蓮くんなら…
その日の夜。お風呂を済ませて自室に戻り、ベッドの上で蓮くんとのメッセージのやり取りを見返していた時だった。
コンコン、ノックの音がして、兄が部屋に入ってきた。
「奈緒、ちょっといいか?」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
私はスマホを裏返してベッドに置き、お兄ちゃんを迎え入れた。お兄ちゃんは部屋の椅子を引いて腰掛けると、少し真面目な顔で私を見た。
「今日、放課後に佐藤くんと会ってきたよ」
「……」
今日の夕方、お兄ちゃんが「どうしても奈緒の恩人に直接お礼がしたい」と言い出した時は、蓮くんに迷惑がかかるんじゃないかと焦った。蓮くん、困っていなかっただろうか…。
「どうだった……? 」
心配そうに尋ねる私を見て、お兄ちゃんは柔らかく微笑んだ。
「とても落ち着いていて、優しい子だね。最初は少し緊張させてしまったみたいだけど、僕の話を真っ直ぐに聞いてくれたよ。本当に、奈緒のことを大切に考えてくれているのが伝わってきた。僕としても、すごく好印象だ」
お兄ちゃんの口から出た蓮くんへの称賛。それを聞いた瞬間、私の胸は誇らしさでいっぱいになった。自分のことのように嬉しくて、つい少し自慢げに胸を張ってしまう。
「ふふ、当たり前でしょ? 蓮くんは本当に素敵な人なんだから」
そこから、私の口は止まらなくなってしまった。
「いつもは面倒くさそうにしているけれど、誰かが困っていたら絶対に放っておかないし、私の突飛な行動にもちゃんと付き合ってくれる。それにね、すごく私のことを気遣ってくれて、家に帰る時は必ず送ってくれるの。それから今日の私の手作りお弁当も『めちゃくちゃ美味しかった』って言ってくれたの。不器用に見えて、本当は誰よりも優しくて、温かくて——」
「……奈緒、奈緒。ちょっとストップ」
つらつらと蓮くんの良いところを語り続ける私に、お兄ちゃんは苦笑いしていた。その目は、少しだけ引き気味だ。
「わかった、もう十分にわかったから。奈緒がどれだけ彼のことを慕っているかはよく伝わった」
「まだ言い足りないのに…」
少し頬を膨らませる私を見て、お兄ちゃんはふっと表情を引き締め、本題を切り出すように声をトーンダウンさせた。
「……それでね。奈緒に言われていた通り、彼には『あの出来事』について、簡単に話をしておいたよ」
お兄ちゃんの言葉に、私の胸がキュッと締め付けられる。
中学時代、美術部の放課後に起きた事件。私の大切な絵を破かれ、心が壊れてしまったあの日のこと。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
私は小さく息を吐きながら、お礼を言った。
「蓮くんには、私の過去を知ってほしかったの。だけど自分で話すとなると、緊張して無理だったから…」
私は言葉を続ける…
「だけど、いつか自分の口で伝えてたい。そして、改めてありがとって伝えたい。」
私が周囲に壁を作っている本当の理由。それを蓮くんにだけは隠したくなかった。お兄ちゃんから聞いて、蓮くんはどう思っただろうか。引いてしまっていないだろうか。そんな不安がよぎる。
お兄ちゃんは立ち上がると、私の頭を優しくぽんぽんと叩いた。
「彼ならきっと、受け止めてくれるよ。……ただね、奈緒」
お兄ちゃんはドアへと向かいながら、振り返って少し呆れたような、でも少し心配するような顔で私を見た。
「君が佐藤くんを想う気持ちはいいと思うし、僕も応援したいと思っているけど……くれぐれもやりすぎないようにね? 彼の家までアポ無しで突撃したと聞いた時は、流石に良くないと思ったよ。相手のペースも考えてあげるんだよ」
「う……。そ、それは、ちゃんと反省しています……」
痛いところを突かれて、私はうつむいた。
「それじゃあ、おやすみ。佐藤くんを大切にね」
「おやすみなさい、お兄ちゃん」
パタン、とドアが閉まり、部屋に静けさが戻る。
私は再びベッドに寝転がった。
お兄ちゃんから私の過去を聞いた蓮くんは、明日、どんな顔で私に会ってくれるだろう。
不安はある。けれど、あの優しくて温かい蓮くんなら、きっと受け止めてくれると私は信じてる。




