第13話・ラゼル
微かな唇の動きを、守山は見逃さなかった。
大股で男に近づき、肩でふわふわ揺れる布を掴み上げ、鼻先を寄せて睨め上げる。
「肌ピチピチで若く見えて悪かったな? 俺はあんたよりかなり年上なんだよナメんなこのクソガキ」
「え、マジ? お兄さんなわけ? いくつよ?」
「32歳だ」
「うわ、だいぶ上じゃん。いろいろ話聞きたいなあ、一緒に飲もうよ!」
一瞬キョトンとした顔をしたかと思いきや、急に人懐こい笑みを浮かべる男。呆気に取られている内に、すぐに席を空けさせて守山の場所を確保してくる。勢いに押されるままに座ると、すぐさまグラスを並べて肩を抱かれた。
「俺、知らない人と話すのすっげー好きなんだよねえ。兄貴とも出会えてうれしいよ!」
「兄貴だぁ?」
「ん、だめ? ちなみに俺はラゼル! 兄貴は?」
「……守山」
「モリヤマかあ。変わった名前だな!」
「うるせえな」
軽口を叩きあいながらも、憎めないやつだと思ってしまう。八重歯を覗かせながら上げる明るい笑い声。目尻を窄めた笑顔はまるで少年のように無邪気だった。
「出会いに、乾杯」
守山は苦笑を返し、男――ラゼルとグラスを合わせた。
テーブルの上は見る間に空のグラスが埋めていった。女たちははしゃいだ声で店主を呼び、次々に料理や酒を注文していく。
アウロラはひとり離れた席で、いらだった様子を隠すことなく二人分の食事を黙々と口に運んでいる。
「兄貴、この辺の人じゃないでしょ? どっか旅の人? いま流行りの勇者とか?」
「は? 勇者流行ってんの?」
「うそうそ、あんなのおとぎ話だけの話っしょ。魔王様なんて現れたジエンドーってね」
なにが可笑しいのか、ラゼルはサイドを囲む女たちと声を上げて笑い合う。
守山は薄いアルコールに口をつけながら、住人それぞれの価値観に思いを巡らせた。
「あんたは何してる人なんだ?」
「俺? 俺は商人みたいなもんかなあ。珍しいもん仕入れたら行く先々で売って金に換えて、みたいな。まあその日暮らしだけど」
「定住してる場所はないってことか……」
「なあに、俺の家知りたいの? 残念、家なんて概念生まれた時からねえのよ」
「あ、そ」
守山はラゼルに悟られないように小さく舌打ちをした。
ふと、食べ物に手を伸ばしたラゼルの服がふわりと揺れるのが目に入る。
衿の部分に施された、幾何学模様を組み合わせた渦巻のような紋様。守山はその柄にじっと目を据えて、何気なく問う。
「あんたの着てるもんも、どっかから仕入れたのか? それとも故郷のもんか?」
「……なんでそんなこと聞くの?」
声のトーンが変わる。ラゼルはテーブルに手を伸ばした低い姿勢のまま、上目遣いの視線を向けてくる。
守山は軽く首を傾げて、ラゼルの意味深な視線をやり過ごした。
「別に。その服、どっかで見た気がしたから」
「へえ。まあ、どこにでもある柄でしょ、こんなの」
「……そうか」
(柄、ねえ)
微妙に噛み合っていない会話。
守山は記憶の隅に違和感を留めつつ、グラスに残った氷をバリバリと噛み砕く。
「そういえば、兄貴のツレのお嬢ちゃん、放っておいていいわけ? こっちで一緒に飲まねえかな?」
ラゼルの視線はいつの間にか奥の席に一人で座るアウロラに移っていた。その瞳に好奇心が光る。
守山はかみ砕いた氷をゴクンと呑み込んでから、呆れた息を吐いた。
「まあ、来ないだろ」
一瞬目が合ったアウロラは、フンッと鼻を鳴らして不機嫌そうにそっぽを向く。予想通りの反応だった。
「そもそもあいつ16歳だし、酒飲めないしな」
「へえ、いいねえ。16歳かあ……」
「あいつに手ぇ出すなよ?」
守山の一言に、再び空気が静止する。アウロラに熱っぽい目を向けていたラゼルは執拗に瞬きをして、守山に目を向けた。
アウロラもハッとしたような表情で、咀嚼していた肉をゴクリと呑み込む。
「あれ、兄貴とあの子ってもしかして――?」
包み込む静寂。静止したままの空気の中、店中の注目が守山に集まる。
守山は緊張した空気などお構いなしに、げんなりと顔を顰めた。
「変な憶測すんなよ? あいつに手ぇだすとおっかねえぞって話」
一瞬で剣呑な表情に変わるアウロラ。長い黒髪に隠れた横顔でも分かる。アウロラははち切れんばかりに頬を膨らませていた。
さすがに失礼だったか、と反省した守山は、すかさず話題の中心をラゼルに戻す。
「ところでお前は幾つだ?」
「俺? 19歳」
引き締まった肉体と大人びた色気を帯びた顔立ち。
この容姿で十代とは、異世界恐るべし――じゃない。
守山は目を剥いて立ち上がり、ラゼル手から酒の入ったグラスをひったくる。
「……はあ!? なん、おまっ、酒飲んだらダメだろ!」
「なんでよ。兄貴の国の法律しらんけど、俺の国だと18から飲めんの。全然合法だから」
守山の手からグラスを奪い返しながら、なー? と周囲の女たちを煽るラゼル。女たちも平然と頷くので、守山はラゼルの言い分を一応呑み込んだ。
椅子に座り直しながら、グラスに注いだ水をラゼルの前に滑らせる。
「んでも、飲めるのが18歳からなんだったら酒覚えたてってことだろ? あんま無茶な飲み方すんなよ」
琥珀の目を覗き込んで言う。ラゼルは丸く見開いた目を瞬きした後で、フッと柔らかく微笑んだ。
「なーんか兄貴って、本当に兄貴みたいだ。まあどっちかっていうと親父っぽいけど」
「だれが親父だ」
「あはは。まあ俺、親も兄弟も知らないから全然適当だけどね」
「いい加減過ぎんだろうよ」
ため息交じりに返すと、ラゼルは甘えるように頭を擦りつけてきたきた。
砂混じりの硬い髪質。酔いのせいで赤く染まった耳朶を見下ろして、守山も思わず噴き出す。
弟がいたらこんななのかな、とぼんやり思う。
(けど、自分よりでかい弟とか、凹むからいらねえなあ……)
本音は胸の奥にそっとしまいこんだ。
夜も更けて、店の明かりが消える。閉店という概念がないらしい店の床には、酔いつぶれた客が寝息を立てて転がっていた。
その中でひとつ、立ち動く影。白く柔らかそうな生地の布を揺らして、長身の影が店の中を歩き回る。
影は、守山の腰にも手を伸ばした。
隙間の開いた巾着の口に手を突っ込んで、中から硬貨を抜き取る。
「……毎度あり」
小さく呟いた影は、そのまま音もなく店を出て行った。




