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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
暗躍の軍師
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殭屍秘法

 劉備軍の本拠地公安に荊州学派の大集団が訪れ、城がにぎわっていた頃、同じ都市内にある劉備配下の住居が並ぶ区画を、真っ白い不気味な仮面を付けた背の低い男が歩いていた。

 猫背に加え、両腕をだらんと垂らしながら気怠そうに歩くのその姿は、まるで死人が黄泉から彷徨い出てきたようであり、道行く人も気味悪そうに男を避けていたが、まさか、その仮面の下に身の毛もよだつおぞましい憎悪が隠されていようとは、また、この男が劉備の軍師諸葛亮の弟であるとは誰も思わないだろう。

 そんな劉備軍にとって危険極まりない存在の均が、ふと歩みを止め、顔を横に向けた。

 その先には、周辺の家とは明らかに異なる石や土とも似つかない奇妙な材料から作られた建物があった。

 均がその家の門前に至ると、重厚そうな門が勝手に開き、さらに玄関扉まで開いて、招かれざる客を中へと誘った。


「くくっ、大したもんだね……」


 均が建物の中へと入ると、門と玄関扉は、バタン! と不躾な音を立てて閉じた。

 中は暗く、均は手探るように壁に触れると、室内はパッと明るくなった。


「すごいや……これ外よりも明るいんじゃないの?」


 野外の曇天と、屋内の照明設備を比較して一人感心した均は、建物の奥へと進み、容易に地下へと続く階段を見つけると、ニヤリと笑いそのまま降りていった。


 階下の先には広い部屋があり、何かの薬品や、薄く凹凸の無い上質の紙の束が置かれた棚や机が並んでいる。

 さらに、壁にはこの家の周囲や内部と思われる映像を映し出す板のようなものがあり、均は、自分が家主に監視されていたことを知った。

 そんな均の目的となる人物は、その部屋の隅っこにある机の上に大きな紙を広げ、複雑な線や記号を書き込んでいた。


「あら、均。あの人に殺されなかったのね?」


 家主は、侵入者に気が付くと、その長く美しい赤髪をかき上げながら、言葉の割に全く驚いた様子もなく侵入者の名を呼んだ。

 しかし、名を呼ばれた均は返事をせず、いきなり家主へ襲いかかった。

 郷里を旅立って以来、自慢の怪力で無双してきた彼にとって、非力な女を屈服させる事など、簡単な事である。

 真っ白だった仮面は、いつの間にか復讐に燃える真っ赤な憤怒の表情にすり替わり、両腕が女の細首を鷲掴みにしようと伸びる。

 だが、均の手は僅かに女には届かなかった。


「へぇ~、まさか他に男がいたなんて……」


 伸ばされた均の両手は、突如、部屋の陰から現れた筋骨逞しい男によって阻まれていた。


「月英、この男は愛人かい? 僕のいないところで……」


 均はかつての兄嫁の名を呼んだ。

 邪魔者が現れても、冗談を言えるだけの余裕がこの時はまだあった。

 全力を出していなくても、目の前の男との力は拮抗しており、見かけ倒しで簡単に制圧できると考えていたからだ。


「ふふ……馬鹿ね。いつ私がお前の女(もの)になったというの? 彼の名は趙雲。劉備様のお力で蘇った最強の兵士よ」


 月英が紹介した途端、趙雲の瞳が赤く輝き、その力が倍増する。


「な、なんだって!? ぐわぁっ、そんな馬鹿な!?」


 手をがっちりと組まれてしまった均は、押すことも引くことも出来なくなり、段々と強められていく男の握力に骨が軋み苦悶の声が出た。


「ぐぅうう……な、なんで? 此奴も僕と同じ殭屍(きょんしー)なんでしょ?」


 自慢の怪力を圧倒されて焦る均に、月英は呆れたように答えた。


「フフッ、わからないの? お前と趙雲では元の性能が違い過ぎるのよ」


 それは、生前の均が最も気にしていた事だった。

 殭屍にされてからは、屈強な男も力でねじ伏せることが出来たので、久しく忘れていた劣等感が、再び均に襲いかかる。

 冗談じゃない。

 僕は力を手に入れたんだ。

 体格差なんてものともしない凄い力を!

 もう、チビや三弱と馬鹿にされてたまるか!!

 均は激昂した。

 過去を振り払い不安を打ち消すべく、全てを怒りにまかせた。

 もう余裕を見せる必要はない。

 全力を出して趙雲の指を振り解き、その腹に蹴りを入れた反動を利用して壁際まで飛び退いた。


「馬鹿にしないでもらいたいなぁ……これでも女を殺すのは慣れてるんだよ!」


「劉備様から聞いたわ。私があの人に嫁ぐ前にいた下女の娘を殺したのよね? ふふっ……女の抱き方ひとつ知らず、殺すことでしか愉しみを得られないお子様だものね?」


「黙れぇえええええええ~」


 煽られているとわかっても、均は感情のまま月英に向かって飛びかかった。

 しかし、その行為は、無防備な側面を趙雲の前にさらけ出すことになり、次の瞬間、均の体は、くの字に曲がるほど強烈な飛び蹴りをくらわされ、薬品が置かれてある棚まで飛ばされた。


「許さない……許さないぞ……僕をあんな目にあわせやがって」


 棚から零れた液体の薬品が身体を濡らし、煙を上げるのも気にすることなく、均は立ち上がり女を睨んだ。

 自分を蹴り飛ばした男には一切の関心を持たず、ただ目の前の女だけを睨んだ。


 一年前、兄の身柄を劉備に引き渡した後、均は月英と甘い生活を送るはずだった。

 妖艶な兄嫁を自分のモノにできると夢現に迎えた初夜……


 まさか、毒を盛られ、寝台に拘束されたまま腐り果てるという惨めな肉体の死を迎えさせられることになろうとは、思ってもみなかった。

 目と鼻の先に、蘇生液の入った水槽を用意しておきながら、身体の自由を奪ってその身が朽ちる絶望を味わわされたのだ。

 初めこそ、兄への贖罪の気持ちも芽生えたが、延々と続く苦痛と変わらない状況への焦りから、次第に月英への憎悪が増大していき、心は復讐に満たされてしまった。

 幸い、兄の打算によって助けられはしたものの、均にとって、月英の背後にいる劉備の事などどうでもよかった。

 目先の事しか考える余裕のない小男にとっては、兄を助けるよりも、今も目の前で平然と生きているこの女を嬲り殺すことがすべてだったのだ。


 月英を睨んでいた均が急に俯いた。

 謎の動作に趙雲が警戒して目配せするも、月英は首を傾げて苦笑した。

 そして、均が再び顔を上げると、それまで真っ赤だった怒りの仮面が、漆黒の嗤い仮面に変わっていた。


「シャーーーーー」


 奇声を上げながら均は突撃した。

 それを阻もうと趙雲が月英の前に出て壁となり、肉薄する魔物を迎撃しようとするが、その行動を予測していた均は、先ほど棚にぶつかった際に掴んでいた薬品の入った容器をその顔面に投げ付けた。

 子供だましのような不意の攻撃にも、趙雲は冷静で、躊躇なく容器を叩き落とすが、流石に中身までは防ぎきれず顔にかかってしまった。

 それは、ただの水か、あらゆるものを溶かす酸か、はたまた、触れただけで命を奪う毒であっても、結果は変わらない。

 薬品を被った趙雲には隙ができ、均が月英の身体にその凶手を届かせるには十分だったからだ。

 見事に趙雲を突破した均は、勢いそのままに月英に迫る。

 月英は、観念したのか好きにしてくださいと言わんばかりに目を閉じており、嗜虐性を刺激された均は、その仮面の下も喜びに歪む。


 ドスッ


 無情の音が響いた。

 あと月英まで少しのところで均の動きは止まり、その視線はゆっくりと下げられた。

 なんと、月英の指先から伸びた虎の如き鋭い爪が、胸や腹を貫いていた。


「ごぷっ……な、なぜ!?」


 月英が閉じていた眼を開くと、そこから赤い光が出た。


「何故って? 私も殭屍だから」


 驚愕する均の身体から爪を引き抜き、その場に倒れるのを足蹴にしてから、月英はそう告げた。



 殭屍とは、死者を放置すると蘇って生きた人間を襲う化物になるという古くからの伝承に着想を得た劉備が生み出した『死を契機に、その者に不老不死と強力な身体能力を与える』秘法である。

 過去、張闓を人体実験に使って研究されてきたこの秘法は、赤壁の戦いにおける彼の死によって完成を見た。


「そんな……いつ?」


 現実を受け入れられない均に、月英は軽く吐息を吐き、恍惚とした表情を浮かべる。


「赤壁よ……どうせ一度死ななければならないのなら、最期くらいあの人に私の命を犯してもらいたかったから……でも酷いのよ。あの人ったら容赦なく私の身体を切り裂いたの……」


 そう言って、自らの衣の襟を開いた月英の左肩口から臍下にかけて、艶やかな褐色の肌を無惨にも蹂躙する深い爪痕が残されていた。


 ゴクリと唾を飲み込む均に、衣を直しつつ月英は


「あら、お子様には刺激が強すぎたかしら?」


 と、からかって、なお動揺する均の顔面に爪を突き立てようとする。

 それを間一髪転がって避けた均は、ようやく復帰した趙雲に蹴り飛ばされ、部屋の奥にある扉に激突した。


「流石に、二人相手はきついや……」


 そう弱音を吐いた均は、もう復讐を諦めていた。

 そもそも、この男が反骨芯の強い男なら、たとえ矮躯でも努力して兄と変わらぬ強者になれただろう。

 結局、どんなに体は強くなっても心は惰弱なままであり、それがこの男の本性なのだ。

 だが、その臆病さがこの男の窮地を救うこととなる。


 二人の殭屍を前に、観念した均は懐から竹簡を取り出した。

 それは、先に兄から預かったもので、元々はそれを月英に渡すことが目的だったのだが、いざ仇敵を前にして、均は兄の手出し無用の命令も無視して復讐に走ってしまった。

 挙句、失敗すると、今度はそれを逃げの手段として利用しようとしたのである。


 月英は、このまま均を迷い込んだ|鼠≪スパイ≫として始末するつもりであったが、何者かの使者であるとわかり、しかも、その何者かが容易に想像できるため、伸ばした爪を引かざるを得なくなった。


 沈黙する月英と趙雲を見て、仮面の下でも嗤う均は、竹簡を月英に向かって投げた。

 すかさず趙雲が前に出て、その竹簡を掴むと、読み手を害す仕掛けがないことを確認してから月英に渡した。

 最初、月英は怪訝な様子で竹簡を開いたものの、その差出人の名を確認して複雑な笑みを浮かべた。


「あの人からね……化物をこれ以上増やせば殺しに行くと書いてあるわね……残念だけど、あのお方は殭屍をこれ以上増やすつもりはないわ……」


 月英は悔しげにそう答えた。

 確かに殭屍秘法は赤壁の戦いで完成し、自分たちもそれになることが出来た。

 劉備の言う、不老不死で強力な兵士となる殭屍は、自分の信用できる者だけに留めるという考えにも同意できる。

 あの張闓ですら不穏な様子を見せた。

 力を手に入れた人間は容易に別人となってしまうからだ。

 しかし、その不老不死の強力な兵士という最高傑作ですら容易に滅ぼした男がいる。

 月英は、その男の強さに女として惚れ、その事実に研究者として歯がゆさを感じ、その結果から主君の身に不安を抱いていた。

 今は、諸葛亮と争う時ではない。

 もし、いまある全ての軍事力で彼を襲撃すれば殺すことは出来るかもしれない。

 だが、追い詰められた彼は何をするか予測できず、最悪、捨て身に出て劉備が殺されてしまうかもしれないのだ。


「あの人に伝えて頂戴。確かに承りましたと」


 敬愛する劉備を守るため、月英は劉備にも内緒で進めていた殭屍の増産計画を中止することにした。


「くくくっ……兄さんは再び劉備様に仕えることになったんだ。これから僕と君たちは同僚なんだから過去は忘れて仲良くしようよ」


「え?」


 驚く様子の月英に、対決では負けたのに何故か勝ち誇った顔の均は、ゆっくりと地面に伏せた。

 身体の傷は既に癒えており、倒れたわけではない。

 悪い予感を覚えた月英が、均から離れようとしたのは正解だった。

 突然、地べたに這い蹲るようにして身を起こした均は、まるで蜥蜴のように素早く手足を動かして地下の入口まで移動したのだ。

 もし、近くに立っていたら何をされていたか分からない。


「用件はそれだけだよ。お楽しみのところ邪魔して悪かったね」


 最後に、振り返った均はそう言い残して去った。


「今のは……何?」


 均がみせた気色悪い動作を目にして困惑する月英に、誰も応えてはくれなかった。

 隣には趙雲がいるが、普段から無口で気の利いた言葉をかけてくれるような性格ではない。

 ふうと、ため息を吐いた月英は、得体のしれない存在となった前夫から主君を守るため、殭屍増産計画と並行して進めていた新たな兵器の開発に集中することを決意するのだった。




 均が月英の家から出ると、そこには旅装姿の諸葛亮とその娘の彊が居た。


「あれ!? 兄さん。そんな姿でどうしたの?」


「どうやら首尾よく行ったようだな」


 驚きながら均が頷くと、諸葛亮も頷いた。


「事情が変わった。劉備の側に龐義兄上がいたのだ。鳳雛がいれば荊州は安泰だ。我等はこれより益州成都へ乗り込む。念の為、達を馬良の下に残すが、お前は私と共に来い!」


 兄から労いの言葉は無かったが、どうやらまだ必要とされているらしいと、均は喜んだ。


「わかりました!!」


 元気よく兄に返事する均に彊も声をかけた


「均叔父様、よろしくお願いします」


「う、うん」


 叔父と言われて照れたような仕草をする均。

 だが、その仮面の奥にある赤い瞳は、目の前の美少女を怪しく見据えていて、舌舐めずりをするような音がした。

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