事件の後
「……よし、とりあえず外に出ようか。ここにずっといるのも気分悪いし」
掴まれていた裾を優しく、でも確実に引き剥がして、僕は自分の通学カバンを持ち直した。
白百合さんは僕のブレザーを胸元できゅっと合わせ、僕の後ろを付いてくる。
廃墟の外に出ると、雨は止んでいた。
スマホを取り出し、画面をタップして耳に当てる。
「あ、もしもし、警察ですか。……はい、事件です。場所は……」
極めて事務的に、淡々と状況を説明する。ここで焦ってパニックを起こしたら、警察とのやり取りが長引いて帰るのが遅くなる。それは一番避けたかった。
「パトカーが来るまで、あそこの大通り沿いの自販機の前で待とう。あそこなら屋根もあるし、人目もあるから」
「……はい」
白百合さんは大人しく頷き、僕のすぐ後ろをぴたりと付いて歩く。
大通りに出て、僕は自販機で温かいお茶のペットボトルを2本買った。1本を彼女の手に握らせる。
「ほら、これ持って。手が冷たくなってる」
「あ……ありがとう、ございます」
彼女の指先は驚くほど冷え切っていた。お茶の熱が伝わったのか、彼女はペットボトルを両手で愛おしそうに包み込み、じっと僕の顔を見つめてくる。けれど、深く考えると厄介なことに巻き込まれそうな気がしたので、僕はあえて気づかない振りをすることにした。
少し待っていると、遠くからサイレンの音が近づいてきた。
パトカーが2台、派手な音を立てて僕たちの前に急停車する。
「君たちだね!? 大丈夫か!?」
「はい。あそこの廃墟の中に、犯人の男が気絶して倒れてます。」
降りてきた警察官たちに、僕はできるだけ冷静に状況を説明した。「早く帰りたい」というオーラを全身から出していたつもりだったが、警察官の一人は僕の冷静さに少し驚いた顔をしていた。
「怪我はないかい? 怖かったね、もう大丈夫だからね」
女性の警察官が白百合さんに駆け寄り、優しく肩を抱こうとした。
その瞬間、白百合さんがビクッと身体を強張らせ、拒絶するように僕の背中の後ろへと隠れたのだ。服の裾が、またきゅっと引っ張られる。
「あ……」と女性警察官が困惑したような声をだした。
「……すみません、この人、かなりショックを受けてるみたいで。僕が付き添うので、とりあえず警察署まで行きます」
「ええ、助かるわ。じゃあ、二人とも車に乗って」
結局、僕たちは並んでパトカーの後部座席に乗ることになった。
車内に入ると、彼女は僕の服の裾を指先で掴んでいた。隣から視線を感じる。チラッと見ると、彼女は僕の横顔を熱烈な何かを見るような目で見つめていた。視線が重い。本当に重い。僕は静かに反対方向を向き、窓の外を流れる雨の景色に集中することにした。
警察署に着いてから30分ほど経った頃、白百合さんの両親が血相を変えてロビーに飛び込んできた。
母親は涙を流しながら娘を抱きしめ、父親も安堵の表情で崩れ落ちそうになっていた。
「奈緒……! 無事でよかった、本当によかった……っ!」
その感動的な親子の再会を、僕は少し離れたパイプ椅子で、警察官からの事情聴取を受けながらぼんやりと眺めていた。これで僕の役目は終わりだ。早く帰って、風呂に入りたい。
「——白百合さん、娘さんを助けてくれたのは、あそこにいる佐藤くんです。彼がいなければ、本当に最悪の事態になっていた」
警察官に促され、白百合さんの両親がこちらを振り返った。そして、何度も涙を拭いながら僕の元へと歩み寄り、深く、深く頭を下げた。
「佐藤くん、本当に、本当にありがとうございました……! 娘の命の恩人です、この御恩は一生忘れません……!」
「いえ、僕はただ、人として当たり前のことをしただけですから。」
近くにいる警察官に話しかける
「あの、僕の事情聴取はこれで終わりですよね? もう帰ってもいいでしょうか」
お礼の品だとか、お礼の言葉だとか、そういうやり取りが発生する前に、僕は早々に話を切り上げた。これ以上関わると、ややこしくなる。
「え、ええ。お疲れ様。本当にありがとうね」
警察官がそう言うと、僕は「失礼します」とだけ言って、カバンを肩にかけてそそくさと出口へと向かった。
出口の自動ドアの手前で、ふと振り返ると、白百合さんが両親の腕の中にいながらも、じっと僕のことを見つめていた。
その瞳は、どこかトロンとしていて、少し怖かった。
(早く家に帰って、ご飯食べて、温かい風呂に入って、今日のことは全部忘れよう)




