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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
暗躍の軍師
25/29

荊州制圧

 劉備の荊州南部侵略は開始から僅か三月で終わった。

 まず、長沙の韓玄が半月も持たずに討たれ、その知らせを受けて万全の態勢で迎え撃ったにもかかわらず、零陵の劉度と柱陽の趙範はひと月と持ちこたえられず降伏し、最期に残された武陵の金旋も、孤立無援の中で最期まで抵抗しようとしたが、一戦で呆気なく討ち死にしてその配下も皆殺しにされてしまった。

 かくして荊州南部は、劉備によって瞬く間に制圧されたのである。




 その日、劉備の本拠地である公安には、荊州南部の制圧を祝して、朝から宴会が開かれていた。

 正午を過ぎ、殆どの将兵が酒に酔う中、見張り役の一人が、ある集団の来訪を告げる。


 手にした盃を台に置き、咀嚼していた肉を吐き捨てると、普段は慌てる様子を見せない無い男が、早足で宴会場を出た。


「ん~~素晴らしい! よくぞ参られた。荊州学派の先生方! そして、よくぞ戻った。我れらが軍師。諸葛孔明!!」


 男の前に整然と並ぶのは、藩濬を筆頭とする荊州学派の出身者と、前君主に仕えていた武人、そして、諸葛亮とその従者二人の総勢二百人であった。


「劉閣下に御拝謁を賜り、恐悦至極に存じます。我ら荊州の者二百名。閣下の荊州統治の一助となるべく、後れ馳せながら参上仕った次第、何卒、仕官をお許し下さい!」


 代表して口上を述べる藩濬に、劉備と呼ばれた男は満面の笑みで頷くと、まずは中にと、藩濬ら荊州学派の主要人物を宴会場に招き入れ、残った者達にも酒と肉、おまけに付き添いの美人が配られた。


 聞いていた話とはだいぶ違うと、皆、予想外の歓待に頬が弛むのを止められず、すっかり浮かれ気分で宴会場に入っていった。

 ところが、中に入った途端、彼等の弛んだ顔は張り付いた様に固まり、目の前の惨状に悲鳴を上げそうになった。


 そこには十を超える生首や髑髏が置かれていたのだ。


 それらは、荊州南部を治めていた太守とその配下らの首で、しかも、その首が置かれた大きな台の周りには、種類豊富な肉料理が並べられており、御丁寧にも其々に掲げられている木札には『長沙太守韓玄 脾肉』や『猛将邢道栄 心臓』等と書かれていた。

 かつて、商の紂王が反逆者を処刑し、見せしめにその肉を醢(しおづけ)・臘(ほしにく)・炙(やきにく)等、様々な料理に変えて、諸侯に振る舞ったと伝わるが、まさにそれを彷彿とさせる光景であった。

 しかし、幸か不幸か、誰もそんな物に気を回す余裕は無かった。

 寧ろ、そんな残虐行為が子供の遊びに思えるほど禍々しい二条の赤い光が、来訪者たちを射貫いていたからだ。

 会場の最奥に坐するその男は、赤い眼光の他に、周囲の人間とは一線を画す妖気を纏っており、誰が見てもその男がこの集団の頭目であると判断出来た。

 なるほど……影武者か。

 念のため藩濬が振り返ると、側には先(・)ほ(・)ど(・)の(・)劉(・)備(・)が立っていた。

 一人納得した藩濬は、此処が正念場と腹を据えて堂々と前に進み出ると、そのあとに入場を許された荊州学派の者が続いた。


「とまれ」


 ちょうど生首が並べられた台の前まで進んだところで、君主席の隣に立つ男に止められた。

 低い鼻に、両頬に広がる雀卵斑(そばかす)とそれを覆う無精髭。

 地味な容姿の上に身なりも薄汚く、その姿は浮浪者と見紛うばかりだが、荊州学派の者が見れば一目で畏敬すべき人物と分かった。


「龐士元……」


 驚きを隠さず藩濬が呟いた。

 劉備に気を取られその側にいる者にさえ意識できていなかったが、その男こそ、荊州において諸葛亮と評価を二分し、臥龍鳳雛と並び称されたもう一人の天才・龐統だったのである。

 ここ数年、行方が分からなくなっていたが、まさか劉備に仕えていたことに荊州出身の者たちは、驚きを隠せなかった。

 諸葛亮でさえ目を見開き、その額には薄らと汗が浮かび上がっていた。

 そんな同志たちの動揺を悟った藩濬は、その場で深い礼をしながらも唾液で舌をしっかりと湿らせ、ゆっくり正面を見据えてから口上を述べた。


「劉閣下に御拝謁を賜り、恐悦至極に存じます。我ら荊州の者二百名、閣下の荊州統治の一助となるべく、後れ馳せながら参上仕った次第、何卒、仕官をお許し下さい!」


 先ほどの偽物に述べたのとまったく同じ口上に、劉備側の諸将の中からどっと笑いが起こり、龐統は皮肉に口元を歪めたが、それを劉備は不機嫌そうに軽く手を挙げて制すと、未だ動揺を隠せない謁見者たちに言葉をかけた。


「我が陣営によくぞ来てくれた。荊州を領するより先に、荊州の重宝である先生方を得られて、この劉備、これにまさる喜びはない」


 諸葛亮の狙い通り、劉備は南荊州を領有するに及んで、手駒の数が少ないことに悩んでいた。

 強力な軍団を作り出すことには成功したが、領土を得ても、まともに統治できる人材が配下に存在せず、山賊まがいの略奪でしか資金も兵糧も調達できなかったのである。

 そんなところに現れた荊州学派の存在は、劉備にとって当面の悩みをすべて解決するものであり、彼らがどんな企みを秘めていようとも、登用を決断するのに時間はかからなかった。


「「有り難き幸せ。劉閣下を荊州の主とするため尽力致します!」」


 劉備に仕官を認められ、藩濬だけでなく謁見者たち全員が跪き、声をそろえて忠誠を誓った。

 劉備は大きくうなずくと、隣に立つ男を紹介した。


「此方は我が軍師の龐士元だ。荊南四郡を手に入れる事が出来たのも、この者の働きによるところが大きい。皆にはこの者の指揮下に入り、戦乱で焦土と化した郷土の再生をしてもらいたい」


「「ははーっ」」


 龐統の登場により当初の予定から修正を行う必要ができたが、寧ろ心強い同志が一人増えて好都合だと謁見者たちはほくそ笑み、一人を除いて一斉に頭を下げた。


「ん゛? なにか、不服かな……孔明?」


 平伏する謁見者の中で一人険しい顔をして直立したままの諸葛亮に、会場の空気は急激に緊張を帯び、酒と料理を楽しんでいた劉備側の諸将が立ち上がって各々の得物に手をかけて身構えた。

 皆、目の前の男が知者の仮面を被った化物であることを知っており、荊州の人材を手土産に劉備に近づいたところで急襲してくることを警戒していたのだ。


 勿論、今の諸葛亮にそんなつもりはないのだが、哀れなのは事情を知らぬ謁見者たちで、劉備への降伏を主張した諸葛亮が、まさか劉備への仕官を拒否するとは思っていないので、ただ呆然として事の行方を見守るしかなかった。

 そんな緊迫した状況下において、諸将の動きを手で制しつつ劉備が意地の悪い顔で尋ねると、決意を秘めた男は、両膝を地に着け、鈍い音とともに額を地面に打ち付けた。


「恐れながら、私は一度、閣下に弓を引く過ちを犯しました。本来であれば、荊州の山奥に隠遁し、二度と閣下の目の前に現れるつもりはありませんでしたが、先日、荊州学派の集会に呼ばれ、同志たちが仕官に悩んでおりましたので、閣下にお仕えする利を説き、こうして御前に導いて参った次第。既にその役目を果たしました」


「なるほど……それで、以前のように私に仕えるつもりはないと?」


「はい。例え閣下が私を許したとしても、他の者が納得しないでしょう。裏切り者の私が何の手柄もなく再び閣下にお仕えすることで、閣下の陣営に不和が広がることは避けたいのです。幸い龐子兄がいれば安心です。何卒、お暇をいただけないでしょうか?」


 諸葛亮が地に打ち付けていた顔を上げると、額から出た血が床へと落ちた。


「ん゛~ん゛~ん゛~、 ん゛~ん゛~ん゛~」


 それまで抑えられていた赤い眼光が再び輝きを放ち、劉備は顔を上げて愉快そうに笑った。

 そして、一頻り笑った所で、ピタッと止めて真顔になり、諸葛亮に向き直った。


「それで? 貴殿は何をするつもりか?」


 勿体ぶった劉備の問いかけに、諸葛亮はたった一言で答えた。


「益州」


 その言葉に反応するかのように劉備の赤い眼光がまるで稲光のように会場内を照らした。


「益州をもって、先の不忠への償いとさせて頂きたい!」


 諸葛亮は、劉備が荊州を制した後、次に狙うのが益州だと知っていた。

 この男は漢王朝の復興を望んでいない。

 天下を制する力がありながら、まるで決まった道があるかのように迷いなく進んでいるのだ。

 いっそ、今から中原へ攻め込んだとしても、おそらく劉備は天下をとれるだろう。

 それをしないのは、この男にそれができないわけがあると諸葛亮は考えた。

 そして、気にかかることは劉備が酷く殺戮を好むこと。

 徐州時代から長坂の戦い、そして今回の南荊州制圧と、犠牲者を調べれば五十万を超えているのではないか。

 そこで、相手の目的がわからないのならば、その行動を徹底的に妨害し、あわよくば劉備を打ち取る機会を作ろうと考えた。

 そして、それをするならば、動きが制限される可能性がある内部よりも、向こうが動きをつかめない外部から働きかけた方が都合がよい。

 そうして、考え付いたのが益州への潜入であった。




「貴殿一人で何ができる?」


 試すように劉備が尋ねるが、諸葛亮はよどみなく答えた。


「三年お待ち下さい。閣下が荊州を手に入れる間に益州の内部を調略いたします。三年の後、閣下が兵を起こせば、たちまち益州は閣下に降るようにいたしましょう」


「面白い! 軍師・諸葛孔明。益州の事、全て貴殿に任せよう!」


 諸葛亮の案はすんなりと採用された。


 劉備は荊州の次の標的として益州を狙っており、現段階から益州に調略を仕掛けることに異論はなかった。

 問題があるとすれば、それを軍師の諸葛亮が自ら行うことだが、劉備としては、これから荊州の制覇に移るには諸葛亮を側に置かない方が安心できる。

 これまですべて予定通りに事が進んではいるものの、細かいところで違いが出てきているのも知っており、その最たる存在が目の前にいる諸葛亮であった。

 半年前までは小賢しい真似をする若僧程度に思っていたが、今や別人のように豹変して帰ってきた諸葛亮を側に置きたくなかった。

 劉備自身も、諸葛亮の存在に危機感を覚え始めていたのである。




「寡人(わたし)はこれで下がろうと思う。皆、このあとも楽しんでくれ」


 謁見が終わると、劉備はそう言い残して宴会場を後にした。

 皆が一先ず胸をなでおろす中、諸葛亮は荊州学派の輪に加わらず、今も君主席の隣に一人立って、諸葛亮を睨んでいる龐統の前に進んだ。


「師兄。ご無沙汰しております」


 恭しく拱手する諸葛亮に、龐統は嫌悪の色を隠さず言い放った。


「よくも私の前に姿をさらせたものだな!」


 突然の怒声に、再び酒盛りをして愉しんでいた劉備の配下までが静まり返った。


「お前が責務を果たさず将軍を裏切ったから、私が巻き添えを喰らわされた。お前は自分が徐元直にされた事を、この私にもしたのだぞ? もう、二度と話しかけないでくれ……さっさと益州なり、中原なり失せるがよい!」


 衆人環視の中、辛辣に罵倒してきた兄弟子に諸葛亮はなんの反論もしなかった。

 龐統もまた、諸葛亮のように惨劇を見たのだろう。

 そして、荊州南部四郡の制圧戦で、今度はそれを作り出す側に立ってしまい心を壊したのだ……


 いや、違う。

 鳳雛の名は伊達ではない。

 虐殺の片棒を担がされたくらいで、心を病むほどの軟な精神は持ち合わせていないのだ。

 長年の付き合いがある諸葛亮にはそれがわかった。

 案の定、龐統は、その去り際、背中を向けたまま口も動かさず、親愛なる弟弟子に向かって静かに声をかけた。


「荊州は心配するな……お前は自分の策に集中せよ」


 龐統は、これまで諸葛亮が一人で劉備と戦っていた事に心を痛めていた。

 なんとか協力できないかと思案していたところ劉備に見つかりその陣営に加わったが、その時既に諸葛亮は江東に赴いて居なかった。

 それからは、戦続きの地獄の日々を味わい、長沙を落とすまでは、一時、飢餓から人肉に手を伸ばそうとしたこともあったが、どうにか鼠や草木で食い繋ぎ、生き延びてきた。


 そして、ようやく諸葛亮と再会し、心中喜びと安堵を覚えたのも束の間、諸葛亮の献策を目の前で聞き、それが益州で反劉備勢力を嗾け、劉備が出兵してきた所を討ち取る策だと気付いてしまった。

 本当は諸葛亮とともに劉備を牽制しつつ荊州を元の豊穣の地・知識の府と呼ばれた姿に戻したかった。

 だが、年下の天才の意志は固く、飽く迄、劉備の存在を認めようとしていない。

 ならば、せめて後顧の憂いなく送り出そうと、一芝居打った。

 表面上でも仲違いしているようにみせれば、お互い下手をして処罰されても、もう一方まで罪が依らないように図ったのである。


 龐統の意を汲んだ諸葛亮は、血まみれの額を再び地に着けて詫びると、すぐに立って駆けるように宴会場を出て行った。

 その後ろ姿を、会場内から見送った龐統は、この後、生きて諸葛亮と再会することはない。


 その後、夜更けまで宴会は続いたが、歓待を受けたはずも途中から置いてけぼりを喰らった新参者たちは、肉料理にも一切手を付けず、神妙な顔をしながらいくら飲んでも酔えぬ酒を空っぽの胃袋に流し込むのであった。


 諸葛亮が去り、荊州は荊州学派の手によって再生を始めた。

 二年後、孫権軍の主柱であった周瑜が亡くなると、劉備軍は孫権の勢力を荊州中部から追い出し、荊州の大半を治めるようになる。

 益州の侵略は近い。



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