもない。
と、言っても。昨日飲み食いした食器はそのまま残っている。移動させたテーブルや椅子も不自然に一か所に集まったままだが、熱だけがごっそり消え失せていた。
「あいつら、どこ行った……?」
ラゼルと取り巻きの女たちがいない。
守山が頭を掻いている間に、店主が溜息を吐きながら傍にやってきた。
「やられたよ」
「え? まさか、食い逃げか?」
店主は肩を落として神妙に頷く。守山は漏れかけた舌打ちを呑み込んで、店主の背中をポンと叩いた。
「まあ俺も一緒になって飲み食いしたから、あいつらの分も払うよ」
「そうかい? 悪いねえ兄ちゃん」
「困ったときはお互い様だって」
守山は巾着に手を伸ばして、中身を掴む。
掌に乗せた銀貨を数えて店主と値段交渉しながら、守山は頭に違和感を覚えて密かに顔を顰める。
「モリヤマ」
飯屋のドアが開き、アウロラが顔を覗かせた。
昨夜は一向にお開きなる気配のない酒宴に愛想を尽かして、先に宿屋に戻っていた。
アウロラは守山と一緒にいる店主に頭を下げてから、軽い足音を立てて近づいてくる。
「どうかしたの?」
「んぁ……昨日のやつらが起きたらもういなくて……」
「それで、あの人たちの分の食事代立て替えてるの? あなたバカなの?」
「うっ……まあほら、な。困ったときはお互い様だろ?」
「その理屈、悪人にも通じるわけ?」
「悪人って、なあ……」
守山は苦笑しつつ、巾着の口を搾った。全額は請求してこなかった店主に礼を言いつつ店を出る。
「散々飲み食いして、代金も払わないで出て行くなんて、悪人のすることじゃない!」
「まあ確かに。金払わないのは良くないな」
「でしょ? っていうか、なんでこんな当たり前のこと言ってるのに歯切れ悪いわけ? あいつに何か弱みでも握られた?」
「発想が物騒だぜ、お姫様。そんなんじゃねえけど、なんか引っかかるんだよな」
「モリヤマ、人が好すぎるわよ。そんなんじゃこの先も痛い目みるんだから」
守山は無言でアウロラを見る。勢いづいていた矛先を折られたからか、アウロラはムッと唇を噤んで言葉を収めた。
「……なによ」
「なんつーか、殺伐としてんだなって」
「当たり前じゃない」
形の良い眉尻が下がる。紅玉石の瞳に涙の膜を揺らして、アウロラはそっとため息を吐いた。
「国の形なんてとっくに崩壊してる。みんなその日を生き抜くのに精いっぱいで、辛うじて残ってるコミュニティだって維持するのも大変なんだから。指くわえて待ってても誰が面倒見てくれるわけじゃないし、信じてついていった人に騙されることだってよくあるんだもの。モリヤマみたいなのが特殊なのよ」
アウロラの言うことは真実なのだろうが、守山にとってはなかなかピンとくる話ではなかった。
もといた世界との違いは十分肌で感じている。当たり前に属していた「国」が「無い」という状態は経験したことがなく、想像もできないが、まさにアウロラの言う通り「人ひとりが自分の面倒を見るだけで手いっぱい」という状況はなんとなく感じている。
それでも、なんとか生き抜きようがあると考えられるのは楽観的すぎるのかもしれないが、悲観しても仕方ないだろうとは思う。
――だが、それも。
「まあ俺は今、身軽だからな」
「身軽?」
元の世界でトラックに跳ね飛ばされて、すべてが終わったと思った瞬間。
それまでしつこく絡みついていた悩みや執着が、バラバラと千切れて解けていくのを感じた。
それを未練に思わないと言えば噓だけれども。
「守るべきものがないから」
ヒクン、と。傍らにある細い方が震えて跳ねた。迷子の子供のように途方に暮れた色を瞳に浮かべるアウロラ。守山は取り繕うでもなしに、アウロラの瞳を覗き込んで重ねる。
「だから、あんたを全力で手伝えるんだよ」
ニッと歯を覗かせて、全開の笑顔を向けた。アウロラの表情から不安の影が引いていく。白い頬に赤みが差して、下がっていた眉尻の角度がふわりと持ち上がった。
「……うん、ありがとう」
守山はアウロラが見せた笑顔にもう一度笑いかけて、天に両手を突き上げて伸びをする。
「ん。じゃあさて、今日も稼ぐかあ!」
「あれ、討伐依頼来てた?」
「いんや。今日はあれだ、昨日のデカブツの解体処理の手伝いな。人手が足んねーんだとさ」
「それなら、わたしも役に立てるかも!」
「あんた意外とグロいの平気だよな……尊敬すんぜ」
心なしか胸を反らし、得意げな表情を見せるアウロラを横目で見つつ。昨日モンスターを追い詰めた広場へと向かう。
そこにはもう人々が群がっていて、腐敗臭のする肉を細かく切り刻んだり、肉と骨を分けたり、内臓を取り出したりしていた。稀に胃の中から価値のあるものが出ることがあるらしく、人々はしきりにモンスターの内臓を覗き込んでいる。
「あんたが、ってより、この世界の人にとったらグロ耐性なんざ標準装備なのかもな……」
守山は耐え難い悪臭に曲がりそうになる鼻を摘まんで密かにぼやいた。
人々の表情はグロテスクな内臓よりも、そこから取り出される金貨や宝石などの財宝に向いている。我先にと手を伸ばし、血まみれになって奪い合う様は見ていて気持ちのいいものではなかった。
「なんか、当たり? ってやつっぽいなあ……どんだけ人食ったんだか」
「それか、特別裕福な集落の人でも食べたのかもね」
「裕福……ねえ……それか、あるいは」
「モリヤマ?」
今朝の食い逃げ。次々と見つかる財宝。同じ柄の服。守山は目を閉じて、昨夜のラゼルとの会話を思い返す。
思考の中で繋がった一本の線。ふと浮かび上がった確信に、小さく頷く。
「ごめん、アウロラ。俺やっぱあいつのこと探してみる。あんたはここにいてくれ」
「え? ちょ、待っ……ねえ、モリヤマ!」
アウロラの声を背後に聞きながら、守山は人の間を縫って走り出した。




