生死
黒の牢獄の中のシムオーベルは確かに死にかかっているようだった。体温が上がり、呼吸が浅くて速い。テレパシーによるこちらからの呼びかけにも応答はない。
― エルクリーズ、新生命宮第2室へ行って、トエラルカ用の汎用異体、借りてきて。すぐに!
成人したトエラルカ用に低い能力値で扱える特殊な成人体が開発はされていたが、それが使えるかどうかを「お試し」するためのものが汎用異体である。意識を移すことができても自分で成人体を使いこなせないほど弱い方もいらっしゃるからだ。
― なるほど、もはや幼体に戻すことも自力では難しそうですからね。これで生き延びられればいいのですが。
ウロンドロスが心配げに言う。生命維持については万全なはずの黒の牢獄の中で、元気だった人が死にかかるなどということは普通ありえないのだ。
届いた汎用異体は意識の移動をするためのシステムとセットになっていた。一時的にシムオーベルを黒の牢獄から出し、意識を強制的に汎用異体に移す。
― シムオーベル、聞こえる?
― …あー、なんだこれ? 急に楽になった。
シムオーベルは目を開けて周りを見ているが、身体を動かしたりはしない。
― ああ、ミトラ王か。カシャは片づいたかい。
― ええ、片付きましたとも。それなのになんであなた、勝手に死にかかってるの?
― 仕方ないよ、あんたらが僕を閉じ込めてたから、定期連絡が途切れて、僕は再生プログラムに乗ったのさ。
― どういうことです、シムオーベル? 再生プログラムとは?
ウロンドロスが尋ねる。
― 言ったろ、僕は父親の遺伝情報をもとにソル系人の母親が産んだんだって。向こうが僕を死んだと認めたから、もう一回同じ方法で父親の遺伝子を持つ子を産もうとしている。そうなれば、どっちにしろ僕は不要になる。だから死ぬようにできてるのさ。
― なるほど。あなたは前任者が死亡したから生まれ、今、後任が生まれようとしているから死ぬ、ということなのね。
― ああ、そういうこと。なあ、この異体、どういうものなんだい。すごく体が楽だ。
― トエラルカ用に、ごく低い力でも使えるように開発されたものよ。元気があるうちに聞いておくわ。あなたはカシャの戦争が片づいたら何をすることになっていたの?
― 僕がやることは戦争を長引かせることだけだった。
― いつまで?
― わかってることを聞かないでほしいな、ミトラ王。
― じゃ、その仕事が終わったら、次は何をする予定だったの?
― 休暇だよ。
アルシノエは一瞬黙って、シムオーベルをまじまじと見た。
― 休暇、ね。
― 同情はいらないよ、ミトラ王。聞きたいことがあるんならさっさと聞けばいい。どっちにしろ、僕の命は長くないんでね。
― じゃ遠慮なく聞くわ。あなた何回くらい過去と現代を往復したの。
― さあ、数えてない。
― そんなにしょっちゅうお母さんに会いに行ってたの?
― 勘違いしないでくれよ、ミトラ王。僕を産んだ女性は出産後まもなく僕を手放している、彼女はテレパシー能力がなかったからね。僕は最初期教育のため、すぐにリゼア人の間で養育された。母親の記憶さえないよ。
― つまり、今残っている社会構築実験チームのメンバーは、繁殖はできなくても教育はできる程度の能力は残っている、ということね。
― 繁殖はできるよ。でも生まれた子どもはその時点の親の能力しか引き継がないことがわかった。時間移動のせいで、能力値の高低差が大きくなってしまったままの状態を引き継いでしまうんだ。最悪両親の低い方ばかりを引き継いだ子供しかできない。だからどうやっても社会構築実験チームは帰れなかったのさ。
― じゃ、アルトアニザはどうなの?
― 彼女は…、あれはキメラみたいなものだったそうだ。突然変異というか、偶然の産物だったそうだよ。だから彼女は子どもを持てなかった。言い換えれば、彼女こそが社会構築実験チームの唯一にして最高の成果だったのさ。
― そうだったの。なるほどね、彼女の子孫が残っていないわけだわ。
アルシノエは納得したように、言葉を切ると、ウロンドロスにたずねた。
― この異体のまま、交易都市に戻すことはできそう?
― できますが、そんなことをしても、…。
カレハ ミズカラ シヌダケ デショウネ。
二人は目線でうなずきあうと、ウロンドロスがシムオーベルに告げた。
― この異体のまま、新生命宮第19室へ連れていきますよ、シムオーベル。異存はないですね。
新生命宮第19室というのは、新生命宮のほとんどを占めていると言っていい、広大なエリアだ。しかもここが人口惑星だとは思えないほど豊かな自然に満ちた場所である。ここが人生の終末期、死を待つための場所だからだ。
14歳の誕生日の翌日、ジェン原野に意識だけで開放されると、「幼体」と呼ばれる生まれ持った肉体は役目を一旦終え低温保管される。リゼア全人口分の幼体が、この第19室の地下で眠っているのだ。そして死を望む人々はここで自分の幼体に戻り、最期の時まで過ごすのである。幼体は数年から長くても十年くらいで老化し、死を迎える。
地上は多種多様な植物と人に害を与えない小動物が生息し、無機質なリゼアの大部分とはちがった風景を作っていた。
― ソル系を思い出すね。話には聞いてたけど、いいところだ。
― はじめてですか?
ウロンドロスは尋ねながら思い出していた。この人は、リゼアで教育を受けていない。普通なら11歳でここを訪れ、1か月のボランティアをするのが通常教育のプログラムに入っているのだ。死を必要以上に恐れないこと。死に向かう過程で起こる苦痛は科学で、不安は相互に語り合うことで解消されることを学ぶのだ。
― ほんとにこの異体、借りてていいのかい。
― 幼体に戻りたいのなら止めませんが、成人体にいるのと大差ないですよ。もっとも苦痛は薬で取り除いてもらえますが。
― そうかぁ、どうせならこの景色が楽しめる余裕がある方がいいなあ。ありがとう、ウロンドロス。
病人用のバギーを、ボランティアの子どもが2人がかりでゆっくり押していく。ふと、思い出してウロンドロスは尋ねた。
― グァダンで一緒に暮らしていた女性に、伝言があれば。
― 彼女には遺言も遺産も残してある。これ以上悲しませたくないよ。連絡なんかしないでくれ。




