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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
青年諸葛孔明物語
16/29

再会

 遠く地平線から差す陽光に照らされ、その眩しさから目が覚めた。

 昨晩は北風が吹いた所為でかなり冷えみ、高熱にうなされていた身体も朝方にはすっかり冷え切ってしまっていた。

 陽光で暖を取ろうと急いで震える体を起こし、草むらから這い出てみれば、晴れ渡った冬空と穏やかな流れの長江が目に映った。

 昨晩ここで大戦があり十万を越す兵が死んでいったとは思えぬほどの清々しい光景に思わずため息が出る。

 そのまま、朝の清々しい空気を吸い込もうと鼻から空気を吸い込むと、清らかな光景とは裏腹に焦げた臭いとそれに混じって血や糞尿の臭いがしつこく鼻をついてきて思わず顔をしかめた。

 少し視線を下げれば川岸には無数の死体や船の残骸が浮いており、それはそうだと納得するも、それでは昨夜暗くて分からなかっただけで、水辺で口を潤した際に既に近くで死体が浮いていたのかもしれないと思うに至り、猛烈に全てを吐き出したい衝動に駆られるが、生憎と胃酸や唾液を分泌してくれるほどの余力は今の私の体に無かったことで事なきを得た。


「は、はやく水を探さなくては…」


 目の前の惨状に憂いている時間はない。頭痛や眩暈といった脱水による症状も深刻になり始めており、このままでは倒れてしまうのも時間の問題だ。

 だが、水を探すにしてもこの片足の無い状態では痩せ犬の様に這い蹲って進むことしかできない。

 それでも進むか、別の手段を講じるかしばらく考えた末、立って歩いたほうが視界の確保も出来て都合が良いという考えに至り、ならば長い時間持続して歩けるように杖などの歩行を補助できるものを確保することにした。

 周りには草木が生い茂り材料になりそうなものは豊富にあったが、手っ取り早く加工しやすい材料が浮いているだろうと水辺へと向かう。

 四つん這いで水辺にたどり着くと、真っ先に目についた多くの死体のほかに、棒や焦げた木片が浮いているのを見つけた。

 そこで岸近くに浮いていた半折れの柄だけが残った槍と丈夫そうな棒、そして、板状の木片一枚を拾った。

 さらに、丈夫そうな棒をつかって近くを浮いていた首の無い死体を引き寄せ、その体から甲と衣を剥ぎ取り、甲は必要なかったので死体とともに川に還して衣だけを失敬した。

 必要な材料を調達したら、運ぶのも面倒なのでその場で工作に取り掛かる。

 まず折れて柄だけ残った槍をさらに半ばのところで半分に切断して二本の棒を作り、次に、衣の半分を割いて紐を作る。

 それから、半分になった槍を踝から先の無い右脛の両側を挟むように布で固定し、さらにその両先に板状の木片を紐で固定して足底部を形成すれば、簡易の義肢に仕上がった。

 早速、立ち上がって見ようと丈夫そうな棒を杖代わりにして恐る恐る両足に力を入れると、蹌踉めきながらも杖で堪えて立ち上がることが出来た。


 試しにそこから足を埋めた樹まで歩いてみると、右足を踏み込むだけで患部に激痛が走るものの、進むことも出来た。


「こ、これで水を探しに行くことが出来る…」


 それは、思わず口から出た言葉であり、自分でも驚くほど力の無い掠れた声だったが、絶命寸前の状態から蘇生し、生への活路を見出せたからこそ出た言葉だった。

 そして、自分の命の代わりに犠牲になったともいえる片足をせめて弔おうと埋めた樹の方を向き合掌する。

 かける言葉はないが心から感謝の黙祷をささげた。


 片足への別れが済むと、出発の前に一度、長江を眺めた。

 立ったことで視界が広くなり現状がよく見えてくるからだ。


 まず、北岸にあった曹公の陣は、火計の延焼によって焼け野原になっていて人馬の影も見えなかった。水軍こそ全滅したものの、流石は幾度も修羅場をくぐってきた歴戦の名将というべきか、一晩のうちに陸軍全てと水軍の生存者は無事に退却させたらしい。

 次に、孫権軍は未だ本陣が長江南岸にあり、曹公が退却したのを見て北岸に渡ろうと、渡河手段の小舟をあつめている様子が北岸からうかがえた。軍船はほとんど焼き払った筈で、集めている舟はおそらく漁民から奪ったのだろう…。

 最後に劉備軍だが、奇妙なことに何の痕跡も残っておらず、水辺に残る大量の草木や水死体からその存在があったことは確かだが、生存者のその後の活動が見えなかった。


「なぜ…」


 全て燃え尽きたのだと、納得することはできなかった。

 昨夜見た夢は、本当に玉蘭が教えてくれたのかもしれない…

 既に心中では警鐘が鳴り響いている。だが、奴が生きているという確たる根拠はない。いや、だが、それならば死んだという事も…


「違う!違う!」


 頭を振って再び過ぎった不安を振り払う。

 私はあの時、確かに劉備に止めを刺した。しかも執拗に何度も…。

 今はとにかく前に進もうと一歩を踏み出した。

 しかし、足の状態は思いのほか悪く、一歩を踏み出す度に痛みが生じてしまう。

 とはいっても対処方法はなく、ならば慣れてしまえと今後の事に意識を集中させて痛みは忘れることにした。


 さて…それにしても最大の懸念は劉備亡き後の残党共だ。主を失って烏合の衆と化しても侮ってはいけない。未だに関羽と張飛を始め、猛者が揃っている残党軍を放置しておくのは荊州の民にとって脅威であり、被害が大きくなる前に速やかに滅ぼす必要がある。

 問題は、先の動乱で荒廃してしまった荊州の北・中部に残党軍と対抗できる勢力がないことだ。

 必然、ここは荊州南部長沙・桂陽・武陵・零陵の四郡を頼らなければならない。

 当てはあった。

 荊州四郡を統治する太守とは誰とも会ったことはないが、幸い荊州各地には私の学友が散らばっており太守に接触することは容易だ。

 それに、四郡の各太守のなかでも長沙の韓太守は忠義に篤い仁徳の士として高名だ。悪逆非道を働く残党軍の話をすれば、きっと憤慨して、ご協力してもらえるに違いない。

 韓太守と協力して荊州南部四郡をまとめ、劉備の残党軍と対峙し、その側面を孫権軍に襲わせて相打ちにしてしまえば、一時期、孫権に荊州中部を取らせることになっても、再び曹公の南征を待って南北から挟撃すれば全てうまく治めることが出来るだろう。


 くくっ、よし、これだ!


 熟考している間に痛みはすっかり忘れていた。

 それでも足に負担が掛からぬ様、川沿いの平坦な所を選んで進み、もう少しで開けた場所に出るところで立ち止った。

 目の前に幅七尺弱(2m)程の陥没面があったからだ。

 普段なら軽く跳躍できるところだが、右足を失った今の私にそれが出来るのか…


 少し考えた末、大丈夫だろうと判断し跳ぶことにした。

 義足では助走をつけることが出来ないため、義足の方を前後に振り勢いをつけ、最後に後方へ引いたあと、その反動を利用して一気に前方に跳躍する。

 思いのほか跳躍して驚く。

 ビュンと風を切り、七尺の穴などはるか後方に置いていく大跳躍で、私は一気に難所を超えることができた。


 バキィッ!


「おわっ!?」


 だが、着地の衝撃に義足の足底面が耐え切れずに破砕してしまい、そのまま地面に顔面から突っ込んだ。

 泥土と違い、冷たく乾いた地面は固く鼻が拉げてしまう。

 さらに冬の寒さが痛みに拍車をかけ、その場で蹲り悶える。

 鼻からはポトポトと血液が垂落ちて地面ついていた両手の上に落ちる。

 出血を止めようと向けになると、雲一つない青空が目に映った。

 奇しくも、無限に広がるその青空に、愛らしい彊の顔と、凛々しい達の顔が浮かび上がる…

 二人とも笑顔だった。

 痛みを忘れ、同時に私の心には寂しさや情けなさが去来するも、最後にはわが子への愛しさが残った。

 もはや、私一人では満足に移動することも出来ない。

 私が真っ先にすべきことは、頼りがいのある我が子たちと合流することだ。

 上体を起こすと無残に砕け散った義足があった。近くに材料がある筈もなく、修繕を諦め右手に布を巻いてから槍を支えに立ち上がる。

 槍で均衡を取り、健常な方の左脚で小さく跳ねながらひたすら前に進んだ。


 しかし、それも開けた所に出てから十里ほど進んだところで、疲労が限界に達し、道端に有った小さな岩に腰かけて一息つくことにした。

 時刻を確認しようと空を見上げれば、日は中天に近づいており、今まで通った道を振り返って、たったこれだけしか進んでいないのかとうなだれた。

 しばらくうなだれて地面を眺めながら体を休めていると、地面から微弱な振動が伝わってきていることに気付いた。

 注意をあたりに払うと、馬の蹄が地面を駆ける音だと分かり、それはだんだんと大きくなっていった。

 私は取り乱すことなく、冷静に状況を分析する。

 蹄の音が不規則なことから数はおそらく二頭、軽い音から重装備はしていない…

 孫権の手の者か、将又、劉備の下僕か…

 何れにしても、この体では不意打ちで仕留める事は難しい。

 それに、つまるところ、私は馬に乗れないので襲って奪う必要が無い。

 よってやり過ごすべく、脇道の小岩の陰に身を隠せば、やがて、蹄の音が近くなりその姿が遠くに見えてきた。

 身なりは軽装で孫権軍の兵士にも見える。さては、下流域からの偵察隊か?


 木々の隙間から一瞬だけ先頭を走る騎手の顔が見えた。


 その姿を確認して、感情がこみ上げてくる。もう涙は出ないが。喜びでいっぱいになった。

 もしやと思い、後続の騎手の顔を注視すると、更なる嬉しさに両手を上げた。

 馬に騎乗していたのは、紛れもない我が子供たちだった。


「たつぅ~!き、きょ~っ!」


「父上?父上っ~!」


 岩陰から身を乗り出した私に、達が真っ先に気づいた。

 不覚にも槍を手放した事で支えを失って私が蹌踉めくと、達は支えようと勢いよく抱きついてくる。


「父上…ご無事で…ああ、なんて…酷い…」


 続いて彊も駆け寄ってきたが、傷だらけの私の体を見て絶句している。


「ふ、二人とも…よくぞ生き残ってくれた」


「「父上~!」」


 私は彊を招き寄せて肩を抱き、二人の生存を喜んだ。

 達は感極まったのか、嗚咽しながら涙を流し、彊も目に涙をためて私にしがみついている。

 二人とも戦場に取り残されて、さぞ心細かっただろう。最近、急速に大人びてきたとはいえまだまだ子供だ。

 ゆっくりと二人の頭を撫で、そのクシャクシャになった顔を順に眺めて、血の繋がらない親子ながら本当に心配してくれているのだと、無事の再会に私も感極まった。

 出るはずもないが父親らしくせめて涙は流すまいと視線を上げようとして…


 彊と達が乗って来た馬が視界に入った。



「父上…」「父上~!!」


「彊…、達…」


 親子の再会に子達はなかなか離れようとはしない。私の生存を確認するかのように何度も私を呼んでは抱きしめてくる。

 何か応えなければ…

 だが、今はそれどころではなかった。

 そもそも、既に私の意識は子供たちには向いていない。

 何を隠そう、私の視線は二人が乗ってきた馬の鞍に括られてある革袋に釘付けなのだから。

 もし、私にほんの少しでも余力を残っていたならば、親としての体裁を保つため、まず子供たちとこれまでの苦労と再会の喜びを分かち合っていただろう。

 だが、極限まで追い詰められた私に、もはや親としての理性はなかった。


「あ、あれは、み、みみみ、水か!?」


 震える手で革袋を指差し、事実確認に息を飲む。

 もし、違いますと言われたらそれまで、絶望のあまり自決するかもしれない。


「は?…はい、水ですよ……飲みますか?」


 心既に此処に無く、目を血走らせ水袋を指さす父親の行動に、達がきょとんとして、上目遣いで尋ねてくる。


「た、たのむぅっ!」


 最期の力を振り絞ってそう叫ぶと、必死さが伝わったようで、達が慌てて革袋を取りに走った。

 ふ、ふふふ、これで、ようやく水が飲める。この地獄のような渇きから、涸れ果てた体に潤いを取り戻すことが出来る。


「父上、実はお伝えしなければならないことが…」


 彊が話しかけて来たが、今は聞きたくない。

 だって、達が水袋を取って来てくれたのだから…


「父上…どうぞ」


「お、おおお…」


 やっと、やっと水が飲める。早く飲みたい衝動を懸命に抑え、震える手で水袋を受け取る。


「すぅ~…ふはぁ~」


 深呼吸して気持ちを落ち着かせ、木製の吸い口の栓を外す。

 久しく水分を取っていないため、一気飲みは厳禁。

 最初は少しずついただく事を心の中で確認した。


「で、では…」


 震える両手でしっかりと水袋を持ち吸い口を唇で優しく覆ってから、一気に傾ける。


 ゴキュッ、ゴキュッ…


 一口、二口と飲み込むと、口の中に入った水は乾いた大地に撒いた水のごとくすぐには吸収されず口の中の表面を滑るように広がっていき、まんべんなく広がってからゆっくりと浸透していった。

 外気のために冷えた水は、平地の水辺に近い地域特有の生臭さを少し残すもしつこくなく、主張の少ない淡白な味と、軽やかな舌触りながらも、十分にその存在感を発揮して口から喉へと潤していく。

 二口飲んだところで、一旦、水袋から口を外して休もうとするが、もう止まらない。

 水袋から唇を離すことができず、延々と喉を鳴らしてその中身を飲み込んでいった。

 そう、水分を求める本能に理性が勝てなかったのだ。


 ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ…ゴキュッ…


「っぱはぁ~はぁ~、はぁ~、はぁ~」


 おそらく達と彊の分もあったであろう水を遠慮なく一気に飲み干し、疎かにしていた呼吸を再開する。

 この間、二人はただあっけらかんと私を見つめており、満ち足りたことで我に返った私は、親としての面目を潰してしまった事を大いに恥じ入るのであった。




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