匂い
付き合ってから長い月日が流れ、季節は巡り——私たちは大学生になっていた。
蓮くんは一人暮らしを始め、私はこうして彼の部屋へと泊まりに来ている。
それなのに。
「寂しい……」
ぽつりと呟いた声は、静かなワンルームに虚しく消えていった。
今夜、蓮くんはバイト先の飲み会があり、家には私一人。もちろん、彼が事前にきちんと説明して謝ってくれたし、付き合いが大切なのも分かっている。分かってはいるけれど……やっぱり、蓮くんがいないと寂しい。
一人でテレビを見る気にもなれず、私は吸い寄せられるように蓮くんのベッドへと向かった。
シーツをめくり、布団の中に潜り込む。
ふわりと、大好きな蓮くんの匂いに包まれて、少しだけ胸の寂しさが和らぐ。私は彼の枕をぎゅっと抱きしめながら、ひたすらその帰りを待ち続けた。
それからしばらくして、玄関のドアがカチャリと開く音が響いた。
「ただいま。奈緒、起きてるか?」
「蓮くん!」
その声を聞いた瞬間、私はベッドから飛び起き、弾かれたように玄関へと駆け出した。そして、靴を脱ぎ終えたばかりの蓮くんの胸へと、我慢できずに思い切り飛びついた。
「おかえりなさい、蓮くん! 寂しかったです!」
「うおっと……。ごめん、遅くなったな」
蓮くんは苦笑しながらも、私の背中に優しく手を回して受け止めてくれる。その温もりに安心したのも束の間。
至近距離で彼の首元に顔を埋めた私の鼻腔を、かすかな違和感が掠めた。
お酒の匂いに混じって、蓮くんからは決してしないはずの、甘い女の子の香水の匂いがツンと漂ってきたのだ。
「…………」
一瞬で警戒態勢に入る。私は抱きつく力をそのままに、じっと蓮くんの目を下から見つめた。
「ねぇ、蓮くん。……なんだか、女の子の匂いがします」
「え? ……あぁ、やっぱり分かるか」
私の有無を言わせぬ視線にも、蓮くんは全く焦る様子がなかった。むしろ、申し訳なさそうに眉を下げて、理由を説明してくれる。
「いや、バイトの先輩の女の人がさ、かなり泥酔しちゃって動けなくなって。その先輩から『ちょっと駅まで、肩を貸してくれない?』って頼まれたんだよ。断れなくて支えたから、その時に匂いが移ったんだと思う。……嫌な思いさせて、ごめんな」
「……っ」
困っている人を放っておけない蓮くんの優しさ。それが本当のことだと分かるから、責めることはできない。
できないけれど……やっぱり、大好きな彼に私以外の女の子の匂いがついているのは、一秒だって許せなかった。胸の奥がモヤモヤとして、独占欲がぐるぐると渦巻く。
私は蓮くんの胸からパッと離れると、彼の背中をリビングの方へとぐいぐいと押し始めた。
「蓮くんの優しさは分かっています。……でも、やっぱりその匂いは気に入りません! お風呂、もう沸かしてありますから、今すぐ入って綺麗に洗い流してきてください!」
「う、おぅ……分かった。すぐ入ってくるよ」
私のただならぬ気迫に押された蓮くんは、苦笑いしながら着替えを持って大人しくお風呂場へと向かってくれた。
◇
お風呂から上がった蓮くんは、すっかりいつもの落ち着く匂いに戻っていた。
部屋の電気を消し、私たちはベッドの中に二人で並んで横になる。
「蓮くん」
暗闇の中、私は隣にいる蓮くんにそっと声をかけた。
「ん? 何だ?」
「明日は、何限から授業なんですか?」
「明日は2限からだな」
「あ、私も2限からです! じゃあ、明日の朝は一緒に大学へ行けますね」
「そうだな。じゃあ目覚まし、少し早めにセットしておくよ」
蓮くんの匂いが伝わってくる。
私は「ふふ」と嬉しくなって、布団の中で蓮くんに、『ぎゅっ』と抱きついた。そして、先程の寂しさを埋めるように、いつもよりさらにぴったりと彼に引っ付いた。
「……奈緒、ちょっと狭いんだけど」
「ダメです。今日はこうして寝るって決めたんです。離しません」
「…分かったよ。おやすみ、奈緒」
「おやすみなさい、蓮くん」
蓮くんの体温をすぐ傍に感じながら、私は眠りへと落ちていくのだった。




