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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
暗躍の軍師
22/29

諸葛兄弟

 日没からさらに時が過ぎ、空は厚い雨雲に覆われて星月無く、滅びし村はすっかりと暗闇に包まれていた。

 晩冬の冷雨を嫌い、獣も鳴りを潜め、今はただ、地を打つ雨と枯れた草木を揺らす風の音だけが鳴いている。

 まさに生命の気配が失せた世界。

 ところが、そんな亡村の最奥に唯一残る建物の中からは仄かな光りが漏れ出ていた。

 



 兄は愛する女の亡骸が眠る井戸に向かって別れを告げた後、その女の遺志を継ぐ雌馬を残して、弟が居る元妻の部屋へと戻った。


 室内は火を光源としない灯りによって隅々まで見渡せるほど明るかった。


 弟は自らが拘束されていた寝台に腰掛けていて、項垂れたままじっと床を見つめている。

 奇しくも、その体は腐敗から戻っており、室内にある得体の知れない液体が入った水槽から弟が腰掛けている寝台まで至る床が水浸しになっていた。


 兄は寝台近くまで静かに進んでから弟を見下し、感情の無い低く重たい声で問いかけた。


「均よ……玉蘭に何があった?」


 兄の声に反応して弟はゆっくりと頭を上げると、何故か口元を綻ばせた。

 その顔は生気が抜けたように青白く、瞳は赤く光っていた。


「僕の姿が戻っていても驚かないんだね、兄さん……」


 不敵に笑いながら発したその声には、兄に対する怯えはなく、寧ろ挑戦的で、兄の問いかけに応えようとはしていない。


「質問に答えよ、玉蘭はなぜ死んだ?」


 兄はそんな弟の態度など気にもせず、感情の失せた表情のまま問いに答えるように促した。


「玉蘭を縊り殺し、井戸に棄てたのはこの僕だよ」


 即答だった。

 感情の見えない兄を相手にすることを早々に観念した弟は、あっさりと兄が愛した女の殺害を白状した。

 何の躊躇もなくさらりとそう自白したのだ。

 そして、今度こそ流石の兄も動揺するだろうと弟は思い、口元を歪ませた。


 ところが、兄の顔は感情の色を見せなかった。

 すぐには言葉を返さなかったが、瞳に動揺が現れることも拳に力が入る様子もなく、ただ正対する弟を冷たく見据えていた。




 やっぱり、あの時の様に上手くは行かないか……

 

 以前、兄嫁と共謀して兄を罠に嵌め、散々に愚弄した時とは違い、自分の思い描く通りに事が進まない。

 弟は兄の両眼に見据えられ、どうすることも出来ず焦りを覚えた。




「……何故だ?」


 そうして、短い沈黙があり、兄から弟に問いかけた。

 決してその視線を弟の赤い目から離そうとしない姿からは、並々ならぬ威圧感が出ていた。


「だって……あの女、僕からの誘いを悉く無視したんだ……。兄さんの結婚が決まっても、全然僕には振り向いてくれなかったし、結婚の前夜、兄さんの部屋から出て来たあの女に抱きついたら、思いっきり頬を引っ叩かれて……それで、ついかっとなって殺ったんだよ!」


弟は、早口で捲し立てる様に玉蘭殺害の動機を語った。

それは、まるで兄を挑発するかのような口調だったが、正対してじっと見つめる兄に遂に視線を合わせようとはしなかった。


しかし、兄は弟が見せる違和感を洞察し、首を横に振ってその発言を否定した。


「嘘だな……」


「えっ……」


 自白を兄に否定され、弟は動揺するが反論することは出来なかった。

 これ以上、兄に嘘を言っても無意味だと思ったからだ。


 小さな虫すら殺せない臆病な性格だった。

 性は気弱で体は軟弱、そして、ちょっとしたことで怪我や病気をする脆弱さから隆中の同年代からは、諸葛の三弱と嗤われた。

 だが、同時に純朴で優しい性格は誰からも好かれていた。

 勿論、玉蘭にも。

 そんな男が自らの意思で玉蘭に狼藉を働き、剰え殺害するだろうか。

 いや、有り得ない。

 劉備の影を弟の背後に見る兄は、確信を持っていた。

 何より玉蘭は夢にまで出て来て教えてくれた。

 愛する女は、あの時、災禍の凶星は南天に有ると言った。

 即ち、隆中の民と玉蘭を殺害したのは、いま南荊州で暴れている劉備に違いないのだ。


 それでは、何故弟は自ら玉蘭を殺したと主張するのか。

 まるで兄を煽るかのように……。


 ふと兄の脳裏に浮かんだのは、弟と過ごしてきたこれまでの記憶だ。

 両親を失い、成人していた長兄は継母と駆け落ちして、兄と弟は孤児となった。

 そして、保護者たる叔父も殺害されてからは、荊州の州牧だった劉表に拾われるまで乞食同然の過酷な日々を過ごしてきた。

 それでも兄は保護者として、常に幼い弟の面倒を見てきたし、弟は一つの不満も漏らさず兄に付いて行った。

 兄弟の絆は何よりも強く、女一人のことで関係が壊れるわけがなかった。


 そうして考えた末、兄はある結論に至った。


 弟は死を望んでいるのではないかと……

 

 それに思い至るのは簡単だった。

 劉備に誑かれたとはいえ、兄嫁と共謀し、これまで共に苦難を乗り越えてきた実の兄を散々貶め愚弄したのだ。

 劉備から用無しと判断され棄てられた事で正気を取り戻した今、赦されざる罪の意識に苛まれ、死を以て償おうとしてもおかしくはない。

 問題は、命を絶つ手段として兄を嗾(けしか)けようとしていることだが……

 弟の態度からそう推察した兄は、少し声色を和らげて諭すように語りかけた。


「均よ、お前が私に対して嘘を吐くのは無理なのだ……。これでもお前が乳飲み子の時からずっと面倒を見てきたのだぞ? お前の嘘がいかに巧妙でも、私はお前が嘘をついたときに見せる癖さえ知っている」


「え?」


「どうせ、私を陥れたことを後悔して、償いのために私の手で殺してもらおうとでも思っていたのだろう?」



「そ、それは……」


「お前は私を陥れた挙句、今度は最愛の弟を手にかけさせるつもりか!?」


 それまで非情に振舞っていた兄が、一瞬だけ悲しそうな目で弟に語りかけた。

 そして、それは弟を翻意させるのに十分だった。


「兄さん! ごめんなさい!!」


 結局、弟は、肉親の情を説く兄に抗えなかった。

 そして、弟が抱いていた死の覚悟は、兄への忠誠心へと昇華して、此処に絶対忠実なる下僕が誕生した。




「なぁ均よ、私が旅に出ていた間に一体何があった?劉備に何をされた?」


「はい。兄さん、実は…」


 そうして、弟は兄にこれまでの事の真相を語った。

 

 劉備の調略は、劉備が荊州に流れ着き、劉表から新野を預かった時から始まっていた。

 弟が初めて劉備と知りあったのは、兄が原因不明の高熱で倒れ、その特効薬を求めて襄陽を訪れた時だった。

 薬を求めて彷徨う弟の前に、劉備は忽然と現れ、透明で豆粒のような物の中に色とりどりの砂のような粒子がたくさん入った奇妙な丸薬をくれた。

 その薬の効き目は抜群で、服用した兄はたちどころに高熱が冷め、翌日には普通に食事ができるまでに回復した。

 それ以来、弟は兄に内緒で劉備と交友するようになり、度々助言を受けるようになった。

 その助言は的確で、成功を重ねていくにつれ、弟は自分に自信が持てるようになっていった。

 そんな折、兄に縁談が舞い込み、偶然、玉蘭と二人きりになることがあったので、以前から好意を持っていることを告白した。

 勿論、劉備の助言を受けており、まさか失敗するとは夢にも思わなかった。

 

 結果は最悪だった。

 見事に振られ、しかも、絶交を言い渡された。

 その時、玉蘭は目に涙を溜めつつも、弟を睨んでいたという……

 今まで、上手くいっいていたことが、突然失敗する。

 しかも、自分の人生で一番大事な局面において……

 弟は焦った。

 だが、どうすれば良いかわからなかったから、結局、以前より劉備に依存するようになった。

 そして、兄の婚姻前夜、遂に悲劇が訪れた。

 事前に劉備より、駄目なら力づくで奪うのが最も簡単で確実な方法だと諭されていた弟は、兄の部屋から出てきた玉蘭の前に立ちはだかり、いきなり抱きつこうとした。

 普通の女なら悲鳴をあげようものだが、気丈な玉蘭は弟の両手から身を躱すと、無慈悲にその頬を叩いた。

 そして、それは弟の心を破滅させるには十分だった。

 女を従わせる時に役立つと、男に活力を漲らせると称する仙薬を劉備から与えられ服用していた弟は、自分でも驚く程の膂力を発揮する。

 反射的に片手で玉蘭の首を掴んで持ち上げると、悲鳴すら上げられない玉蘭をそのまま家の外まで運び出したのだ。


 このあと、弟は言いようのない充実感と達成感につつまれ人生最高の時を味わったのだと、嬉しそうに語った。

 だがそんな至福の時を終え、弟が我に返った時には、玉蘭は口から泡を吹き、白目をむいて事切れていたという。


 真相を知った兄はその身を震わせ瞑目した。


 今すぐ、目の前にいる弟の姿をした化物をバラバラに引きちぎり、死を覚悟した特攻で劉備の首を獲りに行きたいという衝動を必死に抑えているのだろう。

 敵の強大さを思い知り、それを打倒するために目の前にいる化物がどれだけ自分の役に立つかを計算して、必死に堪えたに違いない……


 「均よ……お前は悪くない。全ては劉備の仕業だ。奴こそがこの悲劇の元凶なのだ! 奴の野望からこれ以上の犠牲者を出さないためにも私に協力してくれないか? なあ……頼む!!」


 そして、兄は弟を許した。


 「兄さん!!」


 弟は歓喜して兄に抱きついた。

 兄がすべてを許してくれたことが、愛しい女よりも弟である自分を選んでくれたことが嬉しかった。

 しかし、弟は生身の人間では無かった。

 抱きしめる兄の体から漂う禍々しい殺気や、細めた目の奥にある冷えきった瞳に気づかなかった。

 そして、弟は兄に心服することを誓うのだった。 


 それから兄弟は、昔話などに花を咲かせ一夜を明かした。

 意図的に一人の少女に関わる話は避けられたが、それでも兄弟の絆を深めるには十分だと弟は感じたことだろう。

 



 そうして夜が明け、出立の準備を終えた兄弟は、日の出とともに故郷を旅立とうと家を出た。

 夕に降り出した雨は、深夜には雪に変わっていたようで、一面真っ白になっていた。

 足が不自由な兄が雌馬に乗り、弟は手綱を引きながら先導する。

 そして、亡き村人達の白骨も今や雪に埋もれる広場へと差し掛かったとき、二人と一匹は無数の兵隊に取り囲まれた。


「ケフフッ。やはり、儂の目に狂いはなかった」


「ほおぅ……なるほど。韓殿のおっしゃるとおり。まさかこんな辺境に劉玄徳の軍師がいるとは……」


 兵隊達の合間から姿を見せたのは、先日、兄が道を訪ねた老人と、襄陽の飯店で会った若い武官だった。


「いやはや、これは大手柄ですぞ韓セン殿!」


「ケフォフォッ、各地の山を廻って幾十年……鉱脈を掘りたくとも認可が下りぬ苦渋の歳月を送ってきたが、この手柄で高位に就けばあの若造も認めざるを得まい……。お若いの、済まぬが儂の宿願のために大人しく縛に就いてくれよ」


 手柄を前に上気する若い武官と、大願成就を確信する哀しき老人。

 五百を越す兵隊で標的二人を取り囲み、結果は誰の目にも明らかだった。


「兄さん、僕が引き付けるので先に行ってください。」


「お前一人で大丈夫か?」


「ふふ、僕は不死身になったんです。斬られようが突かれようが効きませんよ。それに……」


 弟は道端に半ば埋まっている大岩に手をかけると、力いっぱい引き抜いて持ち上げた。


「「げえっ!」」


 それを見た兵隊達の中から悲鳴が上がった。


「このとおり、僕は力を持っています」


 得意満面に自分の怪力を誇る弟に兄は関心を示さず、徐に右手を上げると居並ぶ兵隊の一人を指差した。


 「!?」


 突然、兄の指から一条の光が飛び出すと、その兵隊の胸を貫き、さらに後ろにいる兵隊たちをも同様に貫いていった。


 「えっ!?」


 弟は仰天した。

 なぜか兄が指差した延長線上にいる兵たちが皆倒れ、真っ白な雪の上に鮮血を広げているのだ。


「兄さん! それは!?」


「片足を失い、以前の様に戦えなくなったことで編み出した技だ。」


「すごい、すごいじゃないですか! こりゃもう敵無しだ!!」


 神業と呼んでも過言ではない兄の新技を目撃して弟は持っていた岩を落とし、飛び跳ねて喜んだ。


「それでも劉備の前では気休め程度だ……」


 そんな弟を見て皮肉な笑いを浮かべた兄は、未だ目の前で起こっていることが信じられず硬直したままの兵隊者たちに視線を戻し、若い武官を指し示す。


「命が惜しくばさっさと失せよ。この村には二度と近づくな……」


 兄の言葉に、引き攣った顔で頷いた若い武官は、ゆっくりと後退り、兄が腕をおろした途端、背中を見せて駆け出した。

 次の瞬間、物言わず逃亡する指揮官の後に続くように兵隊たちは武器を投げだして後を追っていく。

 一人残され青ざめる老人は、その場にへたり込み、呆けたようにブツブツと独り言をつぶやきだした。


「ちぇっ、逃しちゃった。つまんないのっ!」


 兄に自分の力を見せつける機会を失った弟は、さも残念そうにしながら再び大岩を持ち上げると、逃げていく兵士たち頭上へと放り投げた。


 ドチャッ!


 数人兵隊たちが断末魔さえ出せずに大岩の下敷きとなった。


「均よ。お前のやり方では時間がかかる。我々はこんなところで時間を無駄にする暇はないのだからな」


 殺戮を楽しむ弟をたしなめた兄は、一人雌馬を駆けさせる。


「あっ、兄さん待ってよ~」


 慌てて兄を追う弟は、村の出入り口で雌馬に乗せて貰い、未だ朝靄の煙る山道へと消えていった。




 そして……迎えた新月の晩、

 復讐に燃える兄と、その兄に心服し、身を犠牲にしてまでも兄の復讐を助けようとする愚かな弟。

 今後、天下に諸葛兄弟の名が響き渡る。

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