2人の出会い (奈緒視点)
雨の降る放課後のことだった。
学校からの帰り道、早く帰って小説の続きが見たいと考え、人気のない近道を歩いていた。
背後から迫る、ぬちゃりとした重い足音に気づいた時には、もう遅かった。
「へへ、見ぃつけた。こんな雨の日に、一人で歩いてるのが悪いんだよぉ……」
背後から伸びてきた、脂ぎった大きな手に口を塞がれ、私は悲鳴をあげることすらできずに、近くの廃墟の奥へと引きずり込まれ、埃まみれのブルーシートの上に押し倒された。
見上げると、そこにいたのは、見るからに不潔で、だらしのない肥満体の男だった。
「ひっ……う、あ……やめて……離して……っ!」
私の手首は、男の冷たくて湿った両手によって、床に強く組み伏せられた。びくともしない。男の体重が私の身体にのしかかり、引き裂かれる制服の音が、雨音に混じって鼓膜に突き刺さる。
(あぁ、まただ……。また、私の世界が汚されていく……)
中学のあの放課後と同じ、いや、それ以上の絶望が脳裏をよぎる。男の汚い手が、私の肌へと容赦なく伸びてくる。
「へへ、静かにしろよぉ……。誰も来ねえよ、こんな場所。お前みたいな可愛い女子高生が、こんな雨の日に一人で歩いてるのが悪いんだよぉ……」
誰も助けてくれない。私はここで、この化け物に全部をめちゃくちゃにされて、壊されてしまうんだ。
恐怖のあまり、声が出ない。涙で視界が歪んでいく。
私が完全に絶望し、ゆっくりと目を閉じようとした、その時だった。
木製の重いドアが、バァン! と激しい音を立てて開いた。
「おい、何してんだよ」
低くて、驚くほど冷静な、少年の声。
「あぁ!? なんだお前、ガキが——」
男が忌々しそうに振り返り、立ち上がろうとした瞬間。
その少年は、一切の躊躇もなく、男の股間に向かって、容赦のない、凄まじい前蹴りを叩き込んだ。
グシャッ。
「ぶふぇっ……!??!?」
男が白目を剥き、情けない声を上げてブルーシートの上に崩れ落ちる。一瞬の出来事だった。私をあれほど絶望させた化け物が、信じられないくらいあっけなく、無力化されたのだ。
「……はぁ。最悪だ、お気に入りの靴が汚れた」
少年は、心底めんどくさそうに、小さくため息をついた。
床に転がる男をまるでゴミでも片付けるかのように冷徹に踏み越えて、私の方へと歩み寄ってくる。
私は、恐怖の余波で全身がガタガタと震えていた。
男の手からは逃れられた。けれど、心臓が破裂しそうなほど脈打ち、呼吸の仕方が分からなくなっていた。
「はっ、く、ひゅ……っ、あ……」と、激しい過呼吸が私を襲う。
怯える私を見て、少年は自分の通学カバンを床に置くと、着ていたブレザーをすっと脱いで、優しく、私の小さく震える肩の上から被せてくれた。
少年は私と同じ目線になるように、ブルーシートの上にそっと屈み込んだ。
「大丈夫。もうあの男は動かないから。ゆっくり息を吸って、吐いて。……僕の真似をして。すう、はあ……」
その声には、トゲが一切なかった。
ただただ、水面のように静かで、落ち着いた声。
少年は、震える私の手の上から、そっと自分の手を上から包み込んでくれた。
その手の温もりが、私の冷え切った体へと染み渡っていく。
「大丈夫、大丈夫だから。ここにいるのは僕だけだから。ほら、ゆっくりね」
少年の「すう、はあ」という規則正しい呼吸の音を道標にするように、私の荒れていた呼吸が、少しずつ、少しずつ整っていった。
「……落ち着いた?」
少年が、静かに尋ねる。
(あぁ……この人だ……)
私の容姿なんて最初から意識していない。見返りなんて一切求めていない。
ただ「目の前で困っている人間を助けただけ」という純粋な気持ち。
「……あなた、は……」
掠れた声で、必死に問いかける。
「僕は佐藤蓮。今から警察を呼ぶから安心してくれ。」
警察を呼ぼうとする彼の服の裾を、ギュッと握りしめた。
「……蓮、くん……」




