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ドクトル・ゼンゼンマンの研究ノート  作者: 黒瀬 量衡


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2/11

第二話 同型生命体は毒電波フィルターの夢を見るか

 研究には、静けさが必要である。


 これは、悪の秘密結社にいた頃からの我輩の持論である。


 どれほど優秀な博士であっても、背後で戦闘員が騒いでいては、正確な培養液濃度を測れない。


 どれほど優秀な博士であっても、幹部が作戦名について三時間議論していては、怪人の脳改造手順を整理できない。


 どれほど優秀な博士であっても、首領が「我が理想の新世界」について語り始めると、研究は止まる。


 首領の理想は長い。


 実に長い。


 世界征服計画より、首領の演説の方が長い場合すらある。


 あれは悪の組織における一種の自然災害であった。


 逃げられない。


 止められない。


 始まる時間も分からない。


 終わる時間は、もっと分からない。


 その点、この新しい肉の巣には首領がいない。


 幹部もいない。


 作戦会議もない。


 予算会議もない。


 査読もない。


 正義の味方も、今のところいない。


 すばらしい。


 問題は、周囲の同型生命体があまりに知性を欠き、かつ、頭の中に流れる毒電波が極めてうるさいことであった。


     *


 第一日目に作成した迷惑毒電波スパム隔離サーバー脳は、概ね良好に機能した。


 毒電波は本体脳へ直接届かなくなった。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 人類を滅ぼせ。


 これらの雑な命令は、背中にぶら下げた小さな脳片へ吸い込まれていく。


 非常によい。


 頭が静かである。


 静かであるということは、思考できるということである。


 思考できるということは、研究できるということである。


 研究できるということは、我輩であるということである。


 したがって、静かな脳は我輩の証明である。


 論理的である。


 ただし、問題もあった。


 背中が重い。


 毒電波を吸い込むたび、迷惑毒電波スパム隔離サーバー脳はわずかに膨らむ。


 膨らむと、揺れる。


 揺れると、首の後ろが引っ張られる。


 首の後ろが引っ張られると、歩行が乱れる。


 歩行が乱れると、同型生命体が我輩を食べ物と誤認する。


 殴る。


 転ぶ。


 泥を食う。


 この工程が何度も発生した。


 非効率である。


 改善が必要である。


     *


 我輩は、まず周囲の同型生命体を観察した。


 観察対象一。


 小型。


 腹が膨れている。


 右耳がない。


 左手で泥を掴み、右手で隣の個体を掴む。


 どちらも口へ運ぼうとする。


 失敗。


 転倒。


 泥を食う。


 観察対象二。


 やや大型。


 背中に腫瘍。


 自分の腫瘍を噛もうとしている。


 届かない。


 怒る。


 隣の個体を噛む。


 噛まれた個体も怒る。


 両者転倒。


 泥を食う。


 観察対象三。


 未発達。


 歩行不能。


 しかし口だけは動く。


 腐った骨片を吸う。


 骨片を喉に詰まらせる。


 自力で吐く。


 再び同じ骨片を口に入れる。


 見込みなし。


 総評。


 助手に使えない。


 記録係に使えない。


 素材としては使える。


 この判断は、前世の戦闘員評価表とほぼ同じである。


 ただし、戦闘員は少なくとも番号を呼べば返事をした。


 同型生命体は返事もしない。


 鳴くだけである。


「ギ」


「ギギ」


「ギャ」


 うるさい。


 実にうるさい。


 しかし、彼らは毒電波を疑わない。


 むしろ毒電波と一体である。


 命令が来る。


 動く。


 失敗する。


 再び命令が来る。


 また動く。


 また失敗する。


 この単純な反復が、巣全体を満たしている。


 これは群れではない。


 未整理の実験廃液である。


     *


 我輩は、迷惑毒電波スパム隔離サーバー脳の構造を改良することにした。


 第一号機は、緊急避難的な処置であった。


 本体脳から毒電波系の神経流を分け、肉芽を丸め、背中へぶら下げただけである。


 これはいけない。


 装置は美しくなければならない。


 悪の博士の発明品は、機能だけでなく外観も重要である。


 管。


 弁。


 計器。


 赤い灯り。


 警告音。


 無駄に開く蓋。


 押してはいけないボタン。


 それらがあってこそ、発明品は発明品となる。


 もっとも、現時点では真鍮もない。


 歯車もない。


 圧力計もない。


 赤い警告灯もない。


 あるのは、泥、骨、腐肉、同型生命体、毒電波、そして我輩の肉である。


 十分である。


 悪の博士は、手元にある素材で恐ろしいものを作るべきである。


     *


 第二号機の設計方針を記す。


 一、本体脳から毒電波経路を明確に分離する。


 二、受信部、濾過部、蓄積部、廃棄部を分ける。


 三、満杯になった場合、容易に交換できる構造とする。


 四、逆流防止弁を設ける。


 五、可能であれば交換時期を知らせる肉芽を付ける。


 六、将来的に自爆ボタン接続を可能とする。


 六が重要である。


 現時点では自爆できない。


 これは悪の博士として非常に不安である。


 しかし、最初から完全な自爆機構を備えようとすると、研究初期にすべてが爆発する。


 爆発はよい。


 だが、順番がある。


 まずは濾過。


 次に交換。


 その後に爆破。


 研究者は段階を踏むべきである。


     *


 手術を開始する。


 手術台はない。


 泥の上である。


 不衛生である。


 だが、ここに清潔な台が存在しない以上、現実を受け入れるしかない。


 前世の倫理委員会なら卒倒するだろう。


 実によい。


 我輩は骨片を研いだ。


 切れ味は悪い。


 悪いが、肉は切れる。


 自分の背中へ腕を回す。


 届きにくい。


 頭足類悪魔であった頃なら、第三触腕と第五触腕で容易に処理できた。


 今の身体には腕が二本しかない。


 不便である。


 脊椎動物型小型増殖生命体の設計思想には問題がある。


 我輩はまず、第一号機を外した。


 肉芽が伸びている。


 毒電波を吸って、黒ずんでいる。


 表面には細かな泡。


 内部から声。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 人類を滅ぼせ。


 うるさい。


 外してもなおうるさい。


 この時点で、我輩は重要な結論に至った。


 迷惑毒電波スパム隔離サーバー脳は、恒久臓器として運用すべきではない。


 交換部品として運用すべきである。


 濾過フィルターである。


 蛇口につける浄水器の濾過フィルターと同じである。


 前世の研究所にもあった。


 水を流す。


 汚れを取る。


 性能が落ちる。


 交換する。


 古いフィルターは捨てる。


 簡単な理屈である。


 汚れた水を通し続ければ、水はまずくなる。


 汚れた祝福を通し続ければ、脳がまずくなる。


 実に単純である。


     *


 祝福。


 我輩は、あえてその語を用いた。


 この肉のどこかには、そう呼びたがる何かがある。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 人類を滅ぼせ。


 これを祝福と呼ぶ者がいるかもしれない。


 集団の存続本能。


 繁殖命令。


 上位存在の指令。


 種族衝動。


 太陽の導き。


 なんでもよい。


 我輩に言わせれば、これは仕様不明の外部常駐命令である。


 不正な管理者権限である。


 研究計画に割り込む迷惑処理である。


 したがって、削除。


 あるいは隔離。


 少なくとも本体脳には入れない。


 我輩の脳は、我輩のものである。


 毒電波に貸す部屋はない。


     *


 第二号機の作成に入る。


 受信部。


 頭蓋後方から伸びる細い神経束を三本分ける。


 一本では詰まりやすい。


 二本では冗長性が足りない。


 三本である。


 悪の秘密結社時代、幹部会議で学んだことがある。


 入口は複数ある方がよい。


 出口は一つにしておく方がよい。


 逃げられるからである。


 濾過部。


 薄い肉膜を重ねる。


 毒電波が通るたびに粘液層へ吸着させる。


 粘液は、周囲の同型生命体から採取した。


 本人は気づいていない。


 採取中、泥を食っていた。


 蓄積部。


 小さな脳片を袋状に丸める。


 内部に毒電波を溜める。


 溜めすぎると膨らむため、上部に逃がし孔を作る。


 ただし、本体側へ逃げてはならない。


 逃がし孔は外部へ向ける。


 すると、ぶつぶつ声が漏れる。


 不快である。


 後で消音機構が必要である。


 逆流防止弁。


 これは難しかった。


 骨片を薄く削り、肉膜の間に挟む。


 毒電波は入る。


 戻らない。


 理論上はよい。


 実際には少し漏れた。


 頭の中に一瞬、声が戻る。


 食え。


 うるさい。


 我輩は弁を強く締めた。


 静かになった。


 交換通知肉芽。


 耳の後ろに小さな赤い肉芽を作る。


 毒電波蓄積量が増えると膨らむ。


 限界が近づくと拍動する。


 将来的には点滅させたい。


 赤く光るのが理想である。


 現状は光らない。


 だが、ぷくぷく動く。


 悪くない。


 警告灯の原始形である。


     *


 装着。


 首の後ろへ第二号機を接続する。


 第一号機より小さい。


 軽い。


 収まりがよい。


 背中ではなく、肩甲部の内側へ半分埋め込む形にした。


 これにより、同型生命体から食べ物と誤認される可能性が下がる。


 ただし、完全ではない。


 観察対象二が近づいてきた。


 我輩の肩を舐めた。


 殴った。


 転んだ。


 泥を食った。


 安定している。


 第二号機の効果は良好であった。


 頭の中は静か。


 毒電波は濾過部へ流れる。


 濾過部から蓄積部へ落ちる。


 蓄積部がぶつぶつ言う。


 しかし、本体脳は静かである。


 よい。


 非常によい。


 我輩は初めて、深く考える余裕を得た。


 考える内容は、もちろん研究計画である。


     *


 現状の課題。


 一、身体が脆弱。


 二、記録媒体が不足。


 三、同型生命体が邪魔。


 四、巣全体が不衛生。


 五、毒電波が継続的に流入。


 六、外敵不明。


 七、食料管理なし。


 八、実験空間なし。


 九、爆発物なし。


 十、自爆ボタンなし。


 また十である。


 重要なので当然である。


 我輩は、まず記録媒体を作ることにした。


 脳が静かになっても、記録がなければ研究は積み上がらない。


 前世の悪の秘密結社でも、記録は重要であった。


 もっとも、表向きの記録と本当の記録は別である。


 表向きの記録にはこう書く。


「新怪人開発計画、第三段階へ移行。変身ヒーロー対策として有望」


 本当の記録にはこう書く。


「幹部Aがまた仕様を変えた。殺したい」


 研究には、両方の記録が必要である。


 この世界に紙はない。


 少なくともこの巣にはない。


 石板もない。


 金属板もない。


 あるのは骨である。


 骨はよい。


 硬い。


 削れる。


 保存性もある。


 誰かの骨であることを気にしなければ、非常に優秀な記録媒体である。


 我輩は、落ちていた骨片を集めた。


 長い骨。


 薄い骨。


 平たい骨。


 噛まれた骨。


 用途ごとに分ける。


 記録板。


 切削具。


 固定具。


 交換用弁。


 殴打用。


 殴打用は重要である。


 同型生命体が近づくたびに必要になる。


     *


 骨片に記録する。


 第一項。


 同型生命体の分類。


 甲型。


 歩行可能。


 知性なし。


 食欲過剰。


 殴ると転ぶ。


 乙型。


 歩行不安定。


 知性なし。


 自分を噛む。


 殴ると転ぶ。


 丙型。


 出生直後。


 知性なし。


 呼吸不安定。


 放置すると食われる。


 丁型。


 やや大型。


 知性なし。


 他個体を押しのける。


 殴ると怒る。


 怒っても転ぶ。


 総評。


 すべて助手不適格。


 第二項。


 毒電波の内容。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 奪え。


 巣を広げろ。


 人類を滅ぼせ。


 具体性なし。


 計画性なし。


 予算項目なし。


 補給計画なし。


 感染症対策なし。


 研究価値低。


 第三項。


 迷惑毒電波スパム隔離サーバー脳第二号機。


 受信部三系統。


 濾過膜五層。


 蓄積部袋状。


 逆流防止弁あり。


 交換通知肉芽あり。


 自爆機構なし。


 自爆機構なし。


 自爆機構なし。


 ここは三回刻んだ。


 重大な欠陥だからである。


     *


 記録中、交換通知肉芽が拍動した。


 早い。


 実に早い。


 第二号機の濾過能力は高いが、毒電波流入量が想定以上である。


 これは巣全体の問題である。


 同型生命体が多すぎる。


 肉嚢が多すぎる。


 死骸が多すぎる。


 腐敗が多すぎる。


 全体に毒電波が染み込んでいる。


 我輩一体の脳を守るだけなら第二号機で足りる。


 だが、長期運用には交換周期の確立が必要である。


 我輩は第二号機を外した。


 濾過部が黒ずんでいた。


 早い。


 これは蛇口用浄水器なら交換ランプが点く段階である。


 現状の赤い肉芽は、ぷくぷく動くだけである。


 やはり光らせたい。


 研究装置は光るべきである。


 第一回交換作業を開始する。


 手順。


 一、本体接続部を骨片で押さえる。


 二、逆流防止弁を閉じる。


 三、濾過脳をひねる。


 四、外す。


 五、新しい濾過脳を接続する。


 六、毒電波流入を確認する。


 七、古い濾過脳を廃棄する。


 問題は七である。


 廃棄方法がない。


 前世であれば、感染性廃棄物として焼却。


 あるいは、秘密裏に地下第六焼却炉へ投入。


 あるいは、失敗怪人用溶解槽へ投棄。


 あるいは、証拠隠滅用爆破処理。


 爆破処理が望ましい。


 しかし、今は爆薬がない。


 火もない。


 いや、火らしきものは遠くにある。


 同型生命体が何かを燃やしている。


 だが、管理されていない。


 火があるのに管理できていない。


 危険である。


 不愉快である。


 いずれ改善する。


 今は、古い濾過脳を巣の外れへ置くことにした。


 封印廃棄である。


 仮である。


 あくまで仮である。


 将来的には爆破する。


     *


 古い濾過脳は、黒ずんでいた。


 表面に泡。


 内部から声。


 人類を滅ぼせ。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 うるさい。


 我輩は骨片でつついた。


 濾過脳が震えた。


 声が濁る。


 人類を、滅、ぼ、せ。


 壊、せ。


 増、え、ろ。


 なるほど。


 毒電波は蓄積すると変質する。


 単なる命令ではなく、粘る。


 濁る。


 沈殿する。


 場合によっては、別の何かを生む可能性がある。


 注意が必要である。


 濾過フィルターは、定期交換するべきである。


 これは研究上の結論である。


 そして生活上の結論でもある。


 汚れたフィルターを放置してはならない。


 これは非常に重要である。


 我輩は骨片に刻んだ。


 ――濾過脳、交換を要する。


 ――蓄積毒電波、濁りあり。


 ――放置危険。


 ――廃棄方法未確立。


 ――爆破処理が望ましい。


 最後の一行は、やはり深く刻んだ。


     *


 その夜、我輩は第二号機改を装着して眠ろうとした。


 眠る。


 この行為も久しぶりである。


 前世では、博士はあまり眠れない。


 夜は実験。


 昼は会議。


 夕方は怪人調整。


 深夜は秘密基地防衛。


 明け方は変身ヒーロー対策。


 睡眠時間は短い。


 その代わり、培養槽の横に仮眠用の寝台を置いていた。


 黒い布。


 硬い枕。


 壁には緊急脱出レバー。


 寝台の下には小型爆薬。


 よい寝床であった。


 今の寝床は泥である。


 最悪である。


 同型生命体が隣で寝ている。


 口が開いている。


 涎が流れている。


 足が我輩の肩に乗る。


 蹴った。


 転がった。


 また寝た。


 実に愚かである。


 しかし、頭は静かだった。


 毒電波は遠い。


 背中の濾過脳が、小さく震える。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 人類を滅ぼせ。


 ふむ。


 研究対象としては不快だが、音量は低い。


 我輩は目を閉じた。


 そして、夢を見た。


     *


 前世の研究所であった。


 黒い壁。


 赤い灯り。


 蒸気の配管。


 真鍮の圧力計。


 ガラス管の中を流れる緑の液体。


 巨大計算機。


 紙テープ。


 培養槽。


 透明な蓋のついた赤い自爆ボタン。


 懐かしい。


 実に懐かしい。


 蝗虫男がいた。


 緑の複眼でこちらを見ている。


「ゼンゼンマン。また悪事か」


 我輩は答えた。


「悪事ではない。研究である」


「同じことだ」


「違う。悪事には再現性がない。研究には再現性がある」


「人々を苦しめる研究など許さん」


「研究対象の苦痛は、可能な限り記録している」


「そういう問題ではない」


 会話が噛み合わない。


 相変わらずである。


 変身ヒーローというものは、倫理を叫ぶ割に実験条件を読まない。


 蝗虫男は構えた。


 我輩は触腕を広げようとした。


 だが、触腕はなかった。


 小さな腕が二本あるだけである。


 頭足類悪魔ではない。


 小型増殖生命体である。


 蝗虫男が首を傾げた。


「小さくなったな、ゼンゼンマン」


「成長途中である」


「今度は何を企んでいる」


「静かな脳を作っている」


「それは悪事なのか」


「まだ分からぬ」


「分からないのか」


「研究だからである」


 蝗虫男はしばらく黙った。


 そして言った。


「なら、せめて人を滅ぼすな」


 我輩は笑った。


「当然である」


 蝗虫男は意外そうにした。


「当然なのか」


「人類を滅ぼせば、変身ヒーローもいなくなる。医療設備も薬品倉庫も都市構造も兵器体系も消える。研究対象が減る。非合理である」


「理由は最低だな」


「合理的である」


「だが、滅ぼさないなら、それでいい」


 蝗虫男は背を向けた。


 その背後に、赤い警告灯が点滅している。


 我輩は聞いた。


「蝗虫男よ」


「何だ」


「最後の台詞は、最後まで聞くべきである」


 蝗虫男は振り返らなかった。


「それは悪かった」


 そこで、夢は終わった。


     *


 目覚めると、同型生命体が我輩の足を噛んでいた。


 蹴った。


 転んだ。


 泥を食った。


 現実である。


 夢の余韻が一瞬で消えた。


 だが、悪くない。


 蝗虫男が夢に出た理由は分かる。


 毒電波が薄くなったことで、前世記憶への経路が安定したのだ。


 あるいは、単なる脳の整理作用である。


 いずれにせよ、記録する価値がある。


 我輩は骨片に刻んだ。


 ――毒電波濾過後、前世記憶夢あり。


 ――蝗虫男、出現。


 ――会話内容、おおむね不快。


 ――ただし、最後の台詞を遮った件について謝罪らしきものあり。


 ――夢内に自爆ボタン確認。


 ――現実には未実装。


 現実には未実装。


 やはり深く刻んだ。


     *


 第二話時点での成果を整理する。


 一、迷惑毒電波スパム隔離サーバー脳、第二号機作成。


 二、濾過フィルター方式を採用。


 三、交換通知肉芽を実装。


 四、古い濾過脳は汚染物として分離。


 五、放置危険の疑いあり。


 六、骨片記録を開始。


 七、前世記憶夢を確認。


 八、同型生命体は引き続き助手不適格。


 九、自爆機構は未実装。


 十、自爆機構は未実装。


 十一、自爆機構は未実装。


 重要なので三回である。


 研究は進んだ。


 我輩は、単なる肉腫ではなくなった。


 我輩は、毒電波を濾過する小型増殖生命体である。


 そして、記録を持つ。


 記録を持つ生命体は強い。


 なぜなら、失敗を次に使えるからである。


 周囲の同型生命体は、今日も泥を食い、骨を噛み、自分の手を噛み、転び、鳴いている。


「ギ」


「ギギ」


「ギャ」


 彼らには昨日がない。


 反省がない。


 改善がない。


 だから、彼らは同型生命体である。


 我輩には昨日がある。


 記録がある。


 改善がある。


 だから、我輩はドクトル・ゼンゼンマンである。


     *


 なお、古い濾過脳は巣の外れでまだぶつぶつ言っている。


 食え。


 増えろ。


 壊せ。


 人類を滅ぼせ。


 声は小さい。


 だが、消えない。


 泡が出ている。


 時折、表面が膨らむ。


 まるで、中から何かが形を取ろうとしているようにも見える。


 ふむ。


 観察対象である。


 ただし、危険でもある。


 次回まで放置してみるか。


 いや、研究者としては観察すべきである。


 だが、悪の博士としては安全装置をつけるべきである。


 我輩は骨片を握り、古い濾過脳の横に小さな肉芽を植えた。


 赤い肉芽である。


 押すと潰れる。


 潰れると、近くの腐敗ガス袋へ刺激が走る。


 刺激が走ると、爆ぜる。


 小規模ではある。


 自爆ボタンと呼ぶには、まだ未熟である。


 しかし、方向性は正しい。


 透明な蓋はない。


 警告灯もない。


 警告音もない。


 それでも、赤い。


 押せる。


 爆ぜる。


 ならば、第一歩である。


 我輩は満足した。


 やはり、研究施設には安全装置が必要である。


 そして安全装置は、赤いボタンであるべきだ。


 以上。


 研究ノート第二冊、終了。

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