旅の終わり
かつて隆中の入口は村外れの丘上にあった。
そこに立てば小川が流れる谷を挟んで対岸にある村内を見渡すことが出来、長旅から帰ってきた時は決まってそこから村の様子を眺めるのが好きだった。
だから此処に立って見る景色は、たとえ劉備によって村がどんな形にされていようとも、生きて再び此処に帰ってこれたという感動で視界がぼやけてもおかしくない筈であった。
しかし、そんな微かな思いすら奴は奪いとった。
隆中の入口に設けられていた門の残骸を超えて、目にした光景を見て私は反応できなかった。
断っておくが私は冷血漢ではない。
嬉しいときには喜び、腹が立つときには怒り、悲しいときには泣き、楽しいときには笑いながら、これまでの人生を情緒豊かに送ってきたつもりだ。
そんな私がこの情景を見て何の反応も出来なかった。
そりゃそうだ、何一つ物が残っていないのでは感動の仕様がないではないかっ!
故郷の惨状は私の想像をはるかに超えていた。
まず、住居や井戸、家畜小屋、祖廟などの建造物は全て跡形もなく破却され、礎石や石垣といった遺構を成す石材すら取り除かれ、放置すればやがて荒れ果てる畑でさえ作物を掘り起こされ焼かれていた。
さらに、村内を流れる小川は土砂で堰き止められてその流れが変わり、道に敷かれていた敷石も剥されて野道と判別も出来ない。
執念すら感じるほど徹底的な奴らの所業を目にして、私は酷い虚脱感に襲われた。
「帰ろうかな……」
そんな言葉が口からこぼれ、視線は元来た道へと移る。
重たくなった足を気怠げに前へ、小さく一歩を踏み出そうとするが、ふと思う。
いったいどこに帰るというのだ……
確かに子供たちは待ってくれているかもしれないが、劉備に付け入る隙を与えたまま、子供や同志にどの面下げて会おうというのか……。
再び視線を村があった方に戻し、速足で歩き始めた。
水の枯れた谷川を飛び越え、無人の野と化した村の中をしばらく進むと、かつて村の中央にあった広場が見えてきた。
そこには白い塊が山のように積まれており不意に嫌な予感が走った。
「あ、あれは…………まさかっ!?」
それはこの村の惨状を初めて見たときに感じたことでもある。
普通これだけ跡形も無くしてしまえば、それを見る者の感情もなくなってしまうものだ。
はたしてそれをあの劉備が許すだろうかと。
広場に近づくにつれてその予感は確信に変わり、自然と足は早くなった。
ああっ、あああ…………、
覚悟はしていた。
劉備がこの村を消すと言った以上、この村を知る住民もまた同じ運命を辿るだろうと。
だが、これは……余りにも酷い仕打ちではないか……
白い塊の正体は、他でもないこの村の住人達だった。
老若男女問わず皆殺しにされた憐れな住人達は、この広場にその遺体を集められ、山と積まれて燃やされてしまっていた。
埋葬もされず風雨にさらされた結果、今はもう炭と骨しか残っておらず、散乱して誰がどの骨であるのか判別もできない……
あれだけ村から住民の痕跡を絶っておきながら、何故、遺体だけは此処に残したのか……
ん゛~ん゛~ん゛~ん゛~
頭の中を過ぎったのは劉備が高笑いする声だった。
やはりそうだ。
奴は私がここに戻ってくることを期してこんな仕置を行ったのだ。
そして私を心身共に追い詰めるべく、敢えて更地となった村を見せて感情を失わせたあと、いきなり全ての犠牲者を見せつけることでその効果を増大させる手法をとったのだろう。
ズンッ
こみ上げてくる怒りが体を震わせ、やり場のない思いを地面へとぶつけた。
全て私のせいだ。
あの時、劉備の勧誘に素直に応じていれば皆が巻き込まれることはなかった。
なのに、あの時の私は劉備の本気の脅しを侮り、軽薄にその誘いを断ってしまった。
「みんな、すまない……本当にすまなかった」
今更許しを乞うても仕方ないことはわかっているが、それでも彼らの遺骨を前にして私が犯した罪を詫びずにはいられなかった。
ヲゥゥゥゥゥ~……ウァァァ~……
膝をつき額を地面につけたまま慟哭していると、村の奥から吹いてくる風の音がまるで喘ぎ声や唸り声に聞こえてきた。
はたしてこれは殺された村人の断末魔か、はたまた元凶である私がのうのうと生きて帰郷したことに対する亡霊たちの怨嗟の声か……
ウゥゥゥゥゥ~ ウァァァァ~
ウァァァァァ~ ウァァ~
いや、違う……
ウウッ~……
ウアア……
それは、微かだが聞き覚えのある声だった。
まだ声変わりさえ終わっていない少年の声は、風の音に消されそうなほど力無く掠れていたが、不思議と耳に残る。
「き……ん……? 均なのか!?」
すくと立ち上がり、声が聞こえてくる彼方を見ながら呼びかける。
ウウゥ~……ゥアアア……
返事はないが、呻き声のようなものがまた聞こえ、何度も聞くうちにその声が弟のものであるように思えてくる。
その声の出どころを探そうと広場からさらに奥に進むと、村の入り口からは見えない村の最奥に当たる場所に一軒の家が立っていた。
他でもない、そこは私がこの村で住んでいた家だ。
他の住民の家がすべて破却されているのに、私の家だけがそのまま残されていることに不審を抱くも、扉が半分開いたままの家の中からは、今も辛そうな声が漏れ出ていて、罠を警戒するよりは弟の安否を確かめる方が先だと判断した私は意を決して家の中に飛び込んだ。
「均! どこだ、どこにいる!?」
半開きの扉を蹴飛ばして中に入ると、薄暗いながらも室内の様子が見えてきた。
半年も留守にしたために塵や埃が机や棚に積もってはいるものの、連れ去られる以前と変わらず整然としていて懐かしさを覚える。
「うっ!」
だが、一つだけ以前と異なるのは、室内には鼻につんとくる刺激臭が漂っていたことだ。
今まで嗅いだことのない不快で毒々しいその臭いは、家の奥へと進むほど強くなっていき、さらに動物が腐敗したような凶悪な臭いへと変わっていく。
それはもう袖で鼻を覆ったくらいではどうしようもなく、目には涙が溜まって視界が揺れ、胃は噎せ返り何度も嘔吐いた。
外まで聞こえていたはずの呻き声も、いつの間にか途絶えており、しんと静まり返った屋内は夕闇が降りるにつれ、いよいよ不気味さが増してゆく。
勝手知ったる家とはいえ、何が起こるか予測がつかない。
一歩ずつ慎重に進み、居間を通り抜け、私が使っていた部屋の前に至った。
ズズズッ――
かつて何度も開閉した引き戸に、恐る恐る手をかけ、力を込めつつゆっくりと引くと、そこにはあの日と変わらぬ私の部屋があった。
親友からの手紙や古今の諸子百家の書を保管してある書棚、長年寝起きした寝台、来客用の敷物……
しかし、そのほかに手がかりとなるものは無く、あとはただ、中身の入ってない椀が床に転がっているのを見つけただけ……
くっ…………!!!!!
それは、今、この状況下においては、どうでもいい些細な発見であった。
だが、それが目に入った瞬間、私の呼吸は荒くなるとともに手足がワナワナと震え、いままで抑圧してきた激情が沸々と込みあがってきた。
そして、幾拍かの理性と衝動とのせめぎ合いの後、いよいよ抑えきれなくなって爆発した。
「があああああああああ!!!!!!!」
すり替えられた村の存在、破壊された住居、荒らさた農作物、残虐に殺された住民、覚悟して事実を冷徹に受け入れようとしてこれまで堪えてきたものが、たかが木の椀――されど私を陥れることに使われた椀に――、こんな……こんなつまらないもので崩壊してしまった。
その椀は、あの日、最愛の弟・均が私に毒を盛った際に使用した椀だった。
「これがぁっ、私の人生を狂わせたのだぁぁぁぁぁっ!!」
それはただの八つ当たりでしかなかったが抑えることはできなかった。
あの平穏な日々を、生き生きとした住民の笑顔を、そして、愛する女と大事な家族を、この椀に入った水をきっかけとしてすべてが奪われた。
この憎しみと悲しみのすべてを込め、忌々しい木の椀を義足で踏みつけると、軽い破砕音とともに大小破片が勢いよく周囲に飛び散ったが、それでもまだ原型が残っているため、視界から消え失せるように掌圧をはなって窓と共に野外に吹き飛ばした。
だが、それだけで怒りの衝動を抑えること能わず、部屋の壁を蹴破って隣室の玉蘭の部屋、さらにその隣の均の部屋へと進み、弟の部屋にあって目につく物は手当たり次第に破壊していった。
はあ、はあ、はあ………………い、いかん、私としたことが……
穴の開いた外壁から冷たい外気が吹き込み熱くなった身体を冷ましてくれる。
新鮮な空気を体内に取り込んで、荒れていた呼吸も落ち着きを取り戻してきた。
また暴走してしまった。
おそらく、ここまで心に負荷がかかっていたところに、まるで肝試しをしているかのようなこの家の陰鬱で不気味な雰囲気が加わったことで、私の心に余裕がなくなっていたのだろう。
それが、ちょっとしたきっかけで爆発してしまい、思い出が残る我家をこんなに破壊してしまったのだ。
奴と出会って以来、感情のままに暴れることが多くなったが、それも心の鍛練が足らぬからだと反省しつつ、改めて二人の部屋を見渡してみる。
玉蘭の部屋は書籍ばかりで調度品は少なく、本人の性格を反映するかのように綺麗に片付いていた。
対して、均の部屋はもはや原型を留めぬ木端や紙が床に散乱しており、崩壊した壁からはすっかり薄暗くなった外の景色が映っていた。
結局、大暴れしただけで、玉蘭の部屋も均の部屋にも手がかりとなるものはなかったが、暴れたことで心の負荷を多少なりとも発散することが出来たのは幸いだったかもしれない。
だって、まだこの家には本命と言える部屋が残っているのだから……
それから、客間、炊事場、便所と見て回り、最後に妻の部屋にたどり着いた。
ここまで玉蘭と均の行方の手がかりとなるものは見つからなかったが、それも当然といえば当然だろう。
この家の住人で最も劉備と親しいのは妻だったのだから。
よって何か手がかりが残っているとすれば妻の部屋が一番可能性がある。
では何故、後回しにしたかといえば、私の手によって既に故人となった妻であるが、できることならこのまま忘れ去ってしまいたいと心中で願っていたからだ。
だが、死してなお因縁は付き纏うらしい……
婚前に荷運びを手伝って以来、入ったことがない妻の部屋は母屋を増築して建てられたものであり、そこに召使の女一人を従えて生活していた。
名家の令嬢だから当然の待遇だったのかもしれないが、思えば妻とはひとつ屋根の下で暮らしたこともなかった事に今更ながら気が付き嘆息する。
あの日、均が言っていたように本当に妻が私のことを慕ってくれていたとしたら、もしや彼女の狂気は、私が彼女を醜い女として扱ったがために招いてしまったものであったかと後悔の念に駆られるが、それでも結局はすべて劉備が悪いと思い直し、奴への憎悪を膨らませつつ妻の部屋の戸の前に立った。
既に嗅覚が麻痺したようで凶悪な臭いも気にならなくなっており、もしかしたら此処には何も無いかもしれない。
そんな期待と、もしそうなら手がかりを無くしてしまうという不安を抱きつつ、カラカラと軽快な引き戸を開ける。
「あぁ……っ、き、均~っ!」
目に飛び込んできたのは、寝台の上に拘束されたまま無惨に変わり果てた弟の姿だった。
「に゛っ……に゛ぃ!?」
そして、驚くべきことに私が名を呼ぶと、それに反応して遺体に見えた弟の体がビクビクと動き出し、怯えているかのようなぎこちない様子で顔をこちらへと向けてきたのだ。
その顔は生前の弟の面影など一切なく、黒く変色して凸凹に歪んでいた。
クチャリと嫌な音を立てて口が開かれると、中からはどす黒い液体と共に何か白い物体が零れ出る。
ドロドロと寝台を伝って落ちる液体に先んじてパラパラと軽い音を立てて床に落ちたそれが歯であることに気がつき、弟がもうどうしようも無い状態であることが分かった。
「ぐぉべん゛……ごぉぼげぶんっげっ、げえぇぇ……。ごげぶはぃ……に゛ぃ……ん……」
声帯も舌も腐って言葉を発せなくなっているのか、それでも弟は必死で私に謝罪しようとしているのは伝わってきた。
「もういい。もういいんだよ……均」
寝台へと近づき、均を拘束するために四肢に打ち込まれている鉄楔を引き抜くと、均は安堵したのか顔を天井へ向け、自由になった右手で家の外を指し示した。
「い、ど……、い…………ど……にぃ~……」
「井戸? 井戸に何かあるのか?」
私の問いかけに均はうなずくと、なぜかそのまま動かなくなってしまった。
全身が腐敗して心拍も無いため均の生死を判別することはできず、また、均が教えてくれた井戸が気になったため、とりあえず均はそのままにして家の裏手にある井戸に向かうことにした。
家の外に出ると、いつの間にか小雨が降っていて、雨雲も影響して日没を迎えていなくとも薄暗くなっていた。
雨は冷たいが、いまさら避ける気も起らず、そのまま歩いて家の裏手にまわると、そこには懐かしい石積みの井戸があった。
近くには水を汲み上げるための桶が残っており他に目につくものはなかったので、とりあえず井戸の中を覗いてみた。
しかし、井戸の中はゆらゆらと水が揺れているのがわかるだけで、暗くて他には何も見えなかった。
そこで、井戸の中を探るべく桶を落として中の水をくみ上げた所、桶にはこの村を出る前と変わらぬあの水が湛えられていた。
ゴクリ……
それを見て、私が愛してやまなかったあの水の味を思い出してしまい思わず息をのんだ。
幾多の不幸を呼び、もう飲まぬと誓ったはずのあの水が、今、私の目の前にある……
駄目だ。
いけない……
この流れは私が衝動に負けてしまういつもの流れだ……
両手で持った桶が震え、中の水が僅かにこぼれ落ちた。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……
抵抗虚しく久々に飲んだその水は美味かった。
緊張が続いたことで喉が渇いていたこともあり、桶の中身をすべて飲み干す勢いで飲み込んでいった。
んぐっ!?
ところが、半分程飲み干したところで違和感を覚えた。
口の中に何か細い糸のようなものが入り、そのまま喉に達したからだ。
ぐべぇっ、ぐべぺぺぺぺっ!!
慌てて、口内の水を吐き出すが、肝心のその異物を一緒に出すことが出来ない。
そうなると気になって仕方なくなり、懸命に舌でその在り処を探り、指を突っ込んで取り出したのは細い糸のような物だった。
それは思った以上に長く、手触りからおそらく人間の髪の毛だと判断した。
「なぜ井戸の中に髪の毛が?」
長さは丁度、玉蘭が髪を下ろした時と同じくらいか……
……!!
さっと血の気が引いていった。
まさか……そんな!!
再び桶を井戸の中に落とし、紐を操作して中の水をかき回す。
すると、何か固いものがコツンと当たり、それを掬うようにして引っ張り上げた。
そうして、徐々に上がってきた桶の中にはどこか見覚えがする髑髏が浮かんでいた。
いや、見間違えるはずがない、これは……この髑髏は…………
「ぎ、玉蘭~~っ、玉蘭っ、ぎょくらっ……ぐ、ぐぅ~~~~っ」
衝撃のあまり発した心痛をこらえながら、髑髏を取り上げ体で包み込むように抱える。
もはや、数本の髪の毛が残るだけの変わり果てた姿だが、私には分かる。
この骨格、この上顎に残る歯の形……
そして、自然に肉と皮が重なっていき、穏やかな様子で眠る愛しい女の顔が浮かび上がった。
「ああ、玉蘭……ようやく、漸く逢えた……私は、今度お前に逢ったら必ず愛を告げようと思っていたのだ…………今まで待たせて済まなかった……愛している。」
その口元にそっと唇を重ねると、閉じていた女の瞳がゆっくりと開かれ、愛らしく微笑んだ。
「孔明先生……そのお言葉が聞けて蘭は幸せでございます。」
「玉蘭……お前の無念、必ず私がこの手で果たす。だから、それまで待ってはくれぬか?」
私の願いに玉蘭はなぜか首を横に振り、視線だけを家の方へ向けた。
そこには村の入り口においてきたはずの雌馬が立っていて、まるで私たちを見守っている様だった。
私は驚きを隠せず、雌馬と玉蘭を見比べ、雌馬の瞳が微かに玉蘭に似ていることに気が付いてなんとなく得心することができた。
そうか……これまでもお前は私を支えてくれていたのだな……。
そう目で問うた私に、玉蘭は無言で頷きその目を閉じた。
「ずっとお慕い申し上げます」
「ああ……私もだ」
再度、唇を重ね、玉蘭との永遠の愛を誓った私は、ひとまず今世の別れを惜しみながらも、彼女の亡骸を井戸に還した。
愛する女の為には盛大な墓を立てるべきなのかもしれないが、私は寧ろ何の縁も無い異地の土に葬られるくらいなら、私が愛した水が湧くこの井戸の中で眠った方が彼女も本望だろう。
井戸近くの石壁を倒し、穴に封をした。
一時の別れになるが淋しくはない。
事が済んだらここに戻り、それからはずっとお前の傍にいてやれるから……
故郷は滅ぼされ、弟は化け物に変り果て、最愛の女はすでに死んでいた。
故郷に残した家族を探す旅は、これ以上ない最悪な結果を迎えたが、何故か私の心は澄んだように晴れやかで、哀しみも復讐心も覚えることはなく、ただ目の前の事実をありのまま受け入れていた。
しかし、これが私の大きな転機になったことは間違いない。
その後、私は一切の感情を見せなくなったという。
~終わり~
これにて1章が終了です。
これまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
1章は諸葛孔明の視点として話を進めてきましたが、次章からは視点が変わります。
更新が遅いですが、引き続きお付き合い頂ける方、どうぞよろしくお願い致します。




